糸魚川

横浜からこの町に何度通っただろう

 

民宿的なビジネスホテルが常宿になっていた。

ホテル内ですれ違う人はほとんどブルーカラーの人達ですれ違うと作業服からはアスファルトの匂いがするから道路事業者関係なのだうか。

朝夕の食堂は昭和の飯場を思い出すような活気ある雰囲気だ。

食事はトレーに決められた料理を置くセルフサービス。

夕食時は特に賑やかになる。

工業用油の匂いが充満した食堂にいる大勢は皆同僚なのか缶ビール片手に現場の話で盛り上がっている。

アルコールが入り複数になると自己主張が強くなり気も大きくなるのは分かるが…

皆大声で笑い飛ばしながら飯を食う。

生卵を混ぜた米粒を口から飛ばしてるのを何度か目撃した。

アウェー感満載の食堂で私はいつも奥の端っこに座る。

学校の教室で例えると教壇に立つ先生から見て左奥の1番端の目立たない位置。

 

誰とも喋らない

誰とも目を合わせない

誰とも関わらない

ほっといてくれ

そう言うスタンスを主張する私

 

私の座るテーブルや足元に幾つかの米粒が落ちている。

セルフサービスだが拭き取りはあまりしないみたいでこれから飯を食う身としてはあまり快適とは言えない。

 

次回からは朝夕の食事なしのプランに変更だ。

 

20時以降になると廊下やエントランスの照明は消され、飲み物の自動販売機と非常口の灯りが足元を照らす唯一の光源で深夜の古い病院か少年自然の家の様な少し気味悪い雰囲気だ。

まだ20時だが食堂の賑やかさがいつの出来事なのか嘘のように静まり返ったホテル内。

部屋数は60室くらいあるみたいだが半分以上埋まってる気配はない。

私がここを常宿にしているのは宿泊料金が安いのと、いつも夜勤しているオヤジの愛想が良いこと。

何よりも予約なしの当日宿泊でも断られた事がないので急遽一宿確保出来るのはありがたい。

 

糸魚川に通いながら姫川薬石の研究を始めるようになりFMM(フォッサマグナミュージアム)での岩石元素成分の分析依頼など、憑りつかれたように行動がエスカレートしていた。

糸魚川へ多い時は1か月に20泊することもあり、一体自分が何がしたいのか何を追いかけているのわからなかった。

遥か遠くに微かに見える小さな灯りを見つけては歩く繰り返し。

 

地元の人を訪ねお爺さんやお婆さんから姫川薬石の風俗文化の取材をしたりした。

水瓶に入れてその水を飲んだり、風呂に入れたりと古い風俗、風習を聞いた・

(過去記事にも掲載してあるので割愛する)

 

昔から糸魚川では姫川薬石とは言わず【薬石】と呼ぶ。

半世紀前に新潟ローカル新聞の発信でちょっとした薬石ブームがあり、湯呑み、ぐい呑みといった製品が売れたらしい。

その頃から【姫川薬石】と通した呼ばれ方になったと思う。

年配者は現在でも【薬石】と呼ぶ。

姫川で拾える薬石、本来は【姫川の薬石】

 

 

まるで【源頼朝→源の頼朝】みたいだな。

 

次回に続く