わたしのことを好きなら、
◯◯してくれて当たり前でしょ。
わたしは、変えたくないけどね。
会社では全然そうでもないのに。
注意されたら、仕事だと思って速攻、光のはやさでなおすのに。
父親や、母親。 弟。 昔の恋人、親友、
はたまたペットにも。
近くなれば、なるほど。
「自分への愛が本物かどうか」
その、確認作業をしたくなる。
(めっちゃ面倒くさい人間やw
先日、お風呂の中戸を閉めろと、
父と喧嘩になった。
(わたしは閉めないといけないという、
自分の中の決まりがない
正直、良い意味で、他人なんてどうでもいいし、
なおすこと自体には、問題を感じない。
風呂の戸も、むかし怒られた遅刻も。
なおすことは、なんなりとできる。
(気質的に
でも、わたしの中心部分は、いつも、
愛する人からの、愛を感じたい。
確認したい。だから、試したい。
そんな自分がいる。
愛する人から、◯◯をなおしてって
言われたとして。
なおすことに、こだわりは全然ないのに。
どうしてか、自分まるまま認めてほしい。
そんな自分がでてきて、
嫌だと、断り続けたら、どこまで、
許してくれるのか。
相手をねじふせられるか。
どこまで、許容してくれるのか。
そんな風に、確認して、
出来事を通じて、自分への愛を
自分なりに確認する、自分がいる。
だから、もう、そのままでいいよって
いわれると、なんでもなおしてしまう。
天邪鬼な自分。
逆だってそう。
わたしが、◯◯を嫌だと感じたとして。
◯◯をなおして? っていったとする。
出来事や、自分のこだわり、そのときの、
感じ方や、体調。にもよるけれど、
なおしてくれないと、無性に腹が立ち。
なんでやってくれないの?
やるっていったよね?
わたしのこと、好きなら、なおしやがれ
って。
ほんとは、些細な。相手がなおそうと、
なおせまいと、どうでもいいことなのに。
ものすごく、否定された気がして。
癇癪を起こしかける。苦笑
わたしだって、わかっている。
否定しないで。と、
言ってる自分こそ、相手のことを、
まるっきり否定していること。
でも、心のなかでは、そんな、
天邪鬼な、葛藤がおきている。
ふわり