昨日(もう一昨日)
私は
少し前に購入したまま
観ていなかった、
映画『ウェストサイド物語』を
観た📀
私が購入したのは
最近の
スピルバーグ監督の
リメイク版ではなく
1961年に制作された
オリジナル版の方📀
最近、上映された
スピルバーグ監督の
『ウェストサイド物語』なのだけど
私は
元々の『ウエストサイド物語』
のファンだから
「新しい『ウェストサイド物語』も
観なくちゃ!」
って、自動思考で思っていたら
歌の先生が
新しい方の(リメイク版の)
この映画を観た
先生の感想を
歌のレッスンの時、
たまたまお話になり
その感想は
↓
新しい方の『ウェストサイド物語』は
エンターテイメント性より
物語の背景にある社会の問題を
観客に考えさせようとする意図が
強くて
“なんだかちょっと暗い”と
お感じになったそうな。
“え~?暗いのか~”って
私は思い、
その
先生の感想を聞いて
私は
瞬時に
“じゃあ
観るのや~めた!
その代わり♪
1961年のオリジナル版のDVDを購入して📀
家で
じっくり好きなだけ観よう”
って思い
なんの疑いもなく
本当にそうした次第。
大抵、私って
人の感想を聞いて
それに左右されたりって
あまりない。
だって
私は
どう感じるか
実際に観てみなくては!
実際に行ってみなくては!
実際に会ってみなくては!
わからないから。
人の感じ方は人のもの
私の感じ方は私のものだから。
でも♪
その人の感覚や
その人の頭の中
その人の根底にある周波数
が
私が大好きで💖
絶大な信頼を置く人物の感想なら
私って
勝手に
喜んで
鵜呑みにする傾向が鬼ある♪
なので
その人が「イマイチ💔」
と感じた作品なら
私は観ないし
その人が「素晴らしい💖」と感じたなら
私って
何の疑いもなく観に行くところがあって♪
今回のようなケースだと
実際に観たら
もしかしたら
私は!
すごく感動する可能性もあるから
人の感想を鵜呑みにして
観ない選択は
とても勿体無いことかもしれなくて。
でも、その“後悔する可能性”も含めて
全て込みで
私は
大好きな歌の先生が
イマイチと感じたなら
私は自分の責任で(自分軸で)
“観ない!観なくていい!”を
選んだから
これって
一見、他人軸で決めた選択のように思ったけど
これは
私が
自分軸で!
他人軸を選択して決めた
私の行動の選択だから
自分軸で!
私は行動の選択したことだって
判断した次第。
私って
物の考えや発想の
“内容や真偽”よりも
“誰が”
言ったことなのか!
に
重きを置くところがある。
私って
私の人生を
長きに渡って
究極の他人軸で生きていたから
人生がカルマって😵
それで
いろいろ聞いたり観たり読んだりして
(=学んで)
少しずつ
自分軸を取り戻しつつある中で
私の自分軸が
育ってきているザ・今なのだ
(※私が思い知るに至る“他人軸”の原型って
頭の中に
“親”が常駐している状態に思う。
だから、その“他人”って、親のことで、
それを究極に突き詰めると
それは
親に投影した“自分の頭の声”のこと。
つまりエゴの声のこと!
つまり、何にせよ
自分の持つ“思い込み”を通した
“自分のエゴの声”の投影が
他人軸って思う)
話をカッコ()の前に戻すと
↓
その過程を通して(=他人軸から、自分軸を取り戻してゆく過程)
気付いた私の習性として
物事の考え方&発想の“真偽”は
私って
案外、どうでもよくて
それを発信してる人
それを採用してる人
を
私が好きかどうかで『💖or💔』
決めるみたい♪
だって
そうゆう
物の見方、考え方の
発信者&著者達って
その人にとっての
正しさや真実を発信してるから
その人ではない私に
それが合うかどうかは
その時々
つまり
時と
場合と
私の状態で
わからないもの。
私が
思いっきり他人軸で生きていた時は
自分軸が強目な発信者の言うことを
鵜呑みにして実践することで
私は
「私はこれでいい⭕私は大丈夫⭕」
って思えたから🍀
その時はとても心救われて
助かったけど
自分軸が育って来たら
もうそれを
「今、自分が
それを
したいのか?したくないのか?」
の
“自分の内なる声(その時の自分の欲求)”
を、頼りに
自分の行動の選択をするようにしないと
折角の
良い&正しい物の考え方&発想も
自分にとり
手かせ足かせにしてしまうって
私
沢山、体験してきた。
そうなって来たら
(自分軸が育って来たら)
自転車の補助輪を外すように
他者の言うことは
その人にとっての真実&正しさなだけ
というふうに
人の話を話半分位に
心にゆとりを持って聞くのが
自分を見失わずにいられる
心の健やかさに思う
でも
「人の話は話半分~♪」
って
すっごく怖くて
勇気が要ることなのよね。
だって
人の話はちゃんと聞くべし❗
視野を広く持ち
正しい判断をするために❗
って、頭の中に染み付いてるから~。
それが“素直さ”とかって言われてるし~。
それ素直なのかしら?
ただ自分がないだけかも。
自分に責任を持って行動の選択が出来ないだけかも。
「素直さが大切!」という
コントロールかも(怖いわ!)
でも
自分の足で人生を歩きたければ
その怖さを越えることだわ。
私は今、その地点❗
人の話を
話半分で聞く👂なんていう
自分の在り方が
ワサワサして怖くても
モリモリ不安感にまみれても
沢山、それでしくじって怪我しても
今、そこを越える時なのだ~!
私って今、そこ
そして私に
自分軸が
今より確立されたら
その時は、安心して
人の考え方や意見を聞いても
大丈夫!
ってなる。
それは
自分がちゃんとある状態だから。
自分不在の他人軸だと
人生って何かと心許ないし
何かと危ないもの。
だから私は今
もう外側にある
・様々な考え方や
・物事の捉え方
・開運アクション(掃除、断捨離、等々)
は
もう要らない。
恐怖や不安を越えてゆく覚悟で
全て自分に聞くスタンスでゆこう。
↑
これ
究極の何かの断捨離に思う
他者の声
(=私の頭の声=エゴの声=親の声)
の
断捨離だわ😲
あ~怖い😱
まるでバンジージャンプだわ😵
でも私は
勇気をふりしぼって
歩みを進めることにする
さてそれで
『ウェストサイド物語』だけど🎬
この映画は
私が小学生の時
「観るべし❗観よ❗」と
親に
上から命令されて観た作品🤭
この他にも
この頃の名作(映画)を
私は沢山
親から指示されて観るに至った。
思いっきり
親の意見という“他人軸”での
映画鑑賞だったけど
視野の狭い
物事を広く知らない子供時代には
目上の人が(大人が)
「世界にはこうゆう素晴らしいものがあるから、興味がなくても
触れてみなさい」
という指示や命令は
世界にある様々な素晴らしい何かの
ご紹介や提示だから
後々の、その子供の
“心の財産”になり得る
やっぱ
他人軸とか自分軸の話って
簡単ではないのも事実だわ!
🎬『ウェストサイド物語』🎬
それでこの映画の
最も象徴とされる有名なダンスシーンは
こちら↓