5年前の3.11
私たち夫婦はまだ出会っていませんでした。
なんせ、紹介から始まった恋愛?からの結婚だったので。
昔風に言うと、お見合いです。
お会いする約束は取り付けていたのですが、震災があり、そんな状況じゃないということで延期に。
震災当日私は私が1年に1度任される、会議の最中でした。
正直、ここまで大きいと思わず、自分の身を守るということができていなかったなと反省です。
仕事場が20階だったので、揺れが大きく感じるだけだとおもってたんです。
だから、そんなに怖くなかった。
普通の大きな地震だとしか思ってなかった。
でも、対岸の自分の家のそばのコンビナートが爆発したのを見て、本気で怖くなった。
泣きたくなった。
両親の安否が不安だった。
その日は帰ることができず、職場に泊まることに。
でも、咳が止まらないつらい状況で眠れるわけもなく、一人吸引機を片手に廊下の片隅でうずくまっていた記憶がある。
大人喘息?とにかくつらかった。
そんな時、同僚ちゃんが大丈夫?って飴を持ってきてくれた時は、その気持ちが本当にうれしかった。気にしてくれてたんだって。。。
まぁ、翌日が土曜日で同じ方向のおじさんたちと一緒にスカイツリーのそばを歩き、なんとかかんとか姉のところを経由して(電車の関係で)帰宅することができたのです。
でも、姉のところまで母が車で迎えに来てくれると言っていたのですが、結局事故ってしまい!家まで電車で帰ったのでした。。。。
みんなの優しさが身に染みたのです。
それから5年たち、結婚して2人の子供に恵まれ、毎日をてんやわんやと生きています。
生きているからまたいろんな人たちとも会える、楽しいこともつらいことも悲しいことも経験している。いろんな感情を持つことができる。
私がフェイスブックで尊敬する、植松さん。
植松努さんがテレビに出た時に最後に言った言葉、
では皆さんまた会いましょう。
会うためには死なないこと、死ななければまた会える。
ドキッとしました。
学生のころ、自傷行為をしてみたくなったりした私なので、その言葉は響きます。
うん、生きたくても生きれなかった人たくさんいる。
だから、私は生きなければならない。
神様が与えてくれた今を放棄してはならない。
今を大切に生きよう。
私たち夫婦はまだ出会っていませんでした。
なんせ、紹介から始まった恋愛?からの結婚だったので。
昔風に言うと、お見合いです。
お会いする約束は取り付けていたのですが、震災があり、そんな状況じゃないということで延期に。
震災当日私は私が1年に1度任される、会議の最中でした。
正直、ここまで大きいと思わず、自分の身を守るということができていなかったなと反省です。
仕事場が20階だったので、揺れが大きく感じるだけだとおもってたんです。
だから、そんなに怖くなかった。
普通の大きな地震だとしか思ってなかった。
でも、対岸の自分の家のそばのコンビナートが爆発したのを見て、本気で怖くなった。
泣きたくなった。
両親の安否が不安だった。
その日は帰ることができず、職場に泊まることに。
でも、咳が止まらないつらい状況で眠れるわけもなく、一人吸引機を片手に廊下の片隅でうずくまっていた記憶がある。
大人喘息?とにかくつらかった。
そんな時、同僚ちゃんが大丈夫?って飴を持ってきてくれた時は、その気持ちが本当にうれしかった。気にしてくれてたんだって。。。
まぁ、翌日が土曜日で同じ方向のおじさんたちと一緒にスカイツリーのそばを歩き、なんとかかんとか姉のところを経由して(電車の関係で)帰宅することができたのです。
でも、姉のところまで母が車で迎えに来てくれると言っていたのですが、結局事故ってしまい!家まで電車で帰ったのでした。。。。
みんなの優しさが身に染みたのです。
それから5年たち、結婚して2人の子供に恵まれ、毎日をてんやわんやと生きています。
生きているからまたいろんな人たちとも会える、楽しいこともつらいことも悲しいことも経験している。いろんな感情を持つことができる。
私がフェイスブックで尊敬する、植松さん。
植松努さんがテレビに出た時に最後に言った言葉、
では皆さんまた会いましょう。
会うためには死なないこと、死ななければまた会える。
ドキッとしました。
学生のころ、自傷行為をしてみたくなったりした私なので、その言葉は響きます。
うん、生きたくても生きれなかった人たくさんいる。
だから、私は生きなければならない。
神様が与えてくれた今を放棄してはならない。
今を大切に生きよう。