長い月日をかけて、苦労の末にやっと完成した夫の大切なヘリコプター。
しかしその初飛行の日、ヘリコプターは無事飛びたったものの、
(たぶん)その直後、墜落し壊れてしまった。
外見はそれほど損傷しているようには見えなかったけれど、精密な機械部分がこわれたらしく、二度と飛ぶことはなかった。
それから、何十年の月日が過ぎたことだろう。
私達は二人とも定年になり、仕事をやめた。
それまでの時間に追われる生活から、
はい、今日からは好きなよーに
暮らしていいですよ❗
の生活になった。
まだ、仕事をしていた頃、正月に帰省し家族で親戚の家に出かけたことがあった。
そこで、美味しい白菜漬けをご馳走になった。
秋に漬け込んだ白菜が、ちょうど食べ頃になっていた。
あんな美味しい素朴な味の白菜漬け、食べたことがなかった。
いくらでも食べられた。
正月料理より美味しかった。
その時、ふと思った。
私の得意料理ってなんだろう?
なんにもない。
ただただ、家族と自分の空腹を満たすため、時間もかけず、手間かけず、簡単なものを作るだけ。
仕事をやめたら料理がしたいな。
その時、そう思った。
1つでいいから十八番の料理を
作って、みんなにご馳走してあげたい。
定年まで、何年も残しながら、そんなことを考えたのを覚えている。
前置きというか、話が横道にそれてしまいました。
そんなこともあり、定年後に料理をする機会が増え、お客さんを迎えて、食事をすることが増えた。
夫は、本当に明るい性格で、みんなとわいわい騒ぐのが根っから大好きな人だった。
お酒も入ると、すっかり饒舌になり、普段は私には話さない、初めて聞くような話をよくした。
そんな時、あのヘリコプターの初飛行の話も出た。
あの日、ヘリコプターを飛ばす際、いちばん恐れていたことは、
ヘリコプターがどこかへ飛んでいくことだった。
ヘリコプターが遠くへ飛んでいって、操縦器の電波が届く範囲から外れ、コントロール不能になったらどうなる?
バランスを崩して墜落するかもしれない。
大体、安全に着陸すること自体が不可能になる。
機体は150cmはある。
その上に高速で回転する80cmのプロペラが3枚。
いくら人がいない空き地であっても、近くには住宅地が密集している。
墜落すれば、ただではすまない。
物に当たれば破壊するだろう。
人にでも当たれば怪我だけではすまない。
まさに、空飛ぶ凶器。
その危険性を充分自覚していた夫は、その対策として、ロープをつけたという。
勝手によそへ飛んでいかないように。
しかし、それが裏目に出た。
勢いよく飛び立った機体は、ロープが伸びる間は調子よく飛んでいたが、それが目一杯伸びきった時、機体は急激に引き戻され、微妙なコントロールが必要なはずのバランスを失い、そのまま墜落してしまった。
これは憶測だが、きっと、わずかな時間のできごとだったのだろう。
初めての飛行で、操縦に慣れる暇もなく起こったことなのだろう。
自動車の免許だったら、何度も教習を重ね、路上運転や仮免など経ての試験。
一方ヘリコプターに関しては、昔のことだし、個人の趣味でやっていることだし、操縦の練習などしていないだろう。
一発勝負。
しくじったら、即墜落❗
即大破❗
そんなことを思った。
技術が未熟なのは、当然かもしれないけれど、
その危険性を予知して、その対策としてやっていたことが、結果としては、失敗につながってしまった。
その時、夫はどんなことを考えただろう?
そんな話、私には一切しなかった。
失敗して、機体は壊れてしまった。
簡単な一言だけ。
言い訳とか、申し開きとか、そんなことを言わない人だった。
もしかすると、私は、墜落の真相を何も知らないままになっていたかもしれない。
この機体に、お給料の何ヵ月分をかけたことだろう。
夢と希望と、くやしさと後悔と、そしてお金もかかっているヘリコプター。
夫にとっては、壊れてはいても、大切な物だった。
夫が亡くなって一年が過ぎた頃、家のリフォームの話が持ち上がった。
ヘリコプターをどうするか?
考えなければならなくなった。