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カキフライかな?

今の時期は結構作ります。

あっ!

アジフライも好きやなWハート

エビフライも好きやし・・・トンカツも・・・。



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葛飾北斎の娘が画家って知らんかった。

先日の日曜日に浮世絵師・葛飾北斎とその娘・お栄の実像に迫った

歴史ドキュメンタリー番組「おんな北斎」っていうテレビがあってそれで知った。

北斎好きやのになんで娘の事知らんかってんやろう? ガクリ

今となってはそれが最大の謎ですあせ



ちょっとネットで調べて以下の説明文を勝手に頂いてきました(ごめんねあせる


浮世絵師の多くは、その経歴がはっきりしませんが、葛飾応為も同様です。

わかっていることは、次のことぐらいです。

名はお栄といい、三代堤等琳の門人の南沢等明の妻となるが後に離縁して、父である北斎のもとで作画を続けていたが、安政四年(1857)に家を出て行方不明になると伝えられる。

一説によると家出した時、67歳であった言うことです。

そうすると生年は寛政三年(1791)で北斎の37歳の時の子どもということになります。

名前のお栄は、阿栄、栄女ともいい、画号の応為は、北斎が娘を「オーイ、オーイ」と呼んだのでそれを画号にしたと言うことです。

応為の作品で鑑賞したことがあるのは、次の3点です。

    太田記念美術館の「吉原夜景図」
    メナード美術館の「夜桜図」
    東京国立博物館の「砧打(きぬたうち)図」

「吉原夜景図」は吉原の夜景が素晴らしく、最後の浮世絵師と言われる小林清親(1847~1915)の光線画を思わせるものがあり、一見の価値があると思います。



↑ ここの説明にある「吉原夜景図」をテレビで見た時の衝撃!! fjre9














$龍馬と大沢くんとSMAPと。

これ↑

こんな絵を描ける人が江戸幕末にいたのかと!?

ちーと小さすぎて分かりにくいですがあせる

この時代にはなかった「遠近法」や「陰影法」で描かれています。

なんらかのルートで手に入れた西洋画で練習したと思われます。

同じ時代、西洋ではゴッホやモネが日本の浮世絵に憧れ真似た様に、

又、日本でも西洋の技術に憧れていたんですね。

相乗効果で生まれた作品ではないでしょうか。

当時では高価な絵の具を使用して描いているので色が綺麗だそうです。

素晴らしすぎるなく

久々にヒットですキラハートキラハート

これを見に行く為に東京の太田記念美術館に行こうかしら?

いつか(笑)



でも悲しいかな、この時代は女絵師という立場は確立されてなかったので

父である北斎のお手伝い(助手?)や、

お栄が描いた物を北斎の絵として売ったという説もあり(その方が絵が売れるから)

お栄自身の画号「応為」の作品は限りなく少ないらしいです。

最近の研究で、これは応為と北斎の合作か?なんて物も

発見されてるそうですが、

女だからって自分の名前を絵に書けないのは辛い時代ですね。

応為は北斎が「美人画を描かせると自分より上」と言わしめた腕前だったそうです。

でも技術は上でも構図は北斎の方が上の様に思いますが・・・。

北斎は発想が奇抜で見ていて楽しいですキャハハ
















$龍馬と大沢くんとSMAPと。-冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏

これ↑とか(笑)

良くこんな構図が思い付くなぁって思うし、

北斎は天才だと思うニコ



版画は時間が経てば色褪せてしまうけど

北斎親子はそういうのも空しかったんではないでしょうか?

貧乏しても絵の具にお金使ってたそうですからあせ

いつか色褪せる版画で自分の絵を残すより

絵の具で描いた自分の絵を後世に残したかったのかな?

長野だったかどこだったか忘れたけどあせる

北斎が描いたあるお寺の天井画は当時と色が殆ど変わってないとか・・・。

そのお寺も行ってみたいな。

いつか(笑)