この話は時事録ではなく20年ほど前のノンフィクションです。

 

 

黙々とファセットカットをする日々が続いた。

作品を販売するわけでもないのに何の為にやっているのかかなりディープな趣味だ。

ファセットカットをしていて体力はほぼ使わないが一日数千回とルーペを覗きこみコンマ数ミリの粗探しを何度もする。

誤差が出ないよう精密カットする指先のコントロールに脳と目の疲れが酷い。

いつも午前4時頃に限界が来る。

私が一般的な社会人なら規則正しい時間に歯を磨き消灯し就寝するという流れ作業の様な一日の終わり方をするだろう。

無職な私は睡眠をとるために決められた時間に寝るのではなく疲労した眼と脳が

「おちる」毎日だ。

 

携帯電話が鳴った。

細く開けた瞼からはカーテンの隙間から強い光が差し込む。

この明るさはまだ朝方だろうな。

携帯電話の時計は午前6時6分。 

まだ寝ついて2時間くらいか…

こんな早朝に電話が来るのは小中学校の遠足中止の連絡網以来じゃないかな。

まだ瞼を閉じていたいし登録していない知らないナンバーが表示されていたので出るか出ないか少し躊躇した。

不着後に誰からだったのだろう? 生き別れ疎遠になってる家族に何かあったのか? 不安になるより出てしまった方が精神的には楽だ。

 

携帯電話が鳴っているほんの数秒間にこれだけの情報処理ができる人間の脳はどうなってるんだ。

交通事故の時のスローモーションの様、それだけ危機的状況だったのか。

 

「もしもし 小林です」着信した。

 

相手は糸魚川で常宿していたビジネスホテルの社長からだった。

糸魚川で姫川薬石の風俗研究をしている際に姫川薬石の漆器や原石をくり貫いて作った湯飲み ぐい吞み等があったら連絡がほしいと私がお願いしていたのだ。

そんな事はもうすっかり忘れていた。

それにしても朝早いな。

 

ちょうどファセットカットに行き詰まっていたし、また胃がやられDrストップされる前に息抜きでもしよう。

少ない蓄えだけで細々と生活している無職な私には時間だけはたっぷりあった。

私はいつも糸魚川へ行く際は下道で横浜から町田を抜け甲州街道に入るのだが今回の遠征は遠回りしたい気分だった。

 

横浜→相模原→道志みち→山中湖→河口湖→甲州街道北上→白馬→糸魚川

 

河口湖までは若いころバイクでソロツーリングしていたルートだ。

現在は道の駅など沢山出来てるから物色しながら移動するのも悪くない。

このルートは平日でも車の流れが悪い箇所がいくつかあるが富士山の根元を走り霊峰のスケールの前では自身の悩みや思考も含め全てがどうでもよくなる。

 

途中、ほとんどの道の駅に立ち寄り長野県諏訪の道の駅で仮眠した。

午前8時に横浜を出て糸魚川へ着いたのは16時間後の深夜0時頃だった。

海岸で車中泊し翌朝ビジネスホテルの社長が経営するお土産屋に行った。

 

社長から手のひらから少しはみ出す位の大きさの木箱を渡された

木箱には「姫川薬石 ぐい吞み 栄水作」と墨で書かれ朱印が押されていた。

中には姫川薬石をくり貫いた ぐい吞み 2個

これは姫川薬石という海岸に転がっている石ころではなく作品だ。

骨董的なオーラも感じる。

こんなの見せられたら手に入れたいではないか。

 

社長に作者の事や入手した由来を聞いたが取り壊した民家から出てきたものだから分からないとのこと。

木箱の経年変色や傷み具合からさほど古いものではないだろう。

 

宿を沢山利用してくれているからタダで持って行けと言う社長。

それは申し訳ないから支払うと言うと私。

日本人特有のお気遣い、譲り合い、こういうやり取りは長く続けたくないことをお互いアイコンタクトで分かっていた。

社長は「一泊の代金でこれを譲ろう」という。

私は今日この宿に一泊するからと合わせ二泊分支払い ぐい吞みを手に入れた。

 

本当はそのまま帰る予定だったのだが帰宅するのを1日延期した。

一般的なビジネスホテルのチェックインは15時位からなのだがここは着いて直ぐチェックインさせてくれる。

部屋に入り木箱をじっくり見た。

木箱に書かれた「栄水 作」

栄水とは糸魚川の方なのだろうか?

いつ作られたのだろうか?

本名ではないよね。

わざと磨きを甘くしているのか?

内部にバリがあるし完成品ではないのか?

見えてくるものと見えないもの

 

一泊したのも何かの縁か暗示だろう。

この糸魚川での24時間を無駄にすまい。

損得が働かない限りすぐ動く身軽さは私の身上。

 

PC検索は出来てもまだスマホが普及していない頃だった。

手に入れたぐい吞み入り木箱を持ち歩き糸魚川駅周辺のお土産店やヒスイ販売店や美術館を訪ね取材すると運よく作者のおおよその住所と本名が分かった。

その住所の近くを営業マンの如く100件ノックの様に訪ねて回ったら名字が作者と同じ表札のお宅にたどり着いた。

訪ねてみると歳は20代くらいであろう青年が応対してくれた。

ぐい吞みの木箱を見せると「あ~それはうちの爺ちゃんだ」と言う。

私は是非お会いしたいと告げるともう何年も前に他界したとのこと。

青年は「爺ちゃんここで作業していましたよ」 と庭を指さす。

薄暗く湿気を感じる長年放置されているであろう庭には雑木が生い茂り、沢山のヨモギとドクダミに覆われていた。

葉の隙間から隠れてこちらを観察しているかの様な気配を感じた。

よく見るとそこにはかなり錆び付いた機械や工具が放置されていた。

露天ににさらされ頑固に錆び付いた機械は手入れすれば直ぐに動き出しそうな。

何だろうこの感じこの感覚。

 

翌日

雑木生い茂る庭で厳しい顔をして姫川薬石の加工作業している巧翁の姿を想像しながら横浜への帰路へついた。

 

次回に続く