震災から 早10日。
連日の報道を見ていると、
この恵まれた状態では、家でじっとしてるほか無く、
殆ど「籠城」状態 むっあせる
でも、
何もしないではいられない 貧乏性な私汗1
震災三日目には 寒い中泊まり勤務の主人と同僚の方に
毛糸の帽子を、三つも編みました叫び
喜んでくれた主人の顔が うれしいしあわせ~
そして今日、
震災後初めて、地下鉄で街中へ行ってきました。

街の建物は 一見 何事もなかったように
見た目の姿は変わっていませんでしたが、
道は大勢の人々でごったがえし、
みな一様に リュックや手にたくさんの荷物をもって
足早に歩いていました。
デパ地下にも行ってみましたが、店員よりも品物よりも 
買い物の人の方が 多いのでは無いか、と思うほど。
心なしか 街ゆく人々の服装も暗く、
華やかな街の雰囲気は、陰を潜めています。
あんなに物が並んでいたのに、商品棚は空っぽDASH!
こんな事が 現実に起こるんですね・・・ほろり

でも、近くの八百屋には野菜が入荷するようになり、
あまり並ばなくても 買える物も出てきました。
量に制限はありますが、灯油の配達も来るようになりました。
少しずつ、世の中が 動いている気配を感じます。
そう、まるで薄皮を一枚一枚 はぐかのように・・・


仙台平野の東側を、縦断するように作られた「東部道路」は
盛り土をして作られています。
防波堤としても役立つように作られたのだそうです。
道路として作るのには、高架橋の方が手早いのに
防波堤としても役立つように、わざわざ盛り土をしました。
そして、通り抜けられる場所が限られていました。
こんな災害が来るとは 誰もが思っていなかったのに、
それを見越して この道路を造った人たちは すごい!!
実際、この道路から西側に 津波の被害はありませんでした。
ちなみに
仙台の中心街の道路が とても広いのは、
戦後の焼け野原の時に、片側3車線の道路を作ったからです。
火災の延焼防止と車の時代を見越して、
当時としては無駄に広い道路を 設計した人がいたとか。
人間の知恵は、すばらしい・・・

でもその一方で、こんな非常こそ 人間性があらわになってしまう。
そんな人だったのか・・・なんてことは、知りたくなかった。
私だって勝手でわがままだけど・・・
人間、やっぱり最後は「自己保身」なんですかねぇ・・・涙