おはようございます、
今日の東京はなんだか天気が定まらず、気分も晴れませんね。
今日は新学期、新学年をついに迎えました。現実と向き合う時間です、(笑)
そんな新学期を迎えた今日、久しぶりに登校したら、目が光ってる新入生、大学生へと新たな人生のステップを踏んだばかりの若き者たちをたくさん見ました。
このような時に思うんですよね、現実ってそんなにキラキラしてるもんじゃないのに何でああ見えるのだろうと。
毎年思います。
私は先日事故に遭い、ケガをしてしまったこともあり、過剰なほど周りを見るようになったからかもしれません。
事故と言え、一時停止無視をした車に自転車を乗っているところはねられ、完治6週間ほどと言われる膝のケガをしてしまいました。
新年度なのになかなか不運な始まりですよね、縁起が悪そうでこれからの一年をより慎重に過ごしたいと思います、(笑)
そんな怪我をしてしまい、足が不自由になり、結構不便することが増えました。
だが性格上、ケガで仕事を休んだりしたことないので、今更感があり変な意地を張って出勤しています。
ケガの特性上しばらくはヘルプマークという物を身に着けて外出することになりました。
電車の揺れで転んだり、うまくバランスが取れないから下手にケガを悪化させないように優先席を利用できるようにと病院で受け取りました。
だがしかし、世の中の人間であまりにも周りを見ていないものなんですね。
目の前で転んでも席を譲ってくださる方にまだ巡り合えていません。
私はかなり積極的に妊婦さんやお年寄りの方、ヘルプマークつけている方に席を譲るようにしてきました。おひとりで電車にベビーカーを持って乗ってくる女性にもタイミング見て手を貸せるか一声かけるようにしてきたのですが、今までのちりつもが自分でその思いやりが一番必要な今に戻ってくるかと思いきや全くそんなことありませんでした。
私が若いからですかね?
膝のいかつい固定が服で隠れてしまって一見見えないからでしょうか?
職場では私が特に何も言わなくても椅子を持ってきてくれたり、配置を楽な方に変わってくださる方などいて、完全に絶望はせずに済んでいます。
だが残念です。
私が気にかけていてもそれが返ってこないという事実を知ってしまって、世の中がまた一段と生きにくくなった気がします。
私がしてもらえなかったから、とかそのような理由でこれから譲らなくなるとか手助けをしなくなるってことはないのですが、複雑な気持ちではあります。
そんな話を今朝小学校からの友人としていました。
見える病気、見えない病気、で周りの反応の差が心細いよね、って。
今では飲みの場を一番盛り上げてくれるおもしろ楽しいそんな友人は高校生の頃、うつ病になったことがあったのです。
特定できないよう詳細は伏せますが、友人は小学生の頃病気になったことがあって、幸いなこと完治したものの、当時は一家とても不安で、両親も涙を流していたんだと。
だがその病気が高校生の頃うつ病と置き換えられた時、親の反応はあまりにも他人事で、もっと寄り添って、向き合ってほしかったと克服してから話していました。
確かに、見えない病気の怖さを自分の身で体験していないとわからないですよね。
身近に不幸が起きていない限りほんとに他人事ですもんね。
私も似たような経験をしています。
20歳になってから初めてADHDと診断されました、診断されたきっかけもパニック障害を発症し、生活に支障が出たからです。
病名がついてからなんだかいろいろと明確になり、納得いくことが多くありました。
両親には診断されたこと以外あまり話さないようにしています。
それもわけがあって、中学・高校、私はほとんど不登校だったんです。
仮病を使っては早退したり、学校行っても夜眠れなかったせいで授業中ほとんど寝ていて、最初の頃は注意されていましたが、途中から先生もあきらめていました。
今思い返すと、中学の3年間、理科と数学を担当していた先生だけ気にし続けてくれていました。
テストの返却は大体面談とセットだったのですが、中学2年生の終わりごろ、返却の順番名簿通りだったので大体途中だった私がなぜか一番最後だったのです。
その時に先生が時間を割いて下さり、私がなぜ授業中寝てしまうのか、わざとなのか、と責めずいろいろ聞いてきました。
夜更かしをしようとしているわけでもないのに夜寝れず、日中はとにかく眠くて、興味ないことにはほんとに集中できなくて、テスト中も周りの同級生の些細な物音ですぐ気が散って思い通り問題が解けず成績も悪くなっていました。
そんな話をしたら、その先生だけは私の悩みを聞いて、向き合ってくれました。
それをきっかけにその先生の授業だけは気楽に行けるようになりました。
テストも教室外の静かな場所で受けることになり、中学3年生で成績も上がりました。
その先生は私にとっての恩人かもしれませんね。親も向き合ってくれなかったまだ知られていない私の病気と正真正銘向き合ってくれました。
ちょっと脱線してしまいましたが、そんな中学生活を送ったことにも理由があります。
小6年生の時、同じ転校生で仲良かった同級生が自殺したんです。
当時席が隣同士だったので、自殺願望を示している絵を描いているところを見てしまい、どうするのが正しいのかわかるわけなく、とりあえず母親に話したのを覚えています。母曰く、割とすぐにその子の母親に声をかけてみて、そんな絵を見たんだけど大丈夫かなあ、と話そうとしてくれたらしいです。
時系列としては、私がその絵を見た9月から4か月後、元旦に自殺しました。
その自殺する意思の第一発見者として今でも重く責任感を感じて、考えるとつらくて泣く日もまだまだ多いです。
しかし、その子の両親は事後ニュース番組やテレビに出演し、私が知っている時系列と全く違う話をしていることを中学2年生の時に見てしまい、怒りのあまり二日間悔しくて泣き止めなかったことを鮮明に覚えています。
両親が話していた時系列は、自殺した2か月前にしか自殺願望のことを知らなかったんだとか。
嘘つけ。と思ってしまいます。
もっと先に言ったのに。なんで聞いてくれなかったんだろう。って。
でも自分も病気になって、治療受けるようになってから理解できるようになった気がします。
愛情深く大切に育てた我が子がそんなこと思ってる、とか信じたくありませんよね。
なんか重い話しになってしまいましたね、
考えたことをとりあえず吐き出したくてこの場をお借りしました。
皆さんも毎年決まった時期に考えることってありますか?
私は赤毛のアンを毎年今の時期に読み返して、カナダの小さな島に移住できないかなと考えてしまいます。