アトピー物語の出番です!

 
 
 
私は、美容整形に120万円!も費やすほど、顔を利用して壮大なコントをしていました。
 
 
 
今日は、美容整形以前にしていたアトピーを使ってのコントです。
 
 
私は4歳で既にアトピー性皮膚炎を発症していました。
 
 
患部は耳たぶ・肘や膝関節内側。
肥厚した皮膚はパックリとジクジクと湿潤していました。
 
 
治療法は、幼児期から最強ステロイドを塗布する日々。(その時代の医療です。)
 
 
その頃は、小児アトピー性皮膚炎は、成長するにつれて自然治癒すると言われていました。
 
 
なので、大きくなるまでの辛抱だと思っていました。
 
 
ところが期待は外れ、思春期には、頭皮・顔・耳や鼻の穴・首・体幹へと移行するようになりました。
 
 
深刻に悩み始めたのは、社会人になってからのこと。
 
 
病院勤務中、感染対策で全身にアルコールを噴霧する度に、猛烈に沁みたから。
 
 
 
まぢで、毎回、拷問やで!!!
 
 
 
それから、白衣の襟や袖が関節に擦れて痛くて痛くてたまらず
自分で軟膏を塗布してガーゼに包帯で処置すると、今度はガーゼが患部に貼り付いて、剥がす時には出血する。
 
 
 
包帯での圧迫により、包帯を外すと血液循環が良くなるので、一気に痒みが増す。
 
 
 
入浴時も沁みるのが苦痛で、熱めのお湯にして、熱さで痛みをカモフラージュしていました。
 
 
 
見てくれも悪く、患者さまや医師達からも「どうしたの?」と聞かれ、説明を重ねました。
 
 
すると、多くの方々が、民間療法を大雑把に勧めてこられました。
 
 
それは優しさだったのでしょうね。
 
 
でもね、既に色々試してみて、あちこちの医療機関に足を運んだ私にとっては、そのような中途半端な情報提供は、ありがた迷惑でしかなかったのね。
 
 
辟易していたの。
 
 
私が欲しい情報は、行動レベルで、実践・継続可能な治療法だったから。
 
 
色々試してみて、完全に諦め切った26歳時、皮膚科界では世界的に有名な高知県の土佐清水病院の丹羽療法を知りました。
 
 
 
ある年配の男性患者さんが、テレビで知って教えてくれたんですね。
 
 
でも、その患者さんの言うことすらも聞けなくなっていて、お相手は御年配の患者さんだというのに我慢の限界で、患者さんなのに言ってしまったの。
 
 
 
「私は信じません!もう懲り懲りです。みんな治るって言うから、色々なことをしたけど、治らなかった!私はもう騙されたくありません!!!」
 
というようなことを、、、強く訴えました。
 
 
その患者さん、そんな私の態度にも動じず、
 
「じゃ、最後にもう一度騙されるつもりで行ってみたら?」
「もう騙されたと思って行けば良いじゃない!それで治ったら儲けモノでしょう!」
 
ナント!
おじさま、抵抗する私を説得にかかったのです。
 
 
実家の母にその話をすると、
 
「お母さんも知ってる。テレビ、観た」
「行って来たら。騙されたと思って」
「お金は、お母さんが出すから
 

医療費は、自由診療で高額医療になることもあり
 
「今まで母親らしいことはしてこなかったから、それはお母さんが支払いたい」と言うので甘えました。
 
 
これでも治らなかったらどうしよう…お金をドブに捨てるようなものだな〜という不安を抱えながら土佐清水に行きました。
 
 
副院長先生が、私の肘関節内側の患部に素手をあてがいました。
涙が溢れました。
 
 
医療現場で、素手で患部を触るなんて言語道断なので…
先生の手の温もりが心に沁みました。
 
 
これが本物の手当て
 
 
皮膚の肥厚の程度を感じ取る触診の意味があったのだけど
私は、それ以外の意味を勝手に感じました。
 
 
治療中、アトピーを「ぴー子」と命名し、
大切に皮膚を育てました。
 
 
2週間で皮膚炎は治りました。
 
 
健康な皮膚の便利なこと!!!
感動しました!
 
 
「スッゲーーーな!みんな、こんな良い皮(かわ)持ってんだ!!!」
 
という感じで。
 
 
沁みないし
痛くないし
出血しないし
シーツや衣類が汚れないし
他にも色々
 
 
治癒したことは本当に嬉しかった。
 
 
ところが、感じてしまったのね。
空虚感を
 
 
脳内はアトピー問題で埋め尽くされていた。
治癒したらアトピー問題が消えて、脳内にフリースペースが出来たわけ。
そのフリースペースが空虚感だったと思う。
 
 
それでとっても戸惑ったの。
 
「どうしよう。治っちゃった。」
「どうしよう。」
「私、醜くくなくなっちゃった。」
「どうしよう。アトピーを使えなくなっちゃった。」
「どうしよう。言い訳できなくなっちゃった。」
「どうしよう。どうしよう。どうしよう…」
 
こんな感じで、困った困った。
 
 
そして次の段階が、お顔コンプレックスからの美容整形。
 
 
フリースペースを今度は、お顔コンプレックスで埋めたの。
 
 
アトピー治療して
美容整形して
「醜さ」を一つずつもぎ取って
見えてきたモノは
 
 
「ダメではなくなっていく私の姿」
 
 
そんな恐ろしいモノ
見たくないわね。
 
 
今更ね。
 
 
だから、それを見ない為に
私には「醜さ」が必要だったのね。
 
 
何が何でも、「醜い私」でありたかったのね。
 
 
クレイジーでした^_^;
 
 
***
 
 
振り返ると、私にとってのアトピー性皮膚炎は、様々な役割を担ってくれた大切な存在でした。
 
 
売春から私を守るという大役も果たしました。
 
 
20歳時、看護学校の寮で、ふとした瞬間、売春を考えたことがあります。
男たちへの復讐心から血迷ったのね。
 
 
その時、この体を「気持ち悪い」と言われたくないな〜と思って、その道は却下したの。
 
 
そんなメリットもあったのです。
 
 
愛しい「ぴー子」と私の物語でした。
 
ぴー子❤️LOVE
 


with lots of love
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あなたの暮らしが
より輝きますように⭐️
 
 
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