こーたんのこと 誕生 | ひまわり日和

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こーたん・・・

名前は弘平(こうへい)と言います。

みんなから、こーたんと呼ばれていました。
主治医の先生はお父さんが息子を呼ぶように
「こ~へ~~~どうだ~頑張ってミルク飲んでるかぁ~」って
感じでね、呼んでくれてました。

平成10年5月21日 午後11時38分

体重 2.450g で 誕生しました。

出産にかかった時間は10時間。

21日の午前4時頃破水から始まって7時入院。
促進剤を錠剤で飲んでジワジワを陣痛を起こさせていて。

夜になってから陣痛の間隔が短くなって・・・

分娩台に上がってからもしばらくかかったんだけど、
何とか誕生。

産声は・・・ 弱かった。
そして、全身が紫色に近かった。

生まれて安心したあたしは、こーたんが一晩どんな状況だったとは
知らずに朝を迎えて。。。

翌日、新生児室をのぞいても、こーたんの姿はなくて・・・

詰め所に助産師さんとずっと一緒にいたようだった。

後から聞いたんだけど、一晩こーたんはおしっこが出てなかったと。

病室につれてきてもらったのはお昼頃。
おっぱいを飲ませようとしても吸ってくれない。
でも、わかってないから、
あたしはおとなしい子なんだなぁ~と思ったくらいでね。

小児科の先生が診察してくれる日になっており、
こーたんは一番最後だった。

そこで言われたこと・・・

「息子さんは心臓に病気があるかもしれません。
ここでは設備が整っていないので設備の整った
病院で検査しなくては病気かどうかはわかりません。
これから、救急搬送します。」

救急搬送?心臓病?なに?
意味わからない・・・

そのまま、あたしは病室に戻って
母にそのことを伝える。
母は・・・え?って言った後・・・言葉を失っていた。

救急車に同乗するのは母に決まり、
数分後にNICUのある病院へ搬送された。

あたしは産後だからと行けなかった。

自分の体のことよりも何が今自分に起きているのか
理解できなくて・・・

とりあえず、母が戻ってくるまで待っていようと。


NICUの病院では・・・
母は、父と旦那に連絡をして大至急来て欲しいと話した。
父も旦那も仕事中だったけど、すぐに来てくれたらしい。
3人で、こーたんの病気についてのイフォームドコンセントが始まる。

心臓病の中でも重症の方。
これからカテーテルでの治療と検査をすること。
その検査の結果次第では大きなオペは3回。
体重が3000gに満たないので
目標3000gが超えてから初めのオペとなること。

などが伝えられた。

母も父も、そのことをあたしには伝えないほうがいいと言ったけど、
旦那はすべて話すと。
母は、あたしの体調を考えてのことだったらしいが、
旦那はきっとすべてを自分で抱えられないと思ったのだろう。

3人が夜、あたしが入院している病院に戻ってきた。

そこで、聞いた、よく知らない言葉。

心臓なんて、4つの部屋があることくらいしか知らないし、
血管の名前を言われても全くわからない。

で・・・オペしたら治るの?元気になるの?
ね。。。治るの?そればかり繰り返して。

・・・・治ると思う。やってみないとわからない。と旦那。

じゃあするしかないでしょ。
元気になって欲しいもの。

この時、小さな体にメスを入れることがどんなにリスクのあるもの
なのかも全くわからないあたし。
とにかくオペしたら治るって信じていた。

どこか他人事のようにも思えていた。

受け入れていなかったんだろうと思う。

こーたんと離れ離れとなったあたしは、
祈ることしか出来ない。。。
どんな状況なのかは旦那が面会してきて
話を聞くだけ。。。

保育器に入っていること。
へその緒から点滴が入っていること。
足の点滴がうまく入らなくて、何度かやり直ししたとか。

早く自分の目でこーたんの状況が知りたかった。


体調も安定しているし、一日早く退院しましょうと先生から言われて、
産後5日で退院。
その足で、こーたんが入院している病院へ。

NICU・・・

見たことない光景。。。
赤ちゃんが何人も保育器に入っている。。。

こーたんに会う前に主治医の先生から話を聞く。

こーたんの病名

「純型肺動脈閉鎖症」(じゅんけいはいどうみゃくへいさしょう)

生まれつき右心室が小さいかほとんどなく、三尖弁(さんせんべん)も形成されてないことも
多く、肺動脈が閉鎖されている状態。

治療方針
カテーテルで卵円孔(らんえんこう)を拡大。
右心室の大きさと肺動脈弁や三尖弁がどの程度のものなのか
造影で調べる。
動脈管(どうみゃくかん)を開けておくためにプロスタグランジンを点滴する。

搬送された時のサチュレーション(血液中の酸素飽和度)は80%台だったとか。
(正常値は95%以上。)

点滴のおかげと生まれつき開いている卵円孔のおかげで
こーたんは頑張って生きている状態だった。

栄養は鼻管から一回5ccから始まった。

直接おっぱいを吸うことは出来ない。

6月6日。。。
こーたんのカテーテル検査。
卵円孔はどの赤ちゃんも開いているんだけど自然に閉じる。
こーたんの場合、卵円孔が閉じてしまうと死んでしまう。
そこをカテーテルでバルーンを使い大きく拡大するという
治療をした。

3ミリほど拡大され、自然に閉じていかないことを願った。
病名も確定。
治療方針も確定。

体重3000gを目標に入院することに。
オペするまでは退院は無理とのこと。

NICUに毎日通い、母乳を届ける。

6月の中ごろ、NICUから小児科へ移る。

小児科で付き添い入院開始。

初めてこーたんと一緒にいれるうれしさで、
大変さは全く考えてなかった。


そこの小児科で3000gになるまでいて、
初めのオペが7月の上旬に決まり
転院する。救急車にこーたんを一緒に乗る。
そのとき、こーたんが怖がってあたしの服をつかんでいた
こと思い出す。

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生後何日だったかな・・・
哺乳瓶で母乳を飲んでいて、1回70~80cc。3時間おき。
小さかったよ。。。
髪の毛だけは誰にも負けないくらい生えていたwww

夜中に点滴入れなおしたり、ナースが母乳を温めて
哺乳瓶に入れてくれるんだけど、
レンジでチンしていたり、多く持ってきた母乳を
目の前で捨てられたり・・・
色々あった。

母乳を捨てられたのはかなりショックだった。
目の前で捨てたからね。。。
どんな思いで搾乳しているのかわからないナースだったんだろうね。
母親の気持ちを理解してくれないナースが多かったかな。

それで、あたしはどんどんね、世界で一番不幸だって
思っていたから。
こんなかわいそうな人って世の中にいるの?ってね。

それだけ、周りとも交流なかったし。。。
わからないことだらけで、戸惑いもあっただろうし。
不安もたくさんあった。。。

オペをする病院に移ってきたら、
主治医は若い男性の先生だった。この若い医者で大丈夫なのか?
ナースもテキパキしていて、怖い感じ・・・

そこの病院には、うちの他に
何人も心臓病のこどもたちがいた。
そして、こーたんよりももっともっと大変なオペをしてきている子も。

お母さんたちはみんな明るかった。。。

初めのオペするまでは入院期間がそんなになかったのと、
あたしが発熱で付き添いが出来ない状態だったので
付き添いを母に代わってもらったり、記憶があまりない。
個室に入っていたので、他の患者さんとの交流もなかった。

覚えているのが
たくさんの医師がこーたんを診に来る。
内科の医師だけで3人。外科5人。入れ替わりで部屋に来る。

そして、自分だけが辛かったり苦しい思いをしているわけではないって
その時、初めて知ることになった。

オペ・・・

人工血管をつけて、肺への血流を多くする。

もしかしたら、右肺動脈の人工血管での血流が保てなければ
左肺動脈へもつけるオペをしなくてはならないかもしれないと
言われる・・・


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