今日は風がとても冷たい


毎年この日は寒いな



阪神淡路大震災


連休明けの早朝5時46分


深夜勤務だった私は患者さんのベッドサイドに立ち


採血の準備をしていた


ドスン・グラグラグラグラ


なに?これは地震なの?


それまで経験したことがない揺れに驚きながらも


勤務中、看護師と言う立場からなのか


頭はちゃんと動いていて


とっさに患者さんの頭もとに手をかざす


何秒揺れたのか


揺れがおさまって動こうとしたら


隣の空ベッドとの間に挟まってて動けない


それを押し返し抜け出し


部屋を見回した後、ステーションに戻った




うちの病棟の深夜勤務は3人


先輩と後輩と合流後


ICUと全部屋の患者さんの無事と機器のチェック


麻痺があって動けない患者さんの横のロッカーが


ベッドの方向に倒れていた


ベッド柵のおかげで患者さんの手前でストップ


どんなにか怖かったろうか



病棟の患者さん、機器類はみな無事でしたが


給湯室の給湯器が落ちて出火


となりの病棟からも消火器を借り


やっと病棟に到着した当直医と消火


これが6時頃までの出来事



そこからは救急車がなり続く


まだ薄暗い空に西南の空が赤く染まり


昼まではノンストップ


昼までの出来事は細かくは覚えていない



深夜から動き続け、やっと昼に座った控室


横倒しになった阪神高速を初めてテレビで見て


愕然とする


一瞬のあの揺れでこんなことが起こったのか



そこからは、勤務を続けながらも


被災者でもあった


でも病院にいたことが幸い


夜には県外からの配給のおにぎりをいただいた


ガスと水は止まったけど


電気はあったし、住む場所はあった



それからどのくらいの間だったのだろう


病院では一時、霊安室だけでは足りず


遺体安置室が別室にも設けられ…


戦場のようだった



給水車の水を貰いに行かなきゃ手も洗えない


お風呂にも入れなくて


震災後初めて入ったのは5日後


同僚のお宅で入れてもらった


それからの数か月は定期的には入れず


夜勤明けに市外の施設の大浴場までバスに乗り


時間をかけて入りにいった



寒さと余震で眠れない日も続く


シャキッと仕事はしているけど


ほんとは体も生活もボロボロだったな


それでも仕事があるから立っていられたんだけど



街に出ると倒壊した家


整然に建ち並んでいるがすべて一階がない



傾いた建物の下には車が挟まったまま


陥没した道路



焼けおちた景色に…


涙が止まらない




20年も経ってるのに、リアルに思い出される


私が見たこと経験したことはごくごく一部


家族や知人を亡くした方や、住居、職を失った方のおもいは


量りしれない




阪神淡路大震災以前以降も


さまざまな地域で自然災害が起こっています


これからもきっと自然災害からは逃れられないと思う


自然を理解し、心繋げて生きていかなければと感じています



生活の復興、心の復興    これからも


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