今、私は子育てをしながらヨガを学んでいる。
ヨガというのはいろいろなポーズをとる運動というふうに思われがちだけれど、じつはものすごく歴史が古く(一説によると紀元前3000年前から)、人が豊かに生きていくための知恵を伝えている。
その教えの中で、人が生きていくためにしてはいけないことが5項目ある。
そのひとつが嘘をつくこと。
いつでも「正直(ヒンドゥー語でサティヤ)」であれという教えだ。
私は、この教えに挑戦している途中。
嘘をつかないで生きることはじつはとても難しい。
一番は子育て、というか、嘘をつく相手は私にとっては常にひまり1人だ。
この年になってしまえば、他人に虚勢を貼る必要もない。
夫に嘘をつくほど悪いと思うことをした覚えもない。
でもね、恥を忍んで告白するとひまりにはけっこう嘘をついている。
この教えでは「嘘も方便」ということも禁じている。
例えば、これ以上冷たいものを食べたらお腹を壊してしまうと私がひまりを心配したとする。
そういうときに「お腹を壊すからやめようね」と言うのではなく「もう、家にないから今日はおしまい。明日、また買おうね」と言ってしまう。
なぜかというと、そのほうがひまりがすぐに納得してくれるから。
あるものを我慢するということが2歳児にはまだまだ難しい。
例えば、夜寝るときに、なかなか寝ないひまりに対して「寝ない子のところにはお化けが来るよ。目をつぶって静かにしないと、見つかって食べられちゃうよ」と言う。
すると、ひまりはお化けが怖いので素直に寝てくれる。
例えば、ひまりは女の子で自分で服を選びたい。でも、私が似合わないと判断したら「そのお洋服、お洗濯ないといけないから、今日はこっちにしよう」と言う。
「お洗濯だと濡れちゃうもんね~、じゃぁこっちでいいよ」とひまりは納得してくれる。
「その組み合わせ、ちょっとおかしいんじゃないかなぁ」というと駄々をこねる確率が高かったのでこの嘘が編み出されたわけなのだけど・・・・・・。
短時間で何個も思いつくくらい、私はひまりに小さな嘘をついている。
嘘も方便、それでいいよって開き直ることもできる。
けれど、どんなに小さくてもひまりはひとりの人なのだ。
私はどんな人に対しても、誠実でありたい、と思って生きているのではなかっただろうか。
誠実であるための1つは多分、嘘をつかないこと。
ひまりに嘘をつくたびに、私はひまりとの関係、さらには自分のことを損ねているのではないだろうか。
ひまりは私のことを信じている。
それなのに、ひまりに自分の育児が楽になるよう嘘をつく。
家庭や友人、恋人に認められたくて、見栄をはる。
社会にでて、仕事が楽になるよう、自分の仲間にちょっとした嘘をつく。
こういう経験、誰にでも1度はあると思う。
そうして、あるがままの自分を自分でも受け入れられなくなってしまう。
それはじつはとても怖いことなんじゃないかな。
自分を損ね、ばれてしまったときに相手との信頼関係も損ねてしまう。
相手の気持ちだって損ねてしまう。
私はひまりに嘘をつく。
それはひまりの可能性だって奪っている。
ひまりにして欲しいことにも、して欲しくないことにも理由がある。
1度では伝わらなくても、何度も伝えることで分かることが絶対にある。
嘘をついてしまっては、何も解決しない。
我慢だって覚えられない。
私は親として、教えなければいけないことを、いくつか先回しにしていた。
時間がかかるからと嘘をつくことは、いったい誰のためになっていたのだろう。
いずれ、教えるのならば、それはひまりがそれをした時がいい。
子育てで、嘘をやめてみたい。
どんなにお話してもわかってもらえなかったときは、感情が落ち着くまで抱きしめてあげよう。
嘘をやめてみて、子育てがどう変わるのかはわからない。
ものすごく大変になるかもしれない。
でも、それもなんだかやりがいがある。
ひまりが大きくなって「お母さん、嘘ばっかりついて育てたでしょ?」なんて言われないようにしないとね。
嘘をつかない正直ゲーム、誰か参戦しませんか?笑。
挑戦してみて、こういうとこはやっぱりしょうがないよなぁっていうことが、きっと出てくる。
でもまずは、小さな一歩から「私はお化けって言葉を言わない!!」とブログで宣言しておきましょう。

こんなあどけない子に嘘はいかんって思う今日この頃なのです。今までは変えられないから、これからね。
