2017年5月29日
手術日
入院は5月26日~でした。
用意するもの。。。
ネットで調べたり、、、
とにかく一通り沢山ガラガラに詰め込みました。
唯一、パジャマは用意しませんでした。
なぜなら、病院で安く借りられるからです。
私の通っている病院は、入院されている方々を見ると9割病院のものを着用していらっしゃいました。
26日当日は、10時前に入院手続きを済ませて、麻酔科の受診と、リハビリ科の受診をしました。
二つの受診はちょうど午前中で終わりました。
(私は、何時になる?何時になる?と質問攻撃していたら、前倒ししてくれました♪)
土日を挟むので、外泊してもいいですよ。と言われたので、外泊許可証に記入してから外泊しました。
28日の夕方に病院に戻りました。
ちなみに、私の住んでいるところは、病院から徒歩5分のところなので、外泊・入院ってあまり実感が湧きませんでした。
そういえば、麻酔科受診の時に、麻酔科まで案内してくれる看護師さん、「こわいですか?緊張しますか?」と、私を思って話しかけてくれました。
当の本人、私は「え?全然。なんだか平気!」
だって、全身麻酔だし、眠っている間に終わっちゃうじゃん?
意識あるとコワいけど、眠っていられるからラッキー♪という感覚でした。
手術は午後一から。
変な靴下履かされて(笑)、前開きの一枚の病院着に着替えて準備。
下着はパンツだけ履いていました。
(靴下は、医療用着圧ソックスです。浮腫まないようにするためらしい)
ご飯は前日の夜から食べてなく、お腹が空いていたことを覚えています。
午前中のうちに両親が到着。
両親は入院日から、私の部屋にお泊りしてくれていました。
ゴジラは仕事の関係で、職場に泊まり込みをしていたので快く両親を泊めさせてくれました。
看護師さんが迎えに来て、歩いて手術室まで向かいました。
両親は心配そうに「頑張って!」と。
私はやっぱり恐怖感は無く、無邪気に手を振って、「じゃーねー!長かったら帰ってねー!手術終わったら、ぐったりしていると思うから、私も気を使うしすぐに帰ってね!」と自動扉の前でバイバイ。
手術室の扉が開くと、先生がいつもの白衣ではなく、これぞ!という緑色のを着てる!
先生。よろしくお願いします!・・・とベッドに横になり、点滴の時と同じ針を刺されてから5分経たないうちに意識は無くなっていました。
目が覚めると、、、痛い。痛い。痛い。痛い!!!!!!!
痛いよ。痛いよ。
声にも出ていました。
うっすら看護師さん、先生が見えたので、必死に「痛いよ」と訴えました。
先生は、痛み止めの点滴をすぐに。夜にはオキシコンチンを飲んでいいですよ。と看護師さん含めて指示してくれました。
(本当は口から何かを入れるのは翌日の午後からだったらしい)
それでも痛い。
変なマスクは外れない。
点滴が邪魔。
尿道に管。
ドレーンは2本。
脚はなんか機械がついていて、マッサージのような感じで、膨らんだり萎んだりしている。
寝たきり、地獄~。
身動きとれないし、いつまでつづくの~。
枕欲しい~。
ブザー。
看護師さんに「枕ほしい」
・・・今は出来ません。
少ししてから、やっぱり枕欲しい~。
ブザー。
「痛い~。枕~。」
違う看護師さんで、すぐに枕をしてくれました。
チェックしに来てくれる看護師さんに、毎回「今何時?」と聞いていました。
身動き取れなくて、本当に体痛い。
手術のところも本当に痛い。
手術が終わってから、この地獄は翌日まで続き、一睡もできず。。。
術後、翌日10時を回ってから、マスク・点滴・足のマッサージ機が外れました。
よかった。本当によかった。
尿の管も外したい!と看護師さんに言ってみると、じゃあ外しましょう。とすんなり外してくれてやっと動ける~!!!!!この喜びは大きい!!
(尿の管は外す前に、スルリと抜けてしまって、なんの感覚もなく外れました)
看護師さんは「では歩いてみましょうか。立てますか?ゆっくりでいいですよ。」
なんて言うけど、全然普通に立てるし、普通に歩けました。
あと邪魔なものはドレーン。
傷口から出る余計な体液なんかを排出する管2本。
ポシェットみたいに持ち歩かなければいけない。
お腹空いていたし、水が飲みたかったし、自由になったら先ず水を飲みました。
病院食は思っていたより美味しく、全食残さず食べました!
痛みは自由になってから自然と無くなっていて、本当によかった。
とてもとても痛かったからしんどかった。
同室の、同じく乳がんで先に手術された方は全く痛くなかったって。
切る範囲が違うのかもしれないけど、羨ましい~!
でも痛くないに越したことはないから良かった!
手術をする全ての方々に痛みがありませんように。。。
5日後、ドレーン1本外れました。
外すとき、ほんのわずかにチクっとするくらいで痛くありませんでした。
チクっとしたのは、ドレーンがずれないように少し皮膚に縫ってあったので、皮膚から糸を外す時のものでした。
管を抜くときは、なんの感覚もなく、スルスル抜けました。
あと1本。
これは10日後でした。
外したくて、外したくて、、、
外れた時のスッキリ感。
バンザーイ♪
リハビリ科は、毎日行きました。
腕の上げ下げの動きを繰り返す運動。
20分もあれば終わり。
リハビリ科担当の先生もいい先生で、陽気で楽しかったです。
いい気晴らしになりました。
手術前に行った抗がん剤治療6回目を終えた段階で、右のリンパ浮腫になってしまい、これの改善のための動きも同時に行ってくれました。
お風呂は看護師さんに言えば、空いてる時間に予約して毎日でも入れたみたいですが(傷口にあたらないようにシャワー程度ですが)、私は住んでいるところが近いため、空いてる時間にこっそり自宅に戻ってシャワーをしていました。
ので、病院では毎日濡れタオルを用意してくれました。
(シャワーをしない汚い人って思われてたかなぁ。笑)
2本目のドレーンが外れると同時に、退院日を決めました。
入院から退院までちょうど2週間となりました。
両親は術後、2日で戻ってもらいました。
全然ひとりで大丈夫だったし、いざとなれば近くの友達や知り合いの方に声を掛けさせてもらおう!と思っていました。
同室の方々が、毎日面会に来てくれる親族がいらっしゃったりすると、ちょびっと寂しかったけど、大丈夫でした。
ゴジラは2回来てくれました。
私がこっそり自宅に戻った時に居たり、、、そういうのもあって、寂しさは半減です。
退院も一人でした。
病院生活に慣れたせいもあって、退院も寂しいような気持ちになりました。
費用は入院手続きに前払い金(預け金)10万+17万、合わせて27万程度掛かりました。
(限度額のを利用しているし、過払いは後日戻ってきます。後は最低限の保険に加入していたので、保険会社から入ってきます。・・・後日、結局保険は35万程度入りました)
そして、入院中、何より、私が愕然とした事件が発生しました。
それは、
それは、
ゴジラが居なくなってしまいました。
連絡しても返事がない。
ない。
退院日2日前の出来事でした。
色んな思いがブア~と押し寄せました。
直観的に、すぐに「もう終わりだ」と分かりました。
この日の病院での夕食。
私はちょうど窓際のベッドでした。
とても綺麗な夕日。
いつも通り配膳される。
食べながら泣きました。
こんなに苦しい食事は生まれて初めてでした。
苦しくて苦しくて、なんで食べてるんだろう。なんで。なんで。。。
最後に会ったのは、私が抜け出して部屋に戻った時。
ゴジラは一緒に横になろう。まだいいじゃん。
病院まで送ろうか?
そんな最後。
食事が苦しいよ。
悲しいよ。
最後と分かっていたら、もっとちゃんとお礼も言えたのに。
もっともっとちゃんとお別れしたのに。
苦しかった。
つづく。
皆様が毎日笑顔で幸せで過ごせますように。