おばさまは、すぐ泣く。


高齢になると涙がでやすくなる。


しかし、明らかに泣いている。

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たとえば、夕食のとき。


母と私が何気に話していると


おばさまは、寂しそうな顔をする。



普通のトーンで話していては、聞こえない。



だから、食事中はあまり話さないようにしている。

おばさまに聞かそうとすると、

かなりの労力がいるし、

一度で伝わらないので、疲れる。



だが、どうしても急ぎの用があって、母と話す。

それだけで、おばさまは邪魔者にされていると思ってしまう。



気がつくと、


おばさまは、食事を飲み込みにくそうにしている。


そう、ごはんがのどを通らなくなるのだ。




一気に食卓は暗くなる。




疲れる・・・。



たまたま、メニューが違うだけで・・・

残りものを私たちは食べているだけなのに、



泣く。 

静かに。

 ・

 ・

 ・


ため息がでる。



邪魔モノ扱いされているという不安が

おばさまにはあるのかもしれない。



それは、私たちの責任でもあるかもしれない。

しかし、おばさまが来てまだ5ヶ月。

そんなにすぐに 打ち解けられないよ。。




せっかくの食事タイムだから、

家族との団欒を楽しみたい。



私ひとり、気を使って、話しかけるようにしている。



・・・・聞こえないことが多い。




いちいち説明することは疲れるのが、とりあえず。



「今日はデイサービスで何したの?」



「幼稚園みたいなこと!」



「何それ?」



「塗り絵」



「へぇ、楽しそうだね」



「あんなん。誰でもできる」



・・・・・


おばさまのかわいくない返答に

あ、そうですか・・・・となる。




いや、裏をかえせば、おばさまのユーモアかもしれない。


うん。そう思うことにしよう。




私とおばさまのやりとりを横目で見ている家族・・・。


私に「あんたは、よくやるよ~。えらい」 という。



じゃなくって、協力してよ~~~~



と心は叫ぶが、そうもいかないのは現実。

私より、家族のほうがおばさまとの軋轢は深いのだから。


私がやるしかないのだ。

突破口を開くのは、私しかいないのだ。




しかし、毎日、同じ会話はつらい。



ご飯も美味しくなくなる。




だから、自然と静かになる食卓。



つまらない。