信玄堤

信玄堤

※約400年人々を「水害」から守った巨大インフラ設備「信玄堤」ニヤニヤ

 

 

 

 

信玄堤公園

 

 

武田氏館に行ったあと、甲府市内のホテルに一泊し、朝一で長野県方面に向かいました🚗

 

甲府は、武田氏を知る上で、重要な建築物や史跡がたくさんあります✨

 

実際、計画通りには行かず、勝頼公墓所景徳院、逍遥軒墓所逍遥院、一条信龍墓所上野城址に行きました。

 

しかし、それだけでは、なぜ戦国最強と呼ばれた「武田家」があっけなく滅亡したのか?という疑問が解消出来ませんでした😔

 

来年、必ず甲府へもう一度行って、事前に武田氏研究の第一人者平山優先生など、武田氏関係の本などを読み「学習」してから巡りたいと思いますので、そのときに投稿させて頂きます。

 

景徳院から恵林寺へ行こうと思って、運転している途中に「ぶどう園」がたくさんあったので、つい寄り道をしまくってました🍇

 

よって、恵林寺、新府城、武田八幡神社など「最重要ポイント」をスルーせねばならない状態になりました😭

 

長野県に行く道中、「信玄堤」を見ることができましたので、投稿させて頂きます🙇

 

小諸城に行く前に、行きました😅

 

抜けてまして、スミマセン😓

 

 

信玄堤案内板

※信玄堤と御勅使川・高岩案内板…信玄堤の工事は、武田家の戦国時代最先端「土木技術」の結晶と言えます! ポーン

 

 

 

  信玄堤公園

 

信玄堤公園は、甲斐市にあります⛲

 

公園には、駐車場があります🚗

 

朝一9時頃に行きましたが、明らかにサボってそうな「営業用車両」が数台止まってました(ひとのことは、言えませんが😅)。

 

 

 

では、信玄堤をご紹介させて頂きます🙇

 

 

やまなしの歴史文化公園案内板

信玄堤案内板

※やまなしの歴史文化公園、信玄堤案内板…信玄堤周辺は公園化され、市民の方々の憩いの場、毎日働くサラリーマンの休憩所となっています 真顔

 

 

 

  ①信玄堤〜甲斐国の自然環境

 

 

古代から「河川」は、人々が生活するために欠かせない「施設」ですね😀

 

「水」が無いと、人々は生活出来ませんし、現在もそうです💧

 

甲斐は、山間部盆地ですが、多くの河川があり、「信玄堤」が造られた西側にあたる「釜無川」「御勅使川」も洪水が頻繁に起こる「暴れ川」でした😫

 

「水」があるこの地域には多くの人が古代から住んでいた形跡があり、縄文〜古墳時代の遺跡も点在しているようです😁

 

しかし、「頻繁に洪水被害が起こる暴れ川」に、「定住」する人は少なく、室町期までは、ごく少数の「村」があるだけでした。

 

いくら豊富な「水」があるとしても、洪水のたびに、作物を収穫できなければ意味がありませんよね😓

 

田畑を耕し、作物(食料)を収穫し、家を建てて、定住できれば何も問題ないですし、ひとつのおおきな「ムラ」や「マチ」ができます。

 

せっかく作り、収穫を控えた作物(食料)、建てた家を「洪水」で失うリスクが大きい「土地」には、誰も住みませんよね😂

 

昔の人々は、現代人の我々より、自然災害に敏感で、「人が住めないところ」を良く知っていたと言われます😊

 

昔から(江戸時代、あるいはそれ以前)ある「ムラ」「マチ」は災害のリスクが少ない土地なのです。

 

「リスク」を減らし、川沿いにある「肥沃な土地」を有効に利用するにはどうすればよいのか?

 

戦国時代の「甲斐国主」武田晴信(信玄)は考えました😄

 

1.水の流れが急なところを見つけ、その手前を狙って「障害物」を造り、それにより流れを緩くする!

 

2.長雨、台風時に洪水になる箇所を調べ上げ、川幅を広げる

 

3.川幅を広くしただけでは、洪水は防げない=巨大な堤防をつくる

 

4.巨大な堤防をつくりその上に、根を張る強い樹木を植え、堤防を補強し巨大な「護岸」をつくる

 

5.定期的な「護岸」補強、整備を行ない、まわりの「肥沃な土地」に人々を住まわせ、作物(食料)をつくる=「ムラ」をつくる

 

6.河川を「水運」に利用、経済を活性化させる=人々が集まる「マチ」をつくる

 

7.土木工事=武田流築城術=金山開発に秀でた職人、管理者(奉行)といった「ヒト=人材」を集める

 

以上は、NHKの番組で、歴史家の磯田道史先生、平山優先生、小和田哲男先生がおっしゃられていたことを参考に考えました🙇

 

武田晴信(信玄)は、「軍神」であり、「大政治家」なのです!!!

 

 

 

竜王用水

竜王用水案内板…

※信玄堤竜王用水と案内板…信玄堤完成後、信玄公は、トンネル掘削工事のベテラン集団「金堀衆」に「トンネル」を掘らせ、笛吹川の豊富な「水」を「上水」として町に供給、同時に「農業用水」として村に供給するシステムを作り上げました デレデレ

約400年経った現在でも「竜王用水」は「農業用水」として人々にとって欠かせない「施設」として活躍しています ウインク

 

 

 

 

 

  ②信玄堤の築造〜戦国時代

 

武田晴信(信玄)は、父信虎を追放し、21歳で国主となった天文11年(1542)から「信玄堤」の築造を始めます⛏️(※諸説あり)

 

晴信は、甲府盆地の中央部にあたる東の笛吹川、西の信玄堤を造った釜無川流域を早くから重視していたことがわかります🤔

 

まず、晴信は御勅使川と笛吹川の合流点である竜王から、流れが急になることに着目し、竜王に堤を築き、御勅使川を北へ、笛吹川を南へ、流路を変えることにしました🤔

 

笛吹川周辺の土地は、度重なる洪水により、肥沃な土地が広がっており、普請奉行原昌俊、昌胤、真田幸綱らに命じ、「竜王の川除」という「宿場町」を造らせました🤩

 

「竜王の川除」に移るものたちには、「税を免除」し、一帯を「非課税地域」にしました💴

 

信玄堤の工事は、移住希望者を中心に、土木工事技術に優れた「金堀衆」に施工を任せ、約延べ1万人を動員した大土木工事を行ないました⛏️

 

都度、補強を行いつつ、現在も残る「信玄堤」は約18年の歳月をかけ、ようやく永禄3年(1560)に完成したと言われています🤔

 

信玄堤完成により「竜王の川除」には、多くの人(農民や商人)が集まり、「竜王河原宿」という巨大な「宿場町」に変貌しました😃

 

「信玄堤」は単なる「巨大な堤防」だけでなく、普請奉行の原昌胤や真田幸綱ら中心に「石積み出し」「将棋頭」「堀切」などの流路を調整する人為的構造物を造っています。

 

また、河川の豊富な「水」を最大限利用できるよう、堤防にトンネルをつくり、田畑に供給する農業用水「竜王用水」を造りました🤔

 

 

笛吹川スポーツ公園

※信玄堤笛吹川スポーツ公園…早朝にも関わらずマラソン大会でもあるのかたくさんの人がランニングされていました 笑い泣き

 

築堤本陣石碑

※信玄堤築堤本陣記念碑…ここで信玄公は築堤奉行原昌胤らと工事の指揮を執ったそうです ムキー

この石碑は、自民党代議士故金丸信氏が建てられました

故金丸信氏は、現在の南アルプス市が地盤の政治家で武田家一族で家臣の金丸筑前守の子孫であると「自称」されていました ニヤニヤ

故金丸信氏は、「影のドン」「悪い政治家」の代表のような方の印象を受けますが、三人の立派な「息子さん」がいながら、「世襲」を一切認めなかった、世襲は悪癖だ!と言われた数少ない政治家と言えます  ポーン

 

 

 

 

 

  ③信玄堤〜江戸時代〜現在

 

「信玄堤」は、信玄死後、勝頼期にも、幾度かの改修を行った記録が残っています✨

 

武田家滅亡後、豊臣をへて江戸時代にも、「信玄堤」は、幕府支援のもと甲府藩主、甲府代官による改修が続けられ現在までほぼ完存しています😊

 

「竜王河原宿」も宿場町として、発展し続けました。

 

「竜王河原宿」には、甲州一の宮浅間神社、二の宮美和神社、三の宮玉諸神社からそれぞれ勧請した「三社神社」が古代から鎮座しており、「おみゆきさん」とよばれ毎年4月15日に水(災害)除けを祈願する例大祭が行われています🎆

 

 

 

「信玄堤」は、築造から400年経った現在でも、人々を災害から守り続けている土木建築史上でも類例のない「非常に価値のある文化財」と言えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長くなり申し訳ありません😓

 

おわります🙇

 

最後まで読んでいただきありがとうございます🙇

 

 

 

 

 

 


 

 

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