ロベール・ドアノー展のレポート。

ドアノーは『スナップ写真の天才』と呼ばれているが、
それだけではなく、実験的な探究心を常に持ち、
挑戦していく姿勢が多くの語り継がれる作品を生み出しました。
『正面から見つめるのは、挑発と同じだ。
ローライフレックスのなんと礼儀正しく包み深いことか』
この彼の内気な性格が、人との距離をおくことができ、
被写体の周りに空間が広がりました。
またちょっと引いた視点が、
モデルの緊張感を解き、
自然な被写体の姿を写すことができたのです。
私もよくポートレート写真を撮影しますが、
会話のコミュニケーションを積極的に行い、
うまくその人の個性を引き出していけるように意識して撮影しています。
写真を撮る行為自体もコミュニケーションの一種ですから、
コミュニケーションがうまくなれば、
写真もうまくなるかもしれませんね。
『私の仕事は俳優のようなものだ。
撮影する人物の皮膚の内側に入り込んでいくやりかただ。』
人々がカメラの存在を気にしなくなるまで
徹底的に彼らと楽しむ。それがドアノー流。
ドアノーのポートレートは
被写体と創り上げる共同作業。
ひたすら決定的な瞬間を待つ、
気配を消し、じっくり観察し、真実を切り出していきます。
緊張した顔では、その人の魅力は引き出せません。
いかに自然な顔、自然な仕草をとらえることが、
ポートレートの原点かもしれません。
『見た人に物語の続きを想像してもらえる写真をとりたい。』
写真は、コトバを使わない分、
流れている空気や、写真から想像される背景を
自由に頭の中で創造することができます。
写真の展示を観ることは、頭の中の旅行のようなものですね。
イメージの釣り人、待つことで得られる軌跡の瞬間をつり上げる
『私は釣り人だ。川岸に腰をおろし、釣り糸を垂らす。
そして獲物が食いつくのを待つだけだ。』
決定的瞬間といえば、アンリ・カルティエブレッソンの代名詞ですが、
ドアノーが撮ろうとした瞬間は、
もっとユーモラスで温かく、
特別ではない日常に流れている瞬間なのだと思います。
『写真は決して客観的な証言ではない。
写真は時間とともに本の間に挟んだ小さな押し花を
思い起こさせるような力を担うのだ。』
写真には、事実を証明するだけのものではなく、
イメージから新たなイメージへと、再構築するものなのだと思います。
ドアノーのスナップ写真は、不思議の国のアリスのような
ファンタジーあふれる物語ではなく、
一人の幸せな人生をフラッシュバックしていくような物語を
想像させてくれます。