今日は久しぶりにヨガの母校、学芸大学にあるリラヨガに行って来ました。
リラヨガではクラスでアーサナ(ヨガの運動)をする前に、いつもヨガ哲学の小話が聞けます。
今日はインドの昔話、アシュタバクラという男性のお話で、どんな大変なことが起こっても、それは今の自分にとって最高のことかもしれないよー、というようなお話です。
この機会を逃したらみんなにお話することもないので紹介しようと思います!
検索してみたら、リラヨガの乳井先生のコラムがあったので、コピー引用させていただくことにしました!勝手にごめんなさい。笑
それでは昔話、はじまりはじまり〜。
その昔ある高名な学者の下に一人の男の子が生まれることになりました。 まだ母親の胎内にいる頃、その男の子は高名な学者である父の間違いを指摘したため、 父はその男の子に呪いをかけ、男の子は手足がねじ曲がった状態で生まれてきました。そのことから“八つの箇所がねじ曲がった”という意味の「アシュタバクラ」
という名前がつけられました。
アシュタバクラが12歳のとき、その類まれな才能を認められたアシュタバクラは国の王の側近として、王が困ったときにアドバイスをする立場につくことになりました。何か困ったことがあって王がアシュタバクラに相談を持ちかけるとアシュタバクラは決まってこう答えたそうです。
「王様、心配はいりません。今王様に起こっているのは最高の出来事です」と。
あるとき王が不注意からちょっとした怪我をしました。なぜ私は怪我をしなければいけないのか?と不満をぶちまける王にアシュタバクラはいつものように答えました。「王様、心配はいりません。今王様に起こっているのは最高の出来事です」と。これを聞いた王は自分の怪我を最高の出来事と言うとはけしからん、と怒ってアシュタバクラを牢に閉じ込めました。
そしてそのまま家来と共に狩りに出かけたのですが、狩りの先で原住民の部族につかまり、生贄にされることになってしまったのです。いざ王に生贄の火がつけられようとするとき、原住民の部族は王が怪我をしていることに気付きました。この原住民には怪我をしている者は穢れているので生贄にしてはいけないという掟があったのです。釈放された王は国に帰る途中ようやくアシュタバクラの言葉の意味を理解したのです。確かに自分の負った怪我が自分の命を救う最高の出来事だったのだと。
国に帰ると王はすぐにアシュタバクラに詫びに行きました。するとアシュタバクラはこう答えたそうです。「王様、もしあなたが私を牢に閉じ込めていなかったら、王様の側近として狩りについて行った私は今頃生贄にされていたでしょう。ですからこうして私が牢に閉じ込められていたのは最高の出来事だったのです」と。
これは古くからインドに伝わる私の大好きな昔話のひとつです。私たちは往々にして自分が望む出来事が起こると最高!、自分が望まない出来事が起こると最悪!と昔話の王のように決めつけがちですが、賢者アシュタバクラが言うように、もしかしたら自分が望んでいない出来事も含めて私たちに起こる出来事はすべて最高なのかもしれません・・・。
というような後書きもついていたのでこれもまた引用しちゃいました。笑。
でもね、この考え方でいくと、このブログを読んだ誰かにとって、私のブログを読んだことが最高の出来事、、、かもしれません。笑。
私は全てが運命だとか、そういう運命論みたいなことは全くわかりませんが、全てが最高!!って受け止めて生きられるくらい、前向きな人間には興味があります。
生き難いときこそ、前向きに受け入れていく強さを持ちたいなぁと思うのです。

どんなときも前向きな子どもに負けないように!
リラヨガではクラスでアーサナ(ヨガの運動)をする前に、いつもヨガ哲学の小話が聞けます。
今日はインドの昔話、アシュタバクラという男性のお話で、どんな大変なことが起こっても、それは今の自分にとって最高のことかもしれないよー、というようなお話です。
この機会を逃したらみんなにお話することもないので紹介しようと思います!
検索してみたら、リラヨガの乳井先生のコラムがあったので、コピー引用させていただくことにしました!勝手にごめんなさい。笑
それでは昔話、はじまりはじまり〜。
その昔ある高名な学者の下に一人の男の子が生まれることになりました。 まだ母親の胎内にいる頃、その男の子は高名な学者である父の間違いを指摘したため、 父はその男の子に呪いをかけ、男の子は手足がねじ曲がった状態で生まれてきました。そのことから“八つの箇所がねじ曲がった”という意味の「アシュタバクラ」
という名前がつけられました。
アシュタバクラが12歳のとき、その類まれな才能を認められたアシュタバクラは国の王の側近として、王が困ったときにアドバイスをする立場につくことになりました。何か困ったことがあって王がアシュタバクラに相談を持ちかけるとアシュタバクラは決まってこう答えたそうです。
「王様、心配はいりません。今王様に起こっているのは最高の出来事です」と。
あるとき王が不注意からちょっとした怪我をしました。なぜ私は怪我をしなければいけないのか?と不満をぶちまける王にアシュタバクラはいつものように答えました。「王様、心配はいりません。今王様に起こっているのは最高の出来事です」と。これを聞いた王は自分の怪我を最高の出来事と言うとはけしからん、と怒ってアシュタバクラを牢に閉じ込めました。
そしてそのまま家来と共に狩りに出かけたのですが、狩りの先で原住民の部族につかまり、生贄にされることになってしまったのです。いざ王に生贄の火がつけられようとするとき、原住民の部族は王が怪我をしていることに気付きました。この原住民には怪我をしている者は穢れているので生贄にしてはいけないという掟があったのです。釈放された王は国に帰る途中ようやくアシュタバクラの言葉の意味を理解したのです。確かに自分の負った怪我が自分の命を救う最高の出来事だったのだと。
国に帰ると王はすぐにアシュタバクラに詫びに行きました。するとアシュタバクラはこう答えたそうです。「王様、もしあなたが私を牢に閉じ込めていなかったら、王様の側近として狩りについて行った私は今頃生贄にされていたでしょう。ですからこうして私が牢に閉じ込められていたのは最高の出来事だったのです」と。
これは古くからインドに伝わる私の大好きな昔話のひとつです。私たちは往々にして自分が望む出来事が起こると最高!、自分が望まない出来事が起こると最悪!と昔話の王のように決めつけがちですが、賢者アシュタバクラが言うように、もしかしたら自分が望んでいない出来事も含めて私たちに起こる出来事はすべて最高なのかもしれません・・・。
というような後書きもついていたのでこれもまた引用しちゃいました。笑。
でもね、この考え方でいくと、このブログを読んだ誰かにとって、私のブログを読んだことが最高の出来事、、、かもしれません。笑。
私は全てが運命だとか、そういう運命論みたいなことは全くわかりませんが、全てが最高!!って受け止めて生きられるくらい、前向きな人間には興味があります。
生き難いときこそ、前向きに受け入れていく強さを持ちたいなぁと思うのです。

どんなときも前向きな子どもに負けないように!
