小諸城三の門

小諸城三の門案内板

※小諸城三の門と案内板…門上の扁額には「懐古園」の書があります真顔

徳川家16代家達公の書になりますニヤニヤ

三の門は、二の丸の入口を守備する巨大な櫓門です真顔

平成5年に国の重要文化財に指定されていますニヤニヤ

小諸城三の門

※二の丸から見た三の門の「裏側」…当初の三の門は、武田滅亡後、織田、徳川を経て秀吉家臣「センゴク権兵衛秀久」が小田原の役の戦功により、小諸5万石の大名に「復活」したときに天守(焼失)、大手門(現存)と同時に造られた建物でしたが、洪水により損壊しました滝汗

現在残る三の門は、明和2年(1765)小諸3代藩主牧野康成により建てられました真顔

仙石期に建てられた門を忠実に復元したとされ、桁行5間(約9m)、梁間2間(約3.5m)ある巨大で「武骨な」櫓門ですウインク

 

 

 

 

小諸城に行きました!1️⃣ 100名城No.28

 

 

小諸城(懐古園、懐古神社)には、今回初めて行きました。

 

小諸城は、平山城に属しますが城下?町より、低い位置に築城され、城下!町から見える、「穴城」と呼ばれる全国的にも「特殊な」城になります。

 

武田信玄が山本勘助に命じて、武田流築城術を駆使した曲輪群の遺構がほぼ完存しています。

 

大手門(重文)、三の門(重文)が残り、三の丸がJR線路敷設により消滅、その間が分断されていますが、武田期〜仙石期の遺構がほぼ完存する城であることがよくわかりました😃

 

小諸城全景案内板

※小諸城全景案内板…武田時代は本丸、馬場(馬出)、北の丸、南の丸、本丸南西冨士見櫓、本丸南を守る複数の曲輪で構成された武田流築城術の「傑作」というべき城です真顔

「センゴク権兵衛秀久」は、武田の縄張りを維持し、さらに東に二の丸、三の丸を拡張し、小諸城を難攻不落の総石垣の要塞「穴城」に仕上げたと言われますポーン

 

 

 

  小諸城(懐古園、懐古神社) 日本100名城 No.28

 

小諸城(懐古園、懐古神社)は、JR小諸駅から約5分のところにあり、現在本丸には、「懐古神社」が建っています⛩️

 

小諸城には、大手門公園駐車場があります(2時間無料)🚗

 

小諸城入城料は、小諸城内散策のみは、おとな300円、中学生以下100円です。

 

城内には、「藤村記念館」「動物園」「徴古館」「小山敬三美術館」「小諸義塾記念館」があり、見たい方は、共通券おとな500円、中学生以下200円です。

 

平日にも関わらず、多くの人がいました

 

巨大な櫓門「大手門」「三の門」が現存しています🤩

 

天守台も完存しており、「センゴク権兵衛」時代の豪快な野面積み石垣が残っています😍

 

では、小諸城が歩んだ歴史をご紹介させて頂きます🙇

 

 

二の門跡

※小諸城二の丸からみた二の門跡…二の門も仙石秀久により建てられました真顔

三の門クラスの巨大な櫓門と高麗門で桝形虎口を形成していました真顔

 

 

  ①小諸城の歴史〜戦国時代(武田信玄〜勝頼期)

 

小諸城は、中世(室町期)から存在しており、かつては信濃の名族「大井氏」の居城でした😀

 

小諸城は、信州東部に位置し、甲斐国の西北方面の防衛拠点として、信玄に重要視されていました。

 

大井氏滅亡後は、信玄が直接、軍師山本勘助に命じ、勘助は武田流築城術を駆使した「縄張り」を行ない、小諸城を「大改修」します⛏️

 

城主は、信玄実弟で武田軍副将「武田信繁」が城主でした🤔

 

城代には、武田一門衆にあたる「下曽根氏」が務めており、武田氏が甲斐国の西方玄関口として「小諸城」を重要視していたことが分かります😁

 

信玄死後、勝頼期になると、勝頼が最も信頼を置く一門衆の従弟「武田信豊(信繁の息子)」が城主となりました😄

 

しかし、最強を誇った武田氏も長篠・設楽原の戦いで敗北、勝頼は、立て直しに孤軍奮闘しますが、徐々に弱体化していきます🌒

 

天正10年(1582)織田・徳川連合軍の「甲州征伐」が始まります⚔️

 

裏切者木曽義昌討伐に向かった信豊ですが、逆に大敗し、甲斐に敗走してしまいます😢

 

勝頼は、自らは甲斐国内の小山田がいる岩殿山へ行き、信豊には小諸城を経由して、真田がいる岩櫃へ行くよう命じます(どちらかが生き残れば、武田は存続できると考えた勝頼苦肉の策だったと思います)😔

 

信豊は、僅かな人数で小諸城に向かいますが、城代の下曽根浄喜に裏切られ、本丸に入れず壮絶な討ち死にを遂げます😭

 

詳細は、再度甲府に行ってから、武田家滅亡の投稿をさせて頂きますので宜しくお願いします🙇

 

 

二の門跡階段

※小諸城二の門跡の階段…二の門を突破して安心したのもつかの間、武田流の「怖いですねえ・・・」の仕掛けが待ち受けていますポーン

中仕切り門跡

※小諸城中仕切門跡…階段を上った先に待ち受ける薬医門と思われる遺構で大きな礎石が残っています真顔

 

 

  ②小諸城の歴史〜安土時代(織田時代→武田最後の忠臣依田信蕃)

 

 

武田家滅亡後、小諸城は織田重臣「滝川一益」の家老道家正栄が城主となります。

 

しかし、武田家滅亡の2ヶ月後、「本能寺の変」が起こります😱

 

滝川は、当時上野におり、「わしが関東管領じゃあ!」と北条討伐に向かいますが、北条氏政にコテンパンにやられ、ヒィヒィ言いながら小諸城まで逃げ帰ります😫

 

その「小諸城」にやって来たのは、武田研究の第一人者平山優先生が激賞する織田・徳川の甲州征伐時、最後まで抵抗し、徳川家康も武田家に対する忠心を褒め称えた猛将「依田信蕃」です😍

 

依田信蕃は、武田滅亡を知ったあと、家康の助けもあり、遠江に潜伏します。

 

本能寺の変後、家康に説得され、はじめは拒みますが、遠州潜伏の手助けをしてくれた家康に対し、恩義を返すため家臣となり小諸城を明け渡すよう、滝川と交渉します。

 

実際滝川は、明智を討った羽柴秀吉に織田家の主導権を握られるのを怖れて、一日も早く、居城伊勢長島に戻りたかったようで、人質を家康に預けることを条件に速攻、長島に戻っています🤩

 

 依田信蕃は、小諸城に入城し、「天正壬午の乱」でも大活躍し、北条勢を撃退、信蕃の器量に惚れ込んでいた家康に「松平姓」を与えられています😃

 

家康は、のち秀吉に臣従、家康関東移封に伴い依田も関東へ行きました🤔


依田信蕃?誰?と歴史ファンの方でも知らないマイナーな武将ですので、信蕃の生涯については、墓が信州の「蕃松寺」とお寺にあるようなので、行ったときに投稿させて頂きます🙇

 

北の丸跡

※小諸城北の丸、南の丸跡…中仕切門を突破すると本丸黒門橋が見えるほぼ直線の道が見えますニヤニヤ

少し油断した敵は、前方に見える本丸黒門橋に突撃しますが、この直線の道には武田の「罠」が仕掛けてあるのですポーン 

北の丸、南の丸は黒門橋の直線道路の両側にある巨大な曲輪で直線を本丸に向かって進む敵を「挟み撃ち」にし、「殲滅」する「怖いですねえ・・・」の施設なのですゲロー

今の北の丸は、弓道場になっており、弓道部の学生さんが練習していましたニヤニヤ

南の丸は草ぼうぼうになっていますが、在りし日の「武田の城」の面影を残しています真顔

 

 

黒門跡

※小諸城黒門跡…本丸入口を守る薬医門で明治に市内の寺院に買い取られ現存しています(巨大な礎石が残っています)真顔

黒門前には黒門橋(写真撮り忘れましたスミマセン)が架かっており、いざ籠城となった際には、橋を落とせば、手前には巨大な空堀「紅葉谷」が広がっており、北の丸、南の丸の同時攻撃を生き延びた敵に向かい黒門から弓矢、鉄砲を撃ちかけ、敵を谷(空堀)に叩き落とす「ほんとに怖いですねえ」の施設ですチーン

籠城戦になれば、「兵糧攻め」にするしか手段はないと思いますチーン

現在、「紅葉谷」は晩秋には真っ赤な紅葉に包まれる「名所」になっていますニヤニヤ

 

 

  ③小諸城の歴史〜桃山時代(豊臣家臣「センゴク権兵衛」)

 

 

僕は、大河ドラマなどの映像、歴史小説、小和田先生や平山先生の専門書も好きですが、「漫画」も大好き❤です!

 

映像は、役者さん、漫画は、作家さんによって若干イメージの違いは、ありますが小説や専門書と違い、武将のイメージが想像できるからです!!!

 

残っている肖像画である程度のイメージは出来ますが、武将の肖像画の上には「讃文」という礼讃文(故人の生前の功徳などを僧侶が書いたもの)が書かれた肖像画が殆どを占めています。

 

要するに、本人の死後、子孫や家臣が描かせたものが大半でちょっと恰好よく描かせている、つまり「盛っている」のです🤔

 

読んでくださっている皆さんにも一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌法要などいわゆる「法事」に行かれたご経験のある方は多いと思います。

 

なぜ、このような話をしたかと言うと、一部の肖像画では、三十三回忌はまだマシで五十回忌、なかには百回忌を記念して、描かせている肖像画まであるのです(顔知ってる奴おらんやろ!ってツッコミたくなります)!!!

 

ですので、写真が登場していない明治時代以前の「肖像画」は信憑性に?がつくのです😓

 

話がかなり横道にそれてしまいましたが、漫画やドラマなどの映像は、ほんまにそうなん?という疑問は置いといて、限りなくこの武将や大名は、こんな感じの顔だったんかなと想像させてくれるアイテムなのです!

 

 

漫画「センゴク」は、比較的マイナーな戦国武将「仙石権兵衛秀久」の生涯を信長、秀吉、家康のみならず、信玄、謙信などたくさんの有名な戦国武将、大名が登場し盛り上げてくれます。

 

 

 

「センゴク」「へうげもの」はかなりオススメできる「漫画」ですね😯

話を小諸城に戻しますと…

 

現在残っている「小諸城」は、5万石で大名に「復活」(詳細はいずれ、仙石秀久の墓に行ったときに、生涯を説明させて頂きます🙇)した仙石秀久により、武田時代の「土塁の城」の縄張りは残した上で「総石垣造りの城」に改修しています🏯

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長くなり申し訳ありません😓

 

続きます🙇

 

最後まで読んでいただきありがとうございます🙇

 

 

 

 

 

 


 

 

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