書寫山圓教寺 奥の院にある開山堂 | はりま男子⭐️

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アイドルになれず、教員免許を取得するも教員にもなれず、ものづくり応援団長として、がんばる姫路のものづくりを応援。その後、もったいない本部長として、ごみ減量と資源化、食品ロス削減に取り組み、現在、姫路フィルムコミッションでロケ誘致・ロケ支援をしています。

 
 
 
 
 

開山堂は書寫山圓教寺の境内の中で最も重要な建物である奥之院の中にある。

 

 

 

 

 

 

お堂は開祖性空上人が入寂された1007年に、上人の骨を祀るために建てられた。

 

 

 

勤行はここで千年以上に渡って毎日行われている。

 

 

 

現在の建物は1673年に建立され、江戸時代(1603~1867)の院建築の代表的な例である。

 

 

 

屋根を支える組み合わされた腕木は、有名な彫刻家左甚五郎(1624-1644に活躍)によって彫刻された三体の神話上の守護神(金剛力士)を含む、さまざまな精巧な彫刻で飾られている。

 

 

 

伝説によると、もともとは建物の四隅のそれぞれにひさしを支える神話上の守護者が1体ずついたが、四体のうちの一体は巨大な重量を支えることができず、逃げ出し、今日見られるのは残った三体だけである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

巨大な重量を支えることができず、逃げ出し箇所

 

 

 

天台宗の寺院に共通する建築様式に従って、お堂の中心は土間床になっている。

 

 

 

主要な祭壇は、どっしりとした漆塗りの扉と複雑な屋根を持つ大きな厨子を支えている。

 

 

 

お堂の天井は、御聖櫃の上の部分が高くなっており、性空上人の高貴な地位を表す象徴的な役目を担っている。

 

 

 

遺骨箱は、等身大の性空上人像の中に収められている。

 

 

 

彫像が2008年にレントゲン撮影されたとき、研究者たちはこの像の頭部に性空上人自身のものだと考えられているお骨が納められていることを発見した。

 

 

 

開山堂は国の重要文化財である。