ラジコンのヘリコプターが完成した。


白地の機体に、真っ青な大空を思わせる青ライン。その下にはアクセントの細い赤ライン。

機体の上部には、機体番号らしき数字やアルファベットも書かれている。


自分でデザインしたのだろうか?

どうやって書いたのだろう?


素人の私が考えるに、マスキングテープを貼って、色を変えながら何度もスプレーするしかない。

カーブしたラインは、手がかかりそう❗


当時住んでいたベランダもない、たった二間の狭いアパート。

家具も置かれた室内で、そんな作業はできないだろう。

私がいない間に、新聞でも敷き詰めてしたのだろうか?

それとも外へ持ち出してやったのか?


そういえば、2階建てのあのアパート、下には庭だか空き地だかわからないようなスペースがあった。


今となっては、真相を聞くこともできない。一人であれこれ想像してみる。



そんな苦労の末、とにかく機体はできあがった。


でも、それで終わりではない。

この機体は実際に空を飛ばなければ、完成したとはいえない。


そこで、屋外で試験飛行をすることになった。


当時は、今住んでいるこのマンションから少し離れたところにあるアパートに住んでいた。

その頃、マンションがあるこの辺りは、山を切り開いて造成中だった。家など一軒もなく、一面、広々とした空き地が広がっていた。

人っ子ひとり通らない。

試験飛行をするには、絶好の場所だった。




しかし、懸命に思い出してみるのだが、肝心の私に、その試験飛行の時の記憶が一切ない。


一緒に行かなかったのだろうか?


当時、私の職場はまだ週休二日制ではなかった。土曜日は半ドン(半日)で出勤していた。

会社勤めの夫は週休二日。勤めのない土曜日にとばしたのだろうか?

しかし、その頃は、まだ一つ目の会社(途中で会社を変わっている)のはず。土曜日は仕事だったのでは?


答える人のいない問いを、また、あれこれ考える。



ヘリコプターは大きい。

車に大きな機体を乗せるだけで、私が乗るスペースがなかったのかもしれない。



覚えているのは、

夫の

「飛ばしたんだけど、すぐに堕ちてこわれちゃった」


という言葉。


照れ隠しか、悔しさを紛らわせるためか、苦笑いをしながら、言葉少なに語るだけで、詳しいことは何も話さなかった。



それ以来、ヘリコプターはリビングのサイドボードの上に置かれたままで、置き物になってしまった。




試験飛行の時の詳しい話を聞いたのは、それから何十年もたってからのことだった。






     何してる?



    「だめだよ」



  あわてて、椅子づたいに



      にげる



真相
「パセリの入ったコップの水、
のみたかったんだよ😾」