「民族の悲劇 沖縄県民の抵抗」瀬長亀次郎 | ひまわりの散歩道~沖縄&奄美~尼崎在住の奄美3世

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著者について

1907年豊見城村生まれ。沖縄人民党の結成に参加し、書記長、委員長を歴任。

1954年米軍による沖縄人民党弾圧事件で懲役2年の刑で投獄される。

出獄後の1956年那覇市長選挙に当選するが翌年の米軍布令により追放、その後も県民とともに闘いつづける。

1970年の国政参加選挙で衆議院議員に当選(以後1986年衆院選まで7期連続当選)。

1973年日本共産党中央委員会幹部会副委員長。

1990年名誉幹部会員。

2001年没。

『沖縄からの報告』(岩波新書)、『民族の怒り』『民族の未来』(新日本新書)、『沖縄人民党』『瀬長亀次郎回想録』(新日本出版社)など。

 

 

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

瀬長/亀次郎
1907年沖縄県豊見城村生まれ。

沖縄人民党の結成に参加し、書記長、委員長を歴任。基地撤去・祖国復帰の闘いの先頭に立ち1954年米軍による沖縄人民党弾圧事件で逮捕・投獄される

。出獄後の1956年那覇市長選挙に当選、翌年には米軍布令により追放されるが、引き続き県民とともに闘う。

1970年の国政参加選挙で衆議院議員に当選(以後1986年衆院選まで7期連続当選)。

1973年日本共産党中央委員会幹部会副委員長。

1990年同名誉幹部会員。

2001年10月5日死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 

白骨をかみくだくブルトーザー、1953年、土地強奪事件。

墓地も容赦してくれなかった。

何百年も安らかに眠る先祖の頭蓋骨までかみくだかれた…

この場所は、現在 アメリカ軍人軍属の居住地に…

 

 

 

 

んで、不破さんは

1970年~2016年の間に

45回も沖縄入りしてるんよね…