自己理解が進み

どれだけ迷惑をかけていたんだろうと気づく日々。

本当に優しい人たちに恵まれて

ありがたい。感謝しきれない。


そう思う反面‥


新しく出会う人に

理解力がないことが知られて

何だお前?と思われるだろうなぁ‥と関わるのがこわいと感じてしまったり


いますでに

"理解力の遅い、中身が子供のわたしという人"

を知ってもなお近くにいてくれている人に対して

迷惑かけたくなくても、

これからも、どれだけ、気をつけていても

きっと迷惑かけてしまう。。だから

いずれ離れてしまうのではないかという不安‥


そんなことがよぎったりしていたんですけど


"私はかみくだいて説明してもらわないとわからないことがある"とか

"距離感を間違えたり"

"悪気なく失礼なことを言ってしまう"ところとか

あー、書くとなんかもう消えたくなるけども‥泣き笑い汗


それがわかって

嫌がる人、負担になる人は

離れていくだけ。

すでに離れていった人もいるし

これから出会う人でも

そういう人は離れていくだけ。

私がどうにかできるものじゃない。


逆に


そうわかっても

離れないでいてくれる人

今も変わらずにいてくれる人が

"ありのままの私を受け入れてくれている人"であって

そういう人たちを

一生懸命、大切にしたらいい。

ただそれだけのことだった☺︎


だからね

『かみくだいて説明して欲しい』

これは、言っていいことなんだそうな☺︎


そして

そうやって"かみくだいて説明してもらう自分"を

(それ以外のわかったことも丸ごと)

わたし自身が受け入れる☺︎


また迷惑をかけてしまった。。じゃなくて

「ありがとう」に変える☺︎


発達障害(ADHD)は、脳の作りによって起きていることだし、手術とかでどうにかなるものでもない。

アンパンマンみたいに

「新しい頭よ!そーれっ!」って

取り替えられるものじゃない。笑


自分自身が受け入れるしかない。


発達障害でも色々あって

高スペックな人もいるみたいだけど


残念ながら私は完全なる低スペックである昇天

それを受け入れて

低スペックなりに精一杯出来ることをやるしかない。


だし、果たして残念なのか‥?

低スペックが幸せかどうかは別の話だ。

低スペックなりにわちゃわちゃもがいていたから

面白おかしく受け入れてくれた空気があったのかもしれないし

手を差し伸べてくれた人がいたのかもしれない。


そもそも、高スペックな自分は‥自分じゃない。


いや、本音は低スペックから脱したいけどね‥☺︎

そこはまぁ‥、わずかなる成長に期待しつつね。



あとね。

私がADHDでミスしそうだからと

(相手が)先回りしてミスを防ぐために動くのは、

こんな私だから仕方ない

私のことを思ってなんだから仕方がないと

思っていた節があったのだけど


ADHDだからとて

感情も夢も目標も意思もある。

経験して成功したりミスしたりする権利がある。

なんでも奪うのは、尊重されているとは言い難い。

それは愛とは言わない。


寄り添うとは

ミスや失敗も含めて

丸ごと受け入れてくれること。☺︎


ミスを回避してくれて

ほら手助けしたから防げたよ!は

私のためじゃない。


だから、愛のように見えて、この人の行動は愛じゃないかもしれないという気づきがあった。

(これは‥、自身の心の安定を大事にするならば、少し距離を置きますかという問題があるけど‥汗)


それと同時にね

裏を返せば‥

私の想いを汲んだ上で、沢山ミスしろと、やりたいことが叶うようにサポートしつつ、自分でもきちんと学びがあるように良い距離感で見守っていてくれるのが愛‥?だとしたら


私の意思をないがしろにせずに受け止めた上で

迷惑もミスもまるっと受け入れてくれている

(別枠からの)確かな愛にも気づくことができた1日でした。こちらには胸がいっぱいである。

心からありがとう。


お客さんとはいえ、いつも気づきを沢山くれて、

面倒だろうに、かみ砕いて教えてくれる整体のお姉さん、ありがとう。