2022年6月1日生体肝移植
2024年7月18日
移植後2年と48日
先週は
孫の子守をした。
孫の急な発熱等は
バアバが担当している。
孫がぐずるときは
いつも
お菓子で服従させている。
そして
親が制限している
ユーチューブのマンガはみ放題!
孫たちは
バアバが子守するときは
お菓子もテレビも
自由にみれるので
バアバとの留守番は嫌がらない。
娘にも許可を得ているので
あまり気をつかわずに
世話ができている。
わたしの日常は順調に
進行している。
移植してはや
2年!
当時の感情と
現在の感情が全く違う。
移植という人生の一大事があったことが
まるでテレビドラマの一コマであったような気がするのだ。
自分におきた出来事だと思えない。
しかし
娘の勇気に対する驚きと感謝!は
ずっと変わらない。
「よく母に肝臓を三分の2も
あげれたもんだ。」
この判断は
想像を絶する。
よくみる
中国ドラマでは
気弱なヒロインが
無理やり
腎臓や肝臓を
うばわれて
絶望でうちひしがれている場面
物語の一部になっている。
手術後に
ドレーンも鼻チューブもしていない
きれいな顔の女優に
「違うだろ!なんでなにもついてないの!そんなに早く立てないでしょ!」
と突っ込みを入れたくはなるが...
臓器移植は
どのドラマにも一大事なのだ。
それが自分に実際におきた
出来事。
ドラマではドナーのヒロインが
命の恩人とは気が付かず
さんざんといじめられつづけ
最後に真実がわかり
2人はハッピーエンドとなる。
そんなドラマの重要なポイントになる出来事が自分におきた!
本当に
不思議な気分なのだ。
ドナーになった娘に
2年たった
現在の心境をきくと
「ドナーになることに対して全く迷いはなかった。」
とこたえる。
自分がドナーになったんだと思い出すのは手術傷をみたとき
「ああ
ドナーになったんだっけ
位の軽い感じ。」
という。
「これが腎臓だったら少し考えたかもしれないなあ?
肝臓だったからまた元にもどるからいいかな!」
という気持ちだったという。
感覚的にとかげのしっぽのように
またはえるからいいや
だったと...
こんな考え方をする
うちの娘はすごいなあ
と
つくづく思う。
ほめた後になんだが...
娘はよく
「肝臓の前払い」という言葉を使う。
わたしに孫の子守を頼むとき
普通だったら実の母でも
時間をさいての頼みごとだから
気を使うが
「肝臓わたしたからいいか!」
と思い
気を全く使わなくてすむそうだ。
娘曰く
「肝臓の前払い」
移植をする際
ドナーの条件として
「自発的で報酬を目的とせずレシピエントと金銭の授受がないこと」
とあるが...
わたしは
金銭ではなく
自分を捧げた?
いやいや
真実の愛である!
すばらしい
母と娘なのである!
つづく