これで自由だよ。 | ひまわり家のたりらりら~

ひまわり家のたりらりら~

ひまわり家の毎日を少しずつ紹介していくよ。

母親は2男3女の三女でして。

水曜未明に

一番上の姉(伯母)が亡くなりました。


いつか

この日が来たら

書き留めようと決めていた。


自分のためにも。

伯母が生きていた証に。

母親が苦労してきた証に。


伯母は

伯母がまだ小さい頃

まだ戦時中に高熱を出し

菌が脳に入り

そのまま後遺症が残ってしまったと聞いている。


私が記憶している最も古い記憶の中でも

伯母はすでに立つことは出来ずに

正座をしたままの状態での生活だった。


言葉をしっかり発音することもできず。


祖母や母親兄弟は

伝えたいことを理解できていたようだが

私の中では

理解し合えた感覚を味わえたことはない。


私が小学4年のときに

ずっと伯母のそばにいた祖母が亡くなり


その後

長男の家で引き取る形になったが

伯母は、長男の嫁にイジメられ

その後

私の家で一緒に生活するようになった。

高校2年の頃まで。

その後は施設へ。


その頃には

座っていることも難しくなり

ずっと寝たきりの生活になっていた。

私がちゃんと目の前で伯母を見たのは

この頃が最後である。


しばらくは施設にいたが

高齢のために追い出され

病院に入ったが長期では入院できず。

最終的には

母の姉(次女)と一緒に暮らすことになり

週末には

母親が代わりに介護に入ったりしていた。


この頃から

食事もできなくなり

直接胃の中に栄養を補給していく生活で。


年に数回

近場に出かけたりもしていたが

それも出来なくなった。


ただ

病院を行ったり来たり。


何かあるたびに母親がイライラしたり

寝ることなく介護して帰ってきた日曜のグチを聞いたりしていると

いつか

母親が伯母の息の根を止めてしまうのではないかと

怖く感じるときもあった。


母親の「早く逝って欲しい」という声を

何度か聞いた。


それを聞いて

母親を責める気はさらさらなかった。


母親から伯母の話を聞いたり

母親のそんな姿を見るたびに

「伯母は生きていて楽しいのだろうか?」と

何度となく考えた私がいた。


それは

私が考えることでも

判断することでもないことはわかっている。


でも


きっと伯母は恋をしたことはないだろう。

自分が行きたい所に自分で行くこともできない。

今では

食べ物の味を楽しむこともできない。

そして

自分の周りで妹たちがケンカしてる。


そー思うと

そー思わずにはいられなかった。


勝手に考えて

勝手に泣いていたバカ野郎な私がいた。


そして

その伯母が昨日亡くなった。享年72歳。

昨日も今日も

伯母に逢いに行ってきた。


私は

なんて思ったと思う?


「おばさん、よかったね。

 やっと動けるよ。自由になれたよ。」


親戚の女子高校生の泣いている姿を見たら

私は人間として失格かもしれないと思った。


でも

今でもそう思う。


 きっと

 息が切れるまで走り回っちゃうんだろうな

 今頃

 夜景でも見に行っちゃってんじゃないの~

 食べたかった料理

 食べつくして、お腹いっぱいになったり

 今夜なんかは

 積もり積もった話を疲れるまで

 おしゃべりしまくるんだろう


とか思っちゃう。


明日

伯母の肉体とお別れするときに

私が何を思うかはわからないけど

今の私はこんな風に思ってしまう。


もしも

これが人間失格なら

今の最悪な私を残しておきたかった。


明日

葬儀が終わったら

母親に「お疲れさま」って告げたい。






                   ひまわりヒマワリ