以下の文章は、羽生さんの卒論要旨デジタル版が公開される前に書いたものである。

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   羽生さんの卒論が、「人間科学研究」という早大の学術誌に掲載されたという。活字化され、学術誌に掲載された以上、誰もが見ることが可能ということだ。早稲田大学の図書館には必ず入るだろうし、大学が出す、こうした「紀要」と言われる学術誌の多くは、国会図書館に入れられる。労を惜しまなければ、誰もが、いずれ国会図書館で見られるだろう。

 こうした学術誌に、卒論が掲載されるということはかなり稀なことではないかと思う。羽生さんの卒論が、それだけ飛び抜けて優れていたのだと思われる。

 私は、もちろん卒論そのものを読んだわけではない。けれど、羽生さんが卒論に込めた思いは分かる。以前、羽生さんが、TV「エブリー」で卒論の意図について語ったことがあるからだ。

 そのTVを見た時、私は、羽生さんが本当にフィギュアスケートを愛し、その未来について希望を持っていること知り、とても感動した。若い羽生さんが、持てる体力・知力・気力のすべてを、フィギュアスケートに注いでいることが、胸を熱くしたのだ。

 

 羽生さんは、その「TVエブリー」の中で、「(自分の論文は)モーションキャプチャー技術を、選手の技術の向上やAI採点など、スケート界の発展に役立てたい」との思いから書いたものだと言っていた。つまり選手たちが正しい技術を身につけるように、スケート技術が正しく評価されるようにあって欲しいという希望・願望から、この卒論を書いたのだと、その意図を述べたのだ。

 

 彼は、自分の採点について直接不満を漏らしたり、ジャッジを批判したりすることはなかった。明らかに、点数が低く抑えられたと思われる時も、「自分がへたくそだから」「もっと練習してうまくならなければ」などと、いつも自分の問題として引き取り内面化してきた。

 しかし、他方で、彼が「豊かな表現力も芸術性も、正しい技術に基づいてこそ可能だ」と言うとき、あるいは2019年のオータムクラシックで、得意とする四回転トーループの回転不足をとられたとき、「普通に降りていたと思った。自分の感覚としては問題ない(だから気にしていない)」と言ったとき、自分のジャンプ技術や演技構成点が公正に評価されていないことに対して、胸の中に静かな怒りの感情がなかったとは言えまい。

 こうしたジャッジに対する割り切れない思いは、羽生さんが直接言葉にして発言しなくても、多くのスケートファンや何人かの専門家の心を動かし、彼らによる「検証」を活発にさせた。ジャンプの足元をチェックする動画、スピンの姿勢や回数を比較する動画、つなぎの多寡を検証する動画や論文などが、次々に公開された。私のようにスケート技術を検証するほどの力量のない人間は、複数カメラの導入やジャッジの公正を求める署名活動に参加した。こうした潮流に対して、羽生さんも思うところがあったのかもしれない。少なくとも、世界中のファンは勿論、スケート界の人間の中にも、羽生さんの思いを後押ししてくれる人々がいることを、知ることになっただろう。

 

 しかし、こうした人々の検証の動きや、署名、正しい技術を公正に評価するためにAI技術の導入ができないかという羽生さんの問題提起は、日本のスケ連にもISUにもまったく届かず、捨て置かれた。どこからも、何のリアクションもなかった。そして、今なお、恣意的で公正さを欠く採点がまかり通っている。

 

 羽生さんは、無念だろうなと、彼の気持ちを想うと胸がつぶれそうになるし、私自身も唇を噛むような口惜しさだ。

 だから、羽生さんは、もうAIの導入も、正しい技術の確立と指導も、自分の力でやるしかないと思ったのではないだろうか。

 卒論は通常、ゼミの先生と論文審査にあたる教員がみるだけであろう。が、それでは、羽生さんの問題提起も知見も、個人のものとしては残るが、広く知られることにはならない。

 しかし、活字化され、学術誌に掲載された時点で、それは、学問的議論の俎上に乗せられたことを意味し、誰もが見られるし、誰もが批判できるようなものになったのである。羽生さんは、批判も恐れず、自分の正当性を信じて、この論文を公開したのである。研究する者としても、人間としても見事というほかない。彼の中には、矛盾も欺瞞も見栄もない。ただただ、フィギュアスケートへの愛とその未来のためにのみ行ってきたことなのだから。

 

 羽生さんは、雑誌掲載にあたって修正・加筆を行ったという。自分の論文が一言一句全文公開されるとしり、相当な決意と覚悟を決めて、これを発表したのだと思われる。

 一般にスケート連盟という組織は現役選手が「何か」言うことを嫌う。プルシェンコは、バンクーバーオリンピックで、自分への不当に低い評価に抗議してほしいとロシアの連盟に訴えたが、ロシアスケート連盟は、これを拒否し、その後はISUからいじめにも似た嫌がらせを受け続けた。こういうことも、羽生さんはすべて知っていたはずだ。

 にもかかわらず、正しくない技術も見逃され、批判されず、大きな得点が与えられる、現在の不公正なジャッジ体制の問題を自分の論文で扱ったのだ。

 なんと強靭な精神だろう! 志が高く、正しいと思ったことは躊躇なく実行にうつす、いかなる権威・権力にも媚びない。私は、その真っ直ぐな精神に、人間としての高潔さを見て、心から立派だと思った。

 その道は厳しいが、羽生さんの高い志を共有してくれる選手やコーチ、スケート界の同士は世界中にいる。有能でフィギュアスケートに精通したファン、そして私のように非力ながら、羽生さんのフィギュアと人柄をこよなく愛する熱烈なファンも世界中にいる。羽生さんは、理論的な研究を深めつつ、必ずフィギュアスケートを公正で美しいスポーツへと導いていくだろう。

                                       (2021年4月22日投稿)