入院~退院まで2週間。
ゴジラが居なくなった。
寂しい部屋でひとり過ごすことになった。
荷物はそのままだった。
彼が大切にしている荷物もそのまま残っている。
オーナーであった彼は、色んなことがあり経営していたところを手放した。
再起するのに、今年春前から動いていた。
なんとなく予感はあった。
うん。あった。
連絡しても返事がない時点で、それが答えだと、私は受け止めることにした。
入院中に、最後に送信したメール、元気?大丈夫なの?
それを最後にした。
居場所は分かっている。
彼なりに必死なのだと思う。
綺麗ごとではなく、頑張ってほしい。
私は邪魔にはなりたくない。
成功を願う。
病院での苦しい、苦しい、泣きながらの夕食をとって以来、味覚がおかしくなった。
精神的なものかな。
塩っ気が辛い。
ほんのわずかな塩が辛くて辛くて食べれたものじゃない。
彼との別れを受け止めたものの、寂しさは容赦なく襲ってくる。
2週間くらい毎日涙がこぼれた。
親からの何気ない電話でも涙が溢れる。
時間は不思議と解決してくれる。
もともとストレス溜めない性分なのか、1分1秒と前向きになっている。
非現実はない。
全て現実。
確実に受け止める。
そして生きていく。
術後2週間もすると、切り取った右乳房の検査結果がでる。
私は脇のリンパは切り取らなかった。
術前の抗がん剤で影が無くなっていたから、先生と話し合った結果、切らないことにした。
切り取った、右乳房。
広範囲でごっそりとった。
検査の結果、ほぼ癌細胞は残っていなかった。
奇跡。
癌細胞。
見えないだけで、体中のどこかに潜んでいるかもしれない。
私は一ミリも油断しない。
だって、半年後に転移、再発、、、ってなったら、それこそまたガビーンってなる。
もうゴジラが居なくなった寂しさ、苦しさだけでいい!
やっとなんとか前向きになれたし、味覚も戻った。
泣かなくなったし。
とりあえずは、この時点で、先生は10人にひとり居るか居ないかの確率だと話してくれた。
去年の11月、乳がんステージ4だと宣告されて、仕事を辞め、自由に治療に専念しました。
これもよかったのかもしれない。
何にも縛られず、本当に自由に過ごした。
毎日幸せで楽しかった。
決して仕事が嫌いなわけでは無かったけれど、自由という最高の時間が、身体にプラスに影響したような気がする。
今後の治療は先生の考えに従うことにした。
それは、術前の抗がん剤とはまた別の抗がん剤治療4クール。
それが終わったら、副作用のない抗がん剤を少し続けて、最後に放射線。
期間を聞いてみると、あと一年くらい。。。って。
え?そんなに?
まだ一年もかかるの???
まだまだ戦いが続くんだぁ。
病気って大変だぁ。
自分のことながら。
ゴジラが居なくなってしまったし、実家に戻ることを考え始めました。
両親も、兄も戻ってきなさいと。
ただ、病院が変わる、先生が変わる事がとても嫌なのです。
今のところがとても好きだから。
生まれて初めて病院や先生を好きになれたから。
とりあえず、術後抗がん剤開始が
2017年7月10日~。
この抗がん剤はまず終えよう。
考えながらのんびり進めよう。
つづく。
皆様が毎日笑顔で幸せで過ごせますように。