ほんまそれ…
と同調しながら読みました。

今だから言える。
冷静に考えられたら、
自分大切にしたいって思えたら
なんかしんどい、おかしい…と思えたら…
離れよう…!

自分を大切にしない人を大切にしなくていい。
人を大切に出来ない人は自分を大切にできていないから。

親だからとかそんな義理は必要ない。
子供としての情があるというのも分かるし葛藤があるのもわかる。

子供はご主人様に従順するペットじゃない。
自分の意志をしっかり持った人間である。

心配は行き過ぎると支配になる。
共依存性傾向にある人は極度の心配性ではないかと考えられる。

心配だから世話を焼く
余計な口出し手出し、過保護過干渉をし、自由と自立を奪うことにより
[私が居ないと何も出来ない]ようにする 〈否定的コントロール〉

そして、親自身に
「自分は悪い事言ってる、してる」自覚は無いし気づかない。
自分が1番正しいという考えを決して曲げない。

共依存傾向にある人に共通して言えることが
「人の心配してないで自分の心配しなさいよ」という事だ

自分の事は差し置いて人の面倒ばかり見る。
自分自身と向き合えていない。
自己肯定感が低いから否定的にしか物事を捉えず、それを人に押し付ける。
いい面はある…けど、行き過ぎるとよくない、という話である。

それに本人が気づけないから
毒親に限らずあらゆる場面で問題が生じる。

そして、歳をいけばいくほど
過去からの古傷は癒えず
より[こじらせた自分]を強化させ
修正が不可能となる。

結論から言うと
「相手は変わらないし、自分が変わるしかない」のだ。
よって、離れるしか為す術がない。
自分はどうありたいか、自分の気持ちに正直である事が大事である。

自分が、気づくこと。
気づかない事には何も変わらない。

毒親というのは、共依存関係が矢張り潜んでいる。
子供自身が気づき、離れるのが1番だが、上手くはいかないこともある。

独立 結婚しても追いかけ回してくる

私もそうだった。
結婚も相談所を母が見つけて母同伴で契約をし、見合いにも母親がついてきた。
離婚の際も相手方の家への最後の挨拶に母親がついてきた。

普通なら、考えられない。

その後のマンションの契約も、鍵を受け取るだけのことも…母親がついてきた。

母はそれを「心配だから」と当然の事のように振る舞っていた。


心配、という言葉の裏には
「私はあなたを信用していません」という潜在メッセージがあるように思われる。

知能など何らかの障害があり
援助が必要だとかなら話は別だ。だが、やってみて失敗しなければ得られない事もある。
その失敗から学び改善していこうと自ら考え行動をしようとするのが子供の成長過程、大人にもなればそれが当然のことである。

そしてそれを見守る親がいて
そこで信頼関係が生まれるのではないかと。

それが阻害されると信頼関係もあったものではない。

私は母に対して思っていた
「この人は私の事が信じられないんだ」と。「この人は私の事を自分の都合いいように動くロボットかペットのようにしか思ってない」とも。

対等で健全な関係など築けず
外面だけは[いい]親子関係だ。

本人たちにしかわからず、
周囲はなにもわからない。

親も他人とはいえ、切っても切れない関係だ。
思うように上手くいかないこともあるだろう…

だけど、だからといって
「どうせ…」など悲観的にならず
「このような状況でもうまく切り抜けよう」と思えばいいのでは、と思う。

その思いがそのまま行動にでる。
繰り返しになるが、

自分の気持ちに正直に、でいい。


なる、思考が 今を 未来を作り上げていくのだから。

私は、そう思いたい。


そしてもう1つ…
関係よくしようとしなくていい。

まず対等でいられないから
話し合いなどはまともにできないからだ。

向こうばかりが満足し、こちらばかりが疲弊するのがオチである。

そのようなことに、
自分の貴重な時間も体力も費やす必要などないからだ。

そう、バッサリと切ってしまうくらいで良いのではないかと思う。


外での人付き合いでも
距離を置こう、関わらないようにしよう、というのと変わりはない。