あらゆる動植物が活気づく季節になってきました。

糸魚川のヒスイ商も観光シーズンが近いせいか、個人所有のヒスイの庭先取引も活発でやる気が感じられます。

糸魚川ヒスイに対する価値観は十人十色で、水石や置石として原石そのままの姿の眺めを重視する人や、加工商材として見る人に分かれます。

私は後者で主に自加工で使うヒスイを集めます。

商談場所には地元ヒスイコレクターからヒスイ商やヒスイ職人が顔を合わせることもあり、皆、見えない探り合いをしている感じで場が変な空気になります。

私はほとんど聞く側に徹しているのですが、あの人の勾玉は良い、あの人の艶出しはすごいとか、加工に使う工具はこれが良いとか、職人話に発展すると参考になる話も沢山出ますが、職人同士の火花が見えるようで私は早々と退散します。

その際に知り合いのヒスイ商からヒスイの勾玉や丸玉等の加工を依頼されるのですが、ヒスイの加工に関しては気が進まず特に勾玉制作は断ってばかりです。

やる気の出ない原因は自分でもわかっていて、勾玉の形の謎と艶について悩んでいるからです。

勾玉の形の謎に関しては自身のショップブログなどにも記載したことがあるのですが、勾玉は現在に至るまで形については解明されていないのです。

牙、胎児、月、魂、陰陽・・・・・などなど説は限りなくあります。

勾玉を制作する側としては絵画で例えると空想の形を創造で描くようなものです。

私はミロやシャガール、ピカソの様な天才、鬼才な偉人ではないので奥や先や潜んでいるモノが見えません。

ただ単に流れ作業的に同じ形で制作される勾玉に魅力を感じなくなってしまいやる気が停滞しています。

あとひとつは今回の記事のテーマである 艶 です。


艶 と言う文字を調べると


訓読み 「つや」 

音読み 「エン」


「なまめかしい」(艶めかしい)

「あでやか」(艶やか)


辞書で調べると漢字は同じでも音読みと訓読みの説明が違う


艶 (つや)

物の表面から出るしっとりとした光。光沢。「宝石を磨いて―を出す」
なめらかで張りがあり美しいこと。「若々しい―のある声」「肌に―がある」
おもしろみ。味わい。「芸に―が出る」


艶(エン)
あでやかで美しいこと。なまめかしいこと。また、そのさま。「―を競う」「―な姿」
情趣に富むさま。美しく風情のあるさま。
しゃれているさま。粋(いき)なさま。
思わせぶりなさま。
中世の歌学や能楽における美的理念の一。感覚的な優美さ。優艶美。妖艶美(ようえんび)。


一般的にヒスイや宝石などの艶と言うのは磨いて光沢を出すことだと思うのですが、この艶にも悩んでいます。
私の工房に木工職人、シルバー職人、石職人が遊びにいらっしゃるのですが、艶出しの話が必ず出てきます。
木の艶、シルバーの艶、石の艶  興味深い話で面白いのですが、その都度悩みます。
石材で出来た古代勾玉の艶は現代みたいなピカピカな光沢があったとは思えないのです。
古代の石器研磨には砂岩等を利用していますが現代のような優秀な研磨剤や工具を使い鏡面になるほどの精度があったとは思えません。
いったいいつからピカピカな艶を出す文化になったのだろうか・・・・・
ワックス仕上げや鏡面研磨は綺麗に見せるための手段で、究極を求めず、ただ単にピカピカの鏡面研磨であれば同じ工具、同じ材料と少しの経験があれば似たような仕上がりになります。
現代の勾玉職人の研磨技術は素晴らしいですが、いったいそれに何を求めているのか若輩な私には理解が出来ず、悩んでしまいます。
石本来の美しさや、風情、私の求めているのは艶(つや) ではなく 艶(エン) かもしれません。

前置きが超長かったですが、画像を紹介します。
シルバー950地金で制作した簡素なリングです。

バーナーを使い、ロウ付直後なのでこんな感じです。

酸浸け後、シルバーを磨く工具で磨くとピカピカになります。

私はシルバー職人ではないのでシルバー研磨に究極を求めていません。
それでも素人の私でもここまで磨けます。
使用していると日常で出来る細かい傷や酸化でこの光沢は日々失われます。
ピカピカ状態が好きな人は定期的にお手入れをしながらピカピカを維持しなければなりません。

私はアンティーク感のあるシルバーが好みなので放置。

磨くのではなく、放置することで艶(エン)が出ると思うのです。
その人が使用した大切な時間と思い入れがリングに宿り、妖艶となるような・・・・・・・

薬石屋なので薬石

このままでも素朴で美しいのですが、ワックスではなく手磨きで息吹を吹き込みます。


薬石も触れる度に使用感が増し濃い色味になります。
これも艶(エン)かな。

ヒスイも自分なりの艶(エン)を見つけつつありますがそれはまた次回に