大手門公園案内板

※小諸城大手門公園案内板…大手門は小諸城三の丸の入口を守る門です ニヤニヤ

市営駐車場があります 真顔

JR小諸駅線路敷設により、三の丸は消滅、大手門が残り、現在は公園になっています 真顔

 

 

 

 

小諸城に行きました!3️⃣ 100名城No.28

 

 

小諸城(懐古園、懐古神社)には、今回初めて行きました。

 

小諸城は、平山城に属しますが城下?町より、低い位置に築城され、城下!町から見える、「穴城」と呼ばれる全国的にも「特殊な」城になります。

 

武田信玄が山本勘助に命じて、武田流築城術を駆使した曲輪群の遺構がほぼ完存しています。

 

大手門(重文)、三の門(重文)が残り、三の丸がJR線路敷設により消滅し、その間が分断されていますが、武田期〜仙石期の遺構がほぼ完存する城であることがよくわかりました😃

 

 

小諸城大手門案内板

小諸城大手門

小諸城大手門

※小諸城大手門と案内板…巨大な櫓門で、「センゴク権兵衛秀久」が慶長12年(1612)に建てた門と言われています 真顔

桁行7間(約13m)梁間3間(約5.5m)もある巨大な櫓門で、桃山期の豪壮且つ武骨な戦闘を意識した貴重な遺構です ウインク

明治期に、料亭に売り払われ利用されていましたが、小諸市が買い戻し、平成16年~20年にかけて修復工事を行い、創建当時の姿を取り戻しました ニヤニヤ

平成5年、三の門とともに国の重要文化財に指定されています ポーン

 

 

 

 

  小諸城(懐古園、懐古神社) 日本100名城 No.28

 

小諸城(懐古園、懐古神社)は、JR小諸駅から約5分のところにあり、現在本丸には、「懐古神社」が建っています⛩️

 

小諸城には、大手門公園駐車場があります(2時間無料)🚗

 

巨大な櫓門「大手門」「三の門」が現存しています🤩

 

天守台も完存しており、「センゴク権兵衛」時代の豪快な野面積み石垣が残っています😍

 

では、小諸城の主な遺構をご紹介させて頂きます🙇(僕が行ったところのみのご紹介になります…スミマセン😓)

 

 

 

小諸城懐古園パンフレットと入場券

※小諸城パンフレットと散策券…入城料金がかかります(散策券おとな300円) ポーン

 

 

 

  ①小諸城三の門

 

「三の門」は、当初は仙石秀久が建てた櫓門がありましたが、寛保2年(1742)天然の堀であった「千曲川」が大洪水になり、三の門は、大破し大部分が流されてしまいました😰

 

現在見られる国重文の三の門は、明和2年(1765)牧野家3代藩主康成により再建され、仙石期の櫓門を忠実に再現したと言われます😯

 

桁行5間(約9m)、梁間2間(約3.5m)ある二階建ての巨大な櫓門です✨

 

白漆喰塗りの外壁は、江戸期の櫓門に多く見られますが、ほぼ仙石期の櫓門を踏襲していると思われます😁

 

櫓門の扁額には「懐古園」と書かれ、徳川16代宗家家達公の書によるものです😄

 

城の建物自体、現存する棟数が少ない中、江戸時代中期に建造された櫓門建築として、非常に貴重な遺構で、平成5年、国の重文に指定されています😃

 

 

※小諸城100名城スタンプ…小諸城料金所隣にある懐古園事務所「徴古館」内にあります 真顔

 

 

  ②小諸城二の丸

 

 

小諸城二の丸は、仙石秀久が武田時代の城郭を総石垣造りの城に改修したときに、拡張される過程で築かれたと言われています🤔

 

二の丸を仮に破られたとしても、二の門(櫓門があったようです)で防御します。

 

二の門が破られても、北の丸、南の丸を配し、敵を挟み撃ちにします。

 

さすが、戦国を生き抜いた「センゴク権兵衛」が残りの生涯をかけて、築いた城であることがよく分かる遺構と言えます

 

仮に北の丸、南の丸を突破したとしても、「紅葉谷」という巨大な空堀が掘られており、武田時代からある遺構と考えられます🤔

 

 

  ③本丸「懐古神社」、鏡石、天守台

 

本丸には、「最後の関門」として「黒門」が、空堀「紅葉谷」にかかる黒門橋を渡ったところにあります。

 

薬医門で、廃城後はお寺の門として、現存しています🤩

 

本丸には現在、明治時代に建てられた「懐古神社」が鎮座しています⛩️

 

本丸には、武田信玄の軍師である山本勘助が愛用した「鏡石」があり、「鏡石」の台座になっているのは「憩石」とよばれ、徳川秀忠が上田攻めの際、小諸城を本陣にした際に、腰掛けた石と伝わっています😀

 

本丸は、現在、神社の敷地が大半を占めていますが、御殿があったと考えられ、このような石に名前を付け、伝説を結び付けた上で、庭石に転用し、鑑賞していたと考えられます🤔

 

神社の奥に天守台があります。

 

本丸からは、神社に隠れて見えず、神社の左手を通ると天守台こっち→の看板がありました😍

 

本丸下にある馬場からみると、かなり高さ(約6m)があり、仙石秀久が3層の巨大な天守を築いていたとされています🏯 

 

残念ながら、仙石の造った天守は寛永3年(1626)の落雷?により消失したとされています⚡

 

ここからは、推測となりますが、仙石の築いた天守は取り壊されたのではないか?と思うのです。

 

天守の瓦は、「桐紋」(仙石家の家紋は「永楽通宝」ですので桐紋=豊臣家なのです)で、全面に金箔が貼られた「金箔瓦」が発掘調査で見つかっており、火災の痕跡も瓦などの遺物や石垣に見られていません。

 

仙石秀久の息子忠政が上田へ移封されたのが寛永元年(1624)とすると、その2年後、落雷(可能性も十分ありますが…)で「天守だけ」消失したのはおかしいと思うのです。

 

 

 

3代将軍家光が就任し、幕府も、秀久存命の時代は「容認」していた豊臣をイメージさせる「桐紋」をあしらった豪壮華麗な桃山期の「豊臣系天守」はいらないという結論に至ったため「取り壊された」のではないかと思うのです😫

 

 

 

本丸の下には、「馬場」が設けられており、1つの曲輪、武田家からの遺構であることから「馬出」であったと思われます。

 

また、仙石期に造られたとされる富士見櫓台(澄んだ天気の良い日には、富士山がよく見えるようです)には、「富士見櫓」が建っており、天守焼失?以降は、天守代用として機能していたようです😯

 

 

冨士見櫓からの富士山眺望地

※小諸城冨士見櫓台から見る富士山眺望ポイント…澄んだ青空のとき、「富士山」が見えるようです ウインク

 

 

  ④小諸城大手門

 

小諸城三の門を出て、JRに分断されている小諸城内(線路下のアンダーパス)を通り、少し歩くと「大手門」が見えます。

 

桁行7間(約13m)、梁間3間(約5.5m)ある三の門の1.5倍ほどある仙石秀久が建てた桃山期〜江戸初期の巨大な櫓門で完成年は慶長17年(1612)とされています😁

 

おそらく、大手門も天守と同じく

「金ピカ」にしていたと思われますが、瓦は全て葺き替えられ、華美な装飾は取り除かれています✨

 

明治時代の廃城時に売却され、料亭の建物になっていましたが、ほぼ創建時の状態をとどめており、三の門と同じく平成5年に国重文に指定され、平成16年から4年かけ、解体修理が行われました😄

 

小諸城大手門と櫓台

※小諸城大手門と巨大な櫓台…かつては太鼓櫓が建っていたとされ「小諸城のシンボル」的な存在でした 真顔

 

 

  ⑤小諸城その他の遺構

 

 

 

小諸城は、廃城令後も、残った大手門、三の門以外にも残っている建物が数棟現存しています😊

 

小諸城武器蔵

気づきませんでしたが、天守台の北西方向に文化14年(1817)6代藩主牧野康長により、建てられました。

 

明治時代に、売却され民家の土蔵などに使われたあと、小諸市が買い取り、江戸時代の絵図の地点に再建したようです。

 

後世の改変が著しく、文化財指定されていませんが、創建時の古材が一部残っており、価値の高い建物です🤩

 

小諸城足柄門

明治時代まで、大手門の西側を守る高麗門として残っていましたが、売却され、現在は市内の光岳寺の山門に使用されています😃

 

小諸城黒門

明治時代まで、本丸の玄関口を守る薬医門として残っていましたが、現在は市内の正眼院山門に使用されています😀

 

小諸城本丸御殿書院

詳細は不明ですが、本丸御殿書院部分が東御市の民家に、移築され現存しているようです🤔

 

 

  ⑥小諸藩主牧野家墓所

 

 

小諸藩主牧野家は、越後長岡藩牧野家の分家で、元禄15年(1702)に牧野康重が初代藩主となって以降、幕末まで歴代藩主を務めました😯

 

牧野家の菩提寺は、小諸城内にあった「泰安寺」でしたが、明治時代の廃仏毀釈で廃寺となり、墓所は〆掛墓地として残っています😢

 

再び小諸城に行く機会があれば、行ってみたいです🙏


  ⑦小諸市の戦国武将、大名の墓所

 

小諸市には、戦国大名、武将の墓は調べた限りではありません。


唯一、小諸城主で信玄弟武田信繁の「首塚」と伝わる墓がありますが、明治期に建てられたもののようです。


江戸時代の小諸藩主家の墓所として、前記の牧野家墓所と仙石のあとの藩主久松松平憲良の墓所が宗心寺にあるようです。




 

 

 

 

 

 

 長くなり申し訳ありません😓

 

終わります🙇

 

最後まで読んでいただきありがとうございます🙇

 

 

 

 

 

 


 

 

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