つくづく思う。
こんな個人的な思い出をつらつらと、よく書き続けるなぁと。
書き終わると、なんだかスッキリするのは確か。
それで書くのかな?
書く頻度も自分で勝手に決めて、その日が近づいてくると、なんだかソワソワ。
義務でもないし、仕事でもない。
やめたって誰も文句を言わないんだから、やめてしまえばいいのに…
書くことで気持ちの整理をしているのかな?
そんなことを思ったりする。
一年前、急に持ち上がった我が家のリフォームの話。
それには、それなりの理由があったのだけれど、それはそれで大変なことだった。
(それ、それの、オンパレード、
通じますか?)
40年過ごした家は、当然荷物というか、ガラクタが増えていた。
しかし、それよりも何よりも、夫が亡くなってまだ一年しかたっていなかった。その夫の荷物を処分するには、あまりに早過ぎた。
毎日毎日夜遅くまで、一人で、夫の持ち物を前に、どれだけ悩んだことか。
心が引き裂かれるようなことばかりだった。
それでも、一人になった身としては、全てを一人でやるしかなかった。
ヘリコプターも、ここでは一番に処分の対象になった。
何しろでかい。
おまけにもう何の役にもたたない。
何度も何度も親子で話し合った。
かたや、荷物は減らさなきゃあ。
かたや、捨てたくない。
いつも、意見は平行線❗
でも片付けを進めていくと、いろいろな物が出てきた。
たて 1メートル位。
くるくると巻かれたホコリだらけの紙。なんだろう?と開いてみると、それは設計図だった。
さらにその中には、さらに小さい巻かれた紙も。(写真)
設計図は字が小さくて見えづらい。それを拡大コピーしたものらしかった。
縦1メートル、横3メートル近くあっただろうか?
どうやってこんな巨大コピーを
とったのだろう?
ホコリだらけの紙が、長い年月の経過を感じさせた。
元の設計図は残したが、拡大コピーは、処分した。
墜落した衝撃で壊れた機体の一部
も大事にとってあった。
また、修理しようと思っていたのかもしれない。
英語が書かれた黒い箱も出てきた。
「なんだろう?」
開けてみると、操縦器のようだった。アンテナらしき物もある。引っ張ると伸びた。
昔、それこそ大昔。
まだ子供だった頃、近所に住む従兄弟が「少年」という雑誌を持っていた。
その中の「鉄人28号」という漫画。
その鉄人28号は自分では動かない。
正太郎君という少年が、操縦器で操っていた。
その操縦器にそっくりな操縦器❗
それらの品々をみているうちに、やはり、私には処分はできなかった。
引っ越しが近づいてきた。
引っ越しの見積もりもしてもらった。
ヘリコプターは、廃棄でも、仮住まいでもなく、倉庫に保管することになった。
引っ越し前日の荷造り。
4人の人が来て、テキパキと段ボールに荷物を詰めていった。
すべて納め終わったけれど、ヘリコプターには、手をつけない。
「それは、明日の引っ越し業者がやりますから」
とのこと。
大丈夫か?
引っ越し当日。
積み上げられた段ボールは、手慣れた感じでホイホイと運んで行った。
ヘリコプターが残った。
「これは、主人が大切にしていた物なので、倉庫で保管してほしい」
そう話した。
それまでも、この壊れやすい機体をどうやって運ぶのだろうと考えた。当然段ボールには入らない。結局、私達にはその方法がわからなかった。
他の部屋の様子を見に行き、しばらくして戻ってくると…
餅は、餅屋さん❗
引越は、引越屋さん❗
ヘリコプターの機体に合わせて、段ボールを切り張りし、ガムテープで接着して、安定して運べるような箱を作ってくださっていた。
嬉しかった。
これで運ぶことができる。
3ヶ月後、仮住まいから帰ってきた日のこと。
ほぼ、荷下ろしが終わった頃、
「ご主人のヘリコプター、
どこに置きますか?」
前の引越から3ヶ月。
毎日、何軒もの色々な家の引越をされているだろうに、そう言ってくださる人がいた。
私は業者の人の顔も、覚えていなかったけど、その人は、前回の私の話を覚えていてくれたのだろうか?
嬉しかった。
このヘリコプター、
どうやって保管しよう?
ずっと考えてきたけれど、リビングボードを置き、その上に飾ることにした。
ヘリコプターを置くためにはある程度の奥行きが必要だし、そうなるとテレビ台しかなく、それでは高さが低すぎるし………
なかなかこちらの希望に合うものがなく、あちこちの家具屋を探し回った。
やっと先日、どれにするか決めた。
月末には、そのリビングボードが届く。
早く段ボールから出して、飾ってあげたい。