2022年6月1日生体肝移植

2024年8月24日
移植後2年と2ヶ月と24日


義母と介護同居は
1ヶ月と1週間。

同居し始めて最初は

「ありがたい、ありがたい、メメさんには感謝している」



といわれながら
1回目の嫁姑のバトルは早めに
おこった...

次の日

なんとなく


嫌な空気の中での夕食時に

また

2回目が...


腎臓が悪い長男が
「おばあちゃんが今玄関から出ていったよ!」

あわてて玄関を出ると

義母が外に出て

植木の花を触っていた。




「お母さん何をしてるんですか?」

「植木がしぼんでかわいそうだから

みに来たのよ」


やっと

歩行器で歩いていたはずの母は

歩行器を使わずに

手すりを伝いながら


玄関先の植木を触っていたのだ。





ここで鬼嫁スイッチがオンになってしまった。

「家の中にはいって下さい!

植木は毎日

朝夕わたしが

水やりをしてますよ。

心配はありません。



まだしっかりと歩けないのに

だまって外にでるなんて!


94歳で転倒して大腿骨でも骨折したら

2度と家では生活できないんですよ!



家で生活できるよう

転倒しないように

毎日気をつけて

同居しているのに!


わたしの言うことを

聞きたくなくて

勝手に判断して動いて


転倒して

入院となったら


その時は

2度と

世話はしませんからね!」



鬼嫁はそこまでいうのです。



義母は家の中に入ると

長男に

「ママにしかられちゃった」

と可愛く言った。


文句言うわけもなく

向かってくる様子もなく

従順であった。



移植2年で義母との

同居を決意をした理由の1つには


「社会貢献」をするためであった。


「死ぬ」はずの「命」が

幸運にも移植のおかげで


こうやって

生きていくことができたことを


世の中に恩返ししたい!


という気持ち!


わたしがこの世にいなかったら

ドナーの娘の子供を

世話することも

できなかった。


生きているからこそ

娘の力になれている!


これも

社会貢献である。



その延長線上に義母もいる。


わたしが生きていなかったら

義母の世話をすることは

夫も義妹も困難であったろう!


施設入所になっていたかも

しれない。


しかし

幸運にも

生き返った嫁が

94歳義母の余生を

みることになった。


なんて美しいことだ!


命を命に繋いでいるのだ。


社会貢献とは

おおげさであるが


家族という

小さなコミュニティの中で


わたしは

社会貢献をしているという


生きがいと

幸せを感じている。


つづく