松代城石垣

松代城石垣案内板

※「国史跡松代城跡」本丸内石垣と案内板…松代城には、本丸部分のみ石垣が築かれていますムキー

 

田丸直昌は、蒲生氏郷の妹婿でもあり、蒲生氏郷が手掛けた多くの築城にも携わっていたと考えられますゲロー

 

松代城の石垣も、田丸が連れてきた石工集団(近江穴太衆)によるものであると考えられ、非常に高い石垣築造技術が見られますデレデレ

 

 

 

 

松代城3️⃣  100名城No.26

 

 

松代城には、今回初めて行きました。

 

松代城は、平城に属しますが、「甲州流築城術」が随所に見られる「名城」です。

 

明治期の廃城令により、建物は壊されてしまいましたが、櫓門などが木造復元され、在りし日の松代城の姿を取り戻しつつあります😃

 

 

太鼓門

※「国史跡松代城跡」本丸復元太鼓門…現在(2024年3月まで)工事予定とのことで近づけませんでしたチーン

 

北不明門の約1.5倍ある大型で武骨な櫓門です真顔

 

 

  松代城 日本100名城 No.26

 

松代城は、上信越自動車道長野インターを降りて約2kmほどのところにあります。

 

松代城には、南側に広い市営殿町観光駐車場があります(無料)🚗

 

松代城入城料は無料です。

 

平日でしたので、人はまばらでした。

 

建物は、明治期に全部壊されましたが、太鼓門、北不明門などが木造復元されています🤩

 

では、松代城の主な遺構をご紹介させて頂きます🙇

 

 

  ⑦松代城の遺構〜本丸太鼓門、前橋

 

 

本丸の玄関口となる城内最大の櫓門「太鼓門」と堀に架かっていた「前橋」があり、幕末期の絵図に基づいて太鼓門(櫓門)、橋詰門(高麗門)が忠実に木造復元され、枡形を形成しています。

 

「前橋」は、僕が訪れたときは、復元工事中でした。

 

 

東不明門跡付近の石垣、堀

※「国史跡松代城跡」本丸東不明門付近の石垣と堀…東不明門は太鼓門、北不明門のような桝形を形成しておらず、高麗門のみの構造だったようですニヤニヤ

 

この付近の石垣も、田丸によるものと考えられます真顔

 

現在、太鼓門橋の工事と石垣の調査などにより水堀でなく「空堀」になっていますゲッソリ

 

 

 

  ⑧松代城の遺構〜二の丸埋門と土塁

 

 

本丸復元太鼓門から左へ行くと、管理棟があり、造園業者さんが草刈りをされていました。

 

北へ進むと人ひとりが通れる石垣造りの埋門跡があります。

 

「埋門」を取り入れている城郭は多いですが、長大な土塁にポッカリ穴が空いている状態で、甲州流築城術を垣間見ることのできる重要な遺構であると思いました。

 

かつては埋門の上に巨大な多聞櫓が建ち、土塁の上には土塀が張り巡らされていました。

 

 

 

 

  ⑨松代城の遺構〜北側土塁

 

北側土塁は、江戸時代後期に北の外堀の役割を果たしていた千曲川の流路を替え、百間堀、新堀を造り防御力を高める工夫がされています。

 

北側土塁の大部分は明治〜昭和にかけ削平され、一部分しか残っていませんが、当時の土木技術の高さを知ることが出来る遺構です。

 

  ⑩松代城の遺構〜本丸北不明門

 

本丸北側を守る門で、表門(高麗門)と北不明門(櫓門)で構成され、南側太鼓門と同じ枡形を形成しています。

 

太鼓門枡形と同じく、幕末時の絵図に基づいて、忠実に木造復元されています。

 

  ⑪松代城の遺構〜本丸戌亥櫓台

 

かなり巨大な櫓台で、豊臣(田丸)時代は巨大な三階櫓(天守)が建てられていましたが、何らかの理由で失われ、幕末まで本丸四隅に、二重櫓が建てられていたようです。

 

真田時代には、戌亥櫓台に二階櫓が建てられており、巨大な櫓であったとされ、天守相当の役割を担っていたと考えられます。

 

  ⑫松代城の遺構〜本丸石垣、本丸御殿跡

 

本丸石垣は、豊臣(田丸)時代に築造されたと考えられ、「打ち込み接ぎ」積みの「織豊系城郭」の典型とも言える石垣です。

 

平成に修復され、当時の豪壮さが想像できます。

 

本丸御殿跡は、江戸時代中期まで存在していましたが、火災で消失、南西の花の丸(現在は消滅)に御殿を造り、政務を行っていたようです。

 

 

二の丸石破門跡

二の丸石場門案内板

※「国史跡松代城跡」二の丸石場門跡…二の丸東口を守る門で、礎石が良好な状態で残っていますちゅー

 

復元計画があるようですウインク

 

 

 

  ⑬松代城の遺構〜二の丸石場門跡

 

 

二の丸東側を守る門で、比較的簡素な造り(高麗門か薬医門形式)の門で礎石が良好な状態で残っています。

 

石場門は、木造復元計画があり、二の丸堀、馬出しなどの復元計画が長野市より発表され、徐々に松代城は往時の姿を取り戻していくことを強く願います。

 

 

松代城の100

※「松代城」100名城スタンプ…真田邸入口付近、真田信之公銅像近くにありました真顔

 

「真田邸」は「新御殿」と呼ばれ、江戸後期の大名御殿遺構がほぼ残っていますウインク

 

  ⑭松代城の遺構〜城外御殿新御殿「真田邸」、藩校

 

100名城スタンプが、真田邸に置いてあり、押しに行きました。

 

「真田邸」は、元治元年(1864)、9代藩主幸教が父幸良正室貞松院の屋敷として造りました。

 

主屋、表門、土蔵7棟、庭園が完存しており、江戸時代の大名御殿建築として、大変貴重な遺構であると言えます。

 

藩校「文武学校」は、安政2年(1855)、9代藩主幸教により造られました。

 

当時の建物が、完存しており当時の藩校を知ることが出来る大変貴重な遺構です。

 

両方の建物が国指定史跡になっており、今回時間の都合で行けませんでしたが、今度信州に行った際は、是非とも行きたい遺構です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 長くなり申し訳ありません😓

 

終わります🙇

 

最後まで読んでいただきありがとうございます🙇

 

 

 

 

 

 


 

 

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