前回のブログの続き↓

⇒自分では気づけない才能の話


自分の才能が分からないときには、
どうしたらいいのでしょうか。

 

私がおすすめしているのは、

身近な人に、自分の良さを聞いてみること。

です。

 

「私って、何が得意だと思う?」

「私のどんなところが役に立っている?」

「私が自然にできていることって、何かある?」


家族や友人、職場の人などに
聞いてみるといいですよ。

 

「人の話を聞くのが上手だよね」

「いつも冷静に考えてくれるよね」

「説明が分かりやすいよね」

「人の変化によく気づくよね」

と、自分では思いもしなかった答えが
返ってくるかもしれません。

 

自分にとって当たり前のことでも、
誰かがそこに価値を感じているのなら、
それは大切にしていい自分の良さです。

 

もちろん、
人から褒められたことだけが
才能というわけではありません。

 

まだ誰にも気づかれていない
自分の得意なことだってあるはずです。

 

誰も見ていないところで努力してきたこと。

うまくいかなくても諦めずに続けてきたこと。

 

そうした経験の中にも

自分の強みを見つけるヒントがあります。

 

「どんなことをしているときが楽しい?」

「人からよく頼まれることは何だろう?」

「頑張っている感覚がないのに、
自然にできていることは何だろう?」

「昔は苦手だったけれど、

今はできるようになったことは何だろう?」

 

こんなふうに考えてみると、

今まで気づかなかった

自分の一面が見えてくることがあります。

 

自分のことを探求するのは、
なかなか面白いものですよ。

 

 

  苦手なことを克服するより、得意なことを活かす

 

わたしたちは、

つい自分のできないことに

目を向けがちです。

 

「あれが苦手だから、できるようにならなきゃ」

「もっと勉強しなきゃ」

「もっと頑張らなきゃ」

 

もちろん、
必要なことを学んだり、
苦手なことに挑戦したりするのも
大切なことです。

 

でも、
何もかもできる人になる必要は
ないと思うのです。

 

人にはそれぞれ、
得意なことと苦手なことがあります。

 

自分が苦手なことを、
誰かが自然にできることもある。

 

反対に、
誰かが苦手としていることを、
自分が無理なくできることもある。

 

だからこそ、
人は支え合えるのではないでしょうか。

 

苦手なことはそれが得意な誰かの力を借りる。

自分の得意なことでは、誰かの力になる。

 

そんな、持ちつ持たれつの関係性が

素敵だと思います。

 

それなのに、つい、

自分にはないものばかりを見てしまう。

 

あの人のように話せたら。

 

あの人のように仕事ができたら。

 

あの人のように器用だったら。

 

でも、誰かの得意なことと、

自分の苦手なことばかりを比べていたら

自分の良さはいつまでたっても見えてきません。

 

誰かが簡単にできることを

あなたが苦手としているかもしれません。

 

でも、あなたが何気なくできることを

誰かは羨ましいと思っているかもしれない。

 

自分にないものを数えるより

自分にあるものを磨いていく。

 

そのほうが自分らしい生き方に

つながっていくように思います。

 

あなたの「こんなの普通」が、

誰かにとっての「すごいこと」かもしれませんよ。

 

 

本日も最後までブログを読んでいただき

どうもありがとうございます♪

 

 

本日も最後までブログを読んでいただき

どうもありがとうございます♪

 

 

 

 

  あなたの「当たり前」は、誰かにとっての才能かもしれない

 

「私には、これといって得意なことがないんです」

そんな言葉を聞くことがあります。

 

でも、私から言わせていただくと

「それ!気づいていないだけですからー!」

と。(笑)

 

得意なことがない?

本当に、そうでしょうか?

 

たとえば、

誰かの話を聞くのが得意だったり。

人のちょっとした変化に気づけたり。

初めて会った人とも、

自然に会話ができたり。

元気のない人に、

そっと寄り添うことができたり…等々

 

これらも

立派な才能のひとつだと思うのです。

 

でも、自分にとってあまりにも当たり前にできることは、

「そんなの誰でもできるでしょ?」

と思ってしまうんですよね。

 

ところがどっこい!

 

あなたが当たり前にできることを、

誰もが同じようにできるとは限らないんです。

 

ここに、自分の才能を見つける

大きなヒントがあるように思うのです。

 

  才能は、特別な能力だけではない

 

才能という言葉を聞くと、

人より優れた知識を持っている人。

何かで大きな成果を出している人。

誰にも負けない技術を持っている人。

そんな、目に見える能力を想像するかもしれません。

 

もちろん、それも努力の賜物の才能です。

 

でも、才能はもっと身近なところにも

あると思っています。

 

たとえば、

人の良いところを見つけるのが得意な人。

複雑な話を分かりやすく伝えるのが得意な人。

物事をコツコツ続けるのが得意な人。

みんなが見落とすような、小さなことに気づける人。

こうした力も、誰かの役に立つ大切な能力なんですよね。

 

そして、面白いのが、

自分では大したことがないと思っていることほど、

周りの人から評価されていることがある。

 

ということ。

これ、本当です。

 

自分にとって自然にできることでも、

他の人にとっては努力しなければできないことかもしれません。

 

それに、才能は生まれ持ったものばかりではありません。

 

これまでの経験や、何度も繰り返してきたこと。

苦手だったけれど、少しずつできるようになったこと。

そうした積み重ねの中で育てた力も、大切な強みです。

 

今では当たり前にできていることも、

振り返ってみれば、

たくさんの経験があったからこそ

身についたものかもしれません。

 

だから、自分の得意なことを考えるときには、

「人よりすごいことは何だろう?」

と考えるよりも、

「私は、何を自然にできているだろう?」

「これまでの経験で、どんな力を身につけてきただろう?」

と考えてみるといいですよ。

 

  自分の才能ほど、自分では気づきにくい

 

なぜ、自分の才能には気づきにくいのか?

 

それは、自分にとって当たり前のことほど、

特別なことだと感じにくいからなのだと思います。

 

呼吸をするように、自然とできてしまう。

だからこそ、その価値に気づきにくいんですよね。

 

たとえば、

誰かが困っていると、

自然に声をかけられる人がいます。

 

その人にとっては、

決して特別なことではありません。

 

ただ、気になったから声をかけた。

それだけかもしれません。

 

でも、声をかけてもらった相手は、

「気づいてくれて嬉しかった」

「声をかけてもらえて安心した」

と思っているかもしれない。

 

自分にとっての「普通」が、

誰かにとっては「ありがたいこと」になっている。

 

そう考えると、

自分の才能は、自分が思っているよりも、

ずっと日常の中で案外発揮されている。

 

そんな気がしませんか?

人前で話すのが得意な人もいれば、

人の話をじっくり聞くのが得意な人もいる。

 

新しいアイデアを生み出す人もいれば、

そのアイデアを形にするのが得意な人もいる。

 

それぞれに役割があって、

それぞれの良さがあります。

 

でも、いざ自分の得意なことを探そうとすると、

なかなか思いつかないものですよね。

 

では、自分では気づきにくい才能を、

どうやって見つけたらいいのでしょうか。

 

次回は、

自分の才能に気づくための、ちょっとした方法について

お話ししますね。

 

本日も最後までブログを読んでいただき

どうもありがとうございます♪

 

 

 

↓昨日のブログの続きです。

 

 

「あなたのためを思って言っているのに」

「せっかくやってあげたのに」

誰かに親切にしたつもりが、
思うような反応をもらえず、

もしくは、期待通りの結果にならなかったとき
がっかりする。そんなことを聞くことがあります。

 

これは家族関係からはじめ

どんな人間関係にもおける話です。

 

相手のために時間を使った。

困っていると思ったから、手を貸した。

良かれと思って、
自分なりに考えて行動した。

 

それなのに、
感謝されるどころか、
迷惑そうな顔をされたり、
断られてしまったり。

 

そんなとき、

「せっかく親切にしたのに」

と、腹が立ってしまうこともあるかもしれません。

 

でも、その親切は、

本当に相手が求めていたものでしょうか。


自分がしてあげたいことを、
相手がしてほしいことだと

思い込んでしまっているときがあります。

 

たとえば、

仕事で悩んでいる後輩に、
アドバイスをする。

 

自分が経験してきたことだからこそ、
同じ失敗をしてほしくない。

少しでも早く解決してほしい。

そんな気持ちから、
つい熱心にアドバイスをする。

 

でも、後輩はもしかすると、
アドバイスが欲しかったのではなく、
ただ話を聞いてほしかっただけかもしれません。

 

あるいは、
自分で考えて答えを出したかったのかもしれません。

 

そう考えると、

「相手のために何かをすること」と、
「相手が必要としていることをすること」は、
必ずしも同じではない。

という視点を持てます。

 

善意が、相手の負担になるときもある

それを見極めないといけないですよね。

 

親切というのは、
同じ行動でも、
相手が求めていれば助けになりますし、
求めていなければ負担になる。

 

それでも、どの親切心も
最初は優しさから始まっているもの。

 

でも、相手からすれば、

優しさと受け取れない場合がある。

 

そんなすれ違いもあるものです。

 

助けるつもりが、
相手の考える力や、
自分で行動する力を

奪ってしまっているかもしれません。

 

そして、もうひとつ。

“優しさ”を受け取る側には
“断りにくさ”が生まれることもあります。

 

相手が善意でしてくれていると分かるからこそ、
「結構です」と言いづらい。

 

ありがたいと思わなければいけない気がする。

 

喜んでいる姿を見せなければ、
申し訳ない気持ちになる。

 

つまり、
良かれと思って差し出した親切が、
相手に気を遣わせてしまうこともある。

 

忘れてはいけないことは、

自分がした優しさに、
相手の反応まで期待しないこと。

ということだと思うのです。

 

相手が喜ぶこともあれば、
必要ないと感じることもある。


自分の期待とは違う反応が

返ってくることもあると考え


相手の反応まで

自分の思い通りにしようとしない。

それが期待をしないということ。

 

では、どうすれば、
自分の善意を押しつけずに、
相手の力になれるのでしょうか。


ほんの少し立ち止まって、

「これは、相手が求めていること?」

と考えてみる。

 

そして、分からなければ、
聞いてみる。

 

「何か手伝えることはある?」

「話を聞こうか? それとも一緒に考えようか?」

「必要だったら声をかけてね」

そうやって、
相手が何が必要かを選べる余地を与える。

 

自分がしてあげたいことを、
一方的に差し出すのではなく、
相手が必要としていることを確かめる。

 

そして、断られたら、
その気持ちも尊重する。

それもまた、
優しさのひとつですよね。

 

せっかく助けようと思ったのに

断られたー!と腹を立てない。

 

ときには、
何もせずに見守ることが、
相手の力になることもあります。

 

手を差し伸べる優しさもあれば、
手を出さずに見守る優しさもある。

 

大切なのは、
どれだけしてあげたかではなく、
相手にとって何が必要なのかを考えること。

 

そして、
その人の力を信じることなのだと思います。

 

“あなたのため”は、

実は“自分のため”の言動だったり

する場合もあるので

気を付けたいものですね。

 

本日も最後までブログを読んでいただき

どうもありがとうございます♪

 

 

 

 

自分では気づかないところで、
誰かの力になっているものだと、

私は思っています。

 

ふとした言葉で誰かを励まし、
何気ない気遣いが、
誰かの勇気になっていたりしているものです。

 

自分では当たり前にしていることが、
誰かにとっては大きな助けになっていることもあります。

 

人の役に立つというのは、
必ずしも特別なことではないんですよね。

 

でも、ときどき、意図して

「もっと誰かの役に立ちたい」
「誰かに必要とされる人になりたい」

と思うことがあります。

 

誰かの力になれたら嬉しいですし、
「ありがとう」と言われれば、
自分の存在にも価値を感じられる。

 

それは、とても自然な気持ちだと思います。

 

ただ、ここで少し考えてみたいのです。

 

「人の役に立ちたい」という気持ちが、
いつの間にか「人の役に立つ自分でいなきゃいけない」

という自分の呪縛に
変わってしまうことはないでしょうか。

 

良かれと思ってしたことなのに、
相手に喜んでもらえなかった。

 

親切にしたのに、
感謝の言葉が返ってこなかった。

 

そんなとき、少しがっかりしたり、
腹が立ったりするかもしれません。

 

でも、もし本当に相手のためだけを思っていたのなら、
相手の反応に、そこまで心を動かされるでしょうか。

 

もしかすると、
相手に喜んでもらいたかっただけではなく、
喜んでもらえる自分でいたかったのかもしれません。

 

もちろん、認められたい気持ちが
悪いわけではありません。

 

ただ、その気持ちが強くなりすぎると、
相手のためにしていたはずのことが、
いつの間にか自分を満たすための行動に
変わってしまうことがあります。

 

親切だったはずの行動が、
相手にとっては負担になることもある。

 

優しさは、たくさん与えればいい
というものでもないんですよね。

 

以前、ある方から
「和光同塵(わこうどうじん)」
という禅の言葉を教えていただきました。

 

自分の光を和らげ、
周囲と調和しながら生きる。

 

自分の光が強くなりすぎると

影も濃くなる。

 

私はこの言葉を知ったとき、
人の役に立つということの意味を
改めて考えさせられました。

 

自分の才能や能力を、
誰かに認めてもらう(光らせる)

ために使うのか。

 

それとも、
必要としている人のために、
さりげなく差し出すのか。

 

同じ能力でも、
その使い方によって、
人との関わり方は変わってくるように思います。

 

人の役に立つために、
特別な自分になる必要はありません。

 

誰かに認められるために、
無理をして頑張り続ける必要もない。

 

自分がもともと持っているものを、
必要なときに、必要な分だけ差し出す。

 

そんな自然体の優しさについて、
今回は考えてみたいと思います。

 

続きは明日。

 

本日も最後までブログを読んでいただき

どうもありがとうございます♪

 

 

 

 

藤田瞳美です。

 

今日は小春日和ですね。

こんな言葉が目に止まりました。

「冬の厳しさを知っているから

春の暖かさが幸せに感じる」


真冬の寒さは厳しいですが

空気が澄んでいるおかげで

星が綺麗に見えたり

遠くの景色が綺麗に見える。


そして、冬の寒さを知らなければ

春の暖かさの有り難さに気づくことも

ないですよね。


この言葉を目にしたとき

わたしたちの心もそうだな。と

感じました。


心理学的に見ても

人の心も同じ構造をしています。


ずっと幸せな状態は理想ですが

そればかりでは、何が幸せなのか

見失ってしまうかもしれません。


そして、人生において

真冬のような時期は

誰もがあるもの。


ただ、その真冬の時期にこそ

自分の心がよく見えてくるもの

なんですよね。


わたしってこんなに弱かったのか?とか


そして、本当に大事なことや

大切なことに気づかされることが多い。


そんな心の状態の時は

辛くて苦しくて

早く抜け出したいかも

しれないけれど、

丁寧に向き合うことで

本当は言いたかった想いや

本当は分かって欲しかったこと

本当はやりたかったこと

が、あぶり出されてくる。


ずっと蓋をして

溜め込んでた想いが

この時期に溢れてくるもの。


心理学では

感情を抑え込み続けると

心はエネルギーを消耗して

何もプラスに考えられなくなるように

なります。


なので、行動したくても

怖くて行動ができなくなる。


それは、やる気だけの問題でもなく

甘えとか怠け者でもない。


ただただ、たくさんのことを

我慢しすぎただけ。


心の真冬の状態は

自分の気持ちを丁寧に紡ぐとき


本当はどうしたかったのか?

それに気づいたら、

「じゃ、どうしたらいいか?」

を見つけ出して、

あとは行動するのみ。


行動したら自然と冬から

抜け出せるものです。


厳しく辛く感じる時期こそ

心が変化の準備に

入っているサインです。


心の真冬の時期は

心が壊れているわけではなく

自分を深く理解するための

必要な季節だと思うのです。

 

梅が咲いてる🌸


本日も最後までブログを読んでいただき

どうもありがとうございます♪

 

 

 

 

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