ひまりは3歳。
親の言うことを聞かないこともある。
そういう時に、どうして無理やりにでも言うことを聞かせたくなるのだろう?
ひまりのために言っているのに、どうして言うこと聞けないの??
そう責めたくなってしまうのだろう。
今日の夜ご飯前、ひまりはおやつを食べたいと言い出した。
もう夜ご飯を出す間際、私は言った。
「もう夜ご飯だよ。ご飯食べれなくなるから、おやつは明日にしなさい」
するとひまりは「ふんだ。知らない。ご飯いらないもん」と言って、勝手におやつを出して食べ始めた。
ひまりがもっと小さなときは笑えたのだけれど、善悪の区別がつきつつある今は笑ってもいられない。
おやつをご飯の前に食べてしまったら、ご飯をしっかり食べることができない。
ひまりが喜ぶと思って作った夜ご飯。
健康のためにと気を使っている夜ご飯。
そう思ったら、ひまりの態度がわがままなものに感じられて、言うことを無理矢理でも聞かせたくなった。
「ひまりがそうやっておやつを食べたらご飯食べれなくなるよ」
「いらないもん」
「ご飯はお母さんがひまりの体を強くするために作ってるんだよ。そんなことを言われたら悲しいよ」
「ひまり、おやつがいいの!!」
「おやつだけでは、ちゃんと元気に育てないよ」
「いいもん。お母さんあっち行って~!!」
「ひまり!!いい加減にしなさい!」
と続くのだけれど、ここからは完全に言ってはいけないことを言ってしまった。
「こういう時間におやつ食べるなら、ひまりにはもうおやつ買ってあげられないよ」とか
「言うこときかない子とは、もうお話ししたくない」とか。
言ったあとすぐ後悔できるようなことのオンパレード。
ひまりにはどうしようもコントロールできないことによる、言葉の暴力。
その後、ひまりの声掛けをしばらく無視していると、ひまりがしぶしぶと言う。
「お母さん、ごめんなさい。ひまり、わかったから~」
私はやっちゃったなぁ、と後悔。
「お母さんも、ひどいこと言ってごめんね。ひまりのこと大好きだよ。良い子だと思ってる」
そう伝えてもなんだか後の祭りで。
ひまりがわかったのは「駄目と言われたことをすると怒られること」であって、おやつを晩御飯前に食べてはいけないことではない。
夜ご飯を用意して食べられなかったときに言えばよいのだ。
「おやつを食べたらご飯きちんと食べられないよね。お母さん、一生懸命作ったもの残されたら悲しい。だから、次はご飯の前におやつは食べないでね」
それだけでよかった。
無理やりしかりつけて、謝らせることに何の意味があったのだろう。
ただ、自分がひまりを支配(コントロール)していたいということが、わかっただけ。
人をコントロールしたい、自分が主導権を握っていたいという思いが自分の中にある。
それは暴力と一緒だと思う。
殴りつけて言うことを聞かせるということとの違いは、身体的な部分だけ。
心を傷つけるという面では同じなのだ。
気を付けなくっちゃいけないなぁ、と思った。
ひまりをコントロールしたいという気持ち、全部手放したい。
ひまりは私の付属品じゃない。
1人の人だから、ちゃんと考えて行動しているのだ。
自分の行動が何を生み出すかはこれから経験していくこと。
脅かされて、無理やり価値観を押し付けられたら、自分で考えなくてもいいことになる。
自分で考えて、人が嫌がること、傷つくことをしてはいけないとわかるまで、ひまりはたくさんの経験をしていく必要がある。
そういう経験のためには、親に逆らうことも必要なことなのだ。
お友達とうまくいかない経験だって、必要なことなのだ。
私がしていいことは感情のままに怒ることではなくて、一緒にとってしまった行動の意味を考えること。
それをひまりと伝え合うこと。
ひまりはまだ3歳、感情的になるなんて当たり前。
もう35歳の私が、感情的になる、それはなんだか恥ずかしいことだな。
35歳の私がまだ、周りに迷惑をかけながら生きているのだから、3歳児のやること、ど~んと受け止めていかないとなぁ。
怒りたくなったら、立ち止まる。
自分のために怒っていないか考える。
言うことを聞かせるために怒ることに意味はない。
ひまり、お母さんはもっと精進します。
ひまりとずっと仲良しでいられるよう願ってます。
ひまり、ごめんね。
眠るひまりに口づけながら、ほんと、反省です。
今日のおやつ
親の言うことを聞かないこともある。
そういう時に、どうして無理やりにでも言うことを聞かせたくなるのだろう?
ひまりのために言っているのに、どうして言うこと聞けないの??
そう責めたくなってしまうのだろう。
今日の夜ご飯前、ひまりはおやつを食べたいと言い出した。
もう夜ご飯を出す間際、私は言った。
「もう夜ご飯だよ。ご飯食べれなくなるから、おやつは明日にしなさい」
するとひまりは「ふんだ。知らない。ご飯いらないもん」と言って、勝手におやつを出して食べ始めた。
ひまりがもっと小さなときは笑えたのだけれど、善悪の区別がつきつつある今は笑ってもいられない。
おやつをご飯の前に食べてしまったら、ご飯をしっかり食べることができない。
ひまりが喜ぶと思って作った夜ご飯。
健康のためにと気を使っている夜ご飯。
そう思ったら、ひまりの態度がわがままなものに感じられて、言うことを無理矢理でも聞かせたくなった。
「ひまりがそうやっておやつを食べたらご飯食べれなくなるよ」
「いらないもん」
「ご飯はお母さんがひまりの体を強くするために作ってるんだよ。そんなことを言われたら悲しいよ」
「ひまり、おやつがいいの!!」
「おやつだけでは、ちゃんと元気に育てないよ」
「いいもん。お母さんあっち行って~!!」
「ひまり!!いい加減にしなさい!」
と続くのだけれど、ここからは完全に言ってはいけないことを言ってしまった。
「こういう時間におやつ食べるなら、ひまりにはもうおやつ買ってあげられないよ」とか
「言うこときかない子とは、もうお話ししたくない」とか。
言ったあとすぐ後悔できるようなことのオンパレード。
ひまりにはどうしようもコントロールできないことによる、言葉の暴力。
その後、ひまりの声掛けをしばらく無視していると、ひまりがしぶしぶと言う。
「お母さん、ごめんなさい。ひまり、わかったから~」
私はやっちゃったなぁ、と後悔。
「お母さんも、ひどいこと言ってごめんね。ひまりのこと大好きだよ。良い子だと思ってる」
そう伝えてもなんだか後の祭りで。
ひまりがわかったのは「駄目と言われたことをすると怒られること」であって、おやつを晩御飯前に食べてはいけないことではない。
夜ご飯を用意して食べられなかったときに言えばよいのだ。
「おやつを食べたらご飯きちんと食べられないよね。お母さん、一生懸命作ったもの残されたら悲しい。だから、次はご飯の前におやつは食べないでね」
それだけでよかった。
無理やりしかりつけて、謝らせることに何の意味があったのだろう。
ただ、自分がひまりを支配(コントロール)していたいということが、わかっただけ。
人をコントロールしたい、自分が主導権を握っていたいという思いが自分の中にある。
それは暴力と一緒だと思う。
殴りつけて言うことを聞かせるということとの違いは、身体的な部分だけ。
心を傷つけるという面では同じなのだ。
気を付けなくっちゃいけないなぁ、と思った。
ひまりをコントロールしたいという気持ち、全部手放したい。
ひまりは私の付属品じゃない。
1人の人だから、ちゃんと考えて行動しているのだ。
自分の行動が何を生み出すかはこれから経験していくこと。
脅かされて、無理やり価値観を押し付けられたら、自分で考えなくてもいいことになる。
自分で考えて、人が嫌がること、傷つくことをしてはいけないとわかるまで、ひまりはたくさんの経験をしていく必要がある。
そういう経験のためには、親に逆らうことも必要なことなのだ。
お友達とうまくいかない経験だって、必要なことなのだ。
私がしていいことは感情のままに怒ることではなくて、一緒にとってしまった行動の意味を考えること。
それをひまりと伝え合うこと。
ひまりはまだ3歳、感情的になるなんて当たり前。
もう35歳の私が、感情的になる、それはなんだか恥ずかしいことだな。
35歳の私がまだ、周りに迷惑をかけながら生きているのだから、3歳児のやること、ど~んと受け止めていかないとなぁ。
怒りたくなったら、立ち止まる。
自分のために怒っていないか考える。
言うことを聞かせるために怒ることに意味はない。
ひまり、お母さんはもっと精進します。
ひまりとずっと仲良しでいられるよう願ってます。
ひまり、ごめんね。
眠るひまりに口づけながら、ほんと、反省です。
今日のお昼ごはん。ジョンとひまり仲良しツーショット。
今日のおやつ



