それは、1月7日の夕方のことでした。


こどもたちが昼寝から起きて、私もブログチェックを終了して夕飯の支度をしようと思って立ち上がったとき・・・



突然、下腹部に激痛!!!



最近、年々、生理痛がひどいのよねぇ・・・


と最初はいつものだと思っていたのですが。。



こりゃ普通じゃない汗汗




ちょうど昼に『麻辛湯』っていう激辛の麺を食べたので、そのせいで体がおかしいのだと思いましたが、なんだかそれだけでもなさそうで


運悪く、ダンナはその日大事な食事会があって、必ず行かないといけなくて、でも尋常じゃない痛みに私も不安になって携帯に電話しました。


でも、まだ帰れないから、少し我慢してって。


義母もいましたが、軽い食あたりでしょうから夕飯食べたら薬でも飲みな~くらいの軽い感じで。


でも、下痢も嘔吐も始まって、食事をたべるどころじゃないっつうの!!


なんだか出産直前の、陣痛のような激しい痛さ。ヘンな汗も出てくるし。


そのうち目の前が真っ暗になってトイレで倒れ、それでも今日はダンナは大事な用事だから、子供たちを寝かしつけるまでは私が頑張らなきゃ・・・


夜9時までなんとか我慢しましたが、もう限界、このままでは死んでしまうと本気で感じ、救急車は自分で呼べないので、再度ダンナに『救急車を呼んでくれ』とお願いしたら、その様子が普通じゃないと感じたようで、ようやく帰って来てくれました。



診断は・・・子宮外妊娠による卵管破裂


子宮内が血液で充満して、すぐにでも手術が必要とのこと。


有無を言わさず、そのまま緊急オペとなりました。



まさか妊娠しているなんて・・・

月のものが来ていると思っていたけど、実際は不正出血だったらしい。


夜の12時ころから、手術がスタート。



夜中だから、手術室は暖房も入っていなくて、先生も睡眠中でおきてきて・・・大丈夫か?

手術室内の推定温度は氷点下…暖房器具だけでは間に合わなくて、助手たちが直に火を燃やし暖をとる。(日本では考えられないずさんさ!)


私は言葉がぼんやりとしか分からなくて不安で、お腹が痛くて半分意識もうろうとしていて、でもとにかく助けてくださいってことだけ考えてた。こうなったらなるようになれ!って。


ダンナさんは途中でいなくなっちゃうし(実際は、輸血の血が足りなくなって違う病院に取りに行ってた)。



半身麻酔だから、意識はあって、だから余計に不安で。


でも、私は日本人で、言葉が分からないって、医師も看護婦もみんな知っていて、


わかりやすい言葉で、大丈夫、怖くないよ、すぐ痛くなくなるよ、みたいな言葉をずっとかけてくれていた。


不安と寒さで震えている私の手を握り締めてくれていた看護婦さんもいた。


すべてを中国のお医者さんに任せて、信じて、そして夜中の2時半、無事オペが終了。




手術室の外では、ダンナとダンナの弟(実際にはいとこ)が待っていた。


手術が始まったのが深夜だったにもかかわらず、電話一本で弟が手術費用を銀行から下ろしてきてくれて、輸血の血液も取りに走ってくれた。

(中国では手術費用先払いでした叫び)

なんといってお礼をすればいいのか・・・


ごめんなさいね、といったら


何いってるの、家族だから、そんなこといわないの!と優しく言ってくれるのが心に響いて涙が出ます。


私にも、中国の家族がいるんだなあ・・と改めて思った。



こっちのひとの、家族愛の深さには感動です。






輸血も受けましたが、通常の倍の出血をした私は、ひどい貧血だったそう。


右卵管を切除。大きめな豆粒のような筋腫も2個、出てきた。


今までの、いろいろなストレスも、なんだか無性にイライラしたり情緒不安定だったのも、今思えばこのせいだったのかも知れない。



自宅で待っていた義母はまさか私がそんなことになってるとは知らず、すぐ帰ってくると思ってたみたいで、すっごくびっくりしたらしい。



そんな感じで、入院生活がスタート・・・


子供たちは中国語が分からないから、私の居ない生活なんて大丈夫かしら・・・


私だって言葉分からないから、入院中どうしたらいいのか・・・


パパは自宅と病院を行ったり来たりして、でも基本子供たちのそばにいるようにして。


病院には、弟と義母の妹が交代で、24時間私のそばにいてくれた。


中国に来て、こんなことになるとは。


もちろん、みんな日本語は通じない。


必死で、知ってる限りの中国語でやり取り。


スパルタ的ホームステイって感じ。




そんな入院生活の様子はまた改めて書きたいと思います。