ひまりはテレビっ子になってしまった。

上記の文のはじまりには、「残念ながら」という形容詞を上につけなければならない。

なぜなら、テレビなんて見ないで、お外で遊ぶのが素敵な幼児生活だと思っているから(もちろん偏見です)。

ひまりがどうしてテレビっ子になってしまったのか。

それは、間違いなく私のせい。

家事をするときに、テレビにお守りをさせていたからだ。


本当はあまり見せたくない。

かといって、刃物や火を使ってご飯を作っている時に、うろちょろされては困る。

そういう葛藤の末と言いたいところだけれど、私は当たり前のように文明の力にすがってしまった。

テレビを見せることの善し悪しなんて、考えもしなかった。


きっと世の中の真面目なお母さんは考えたことがあるだろう。

私も今になって考える。

テレビがなかったら、今頃ひまりはどんな子どもになっていたのかということを。

テレビを見る時間に、お絵かきとかパズルとかいろいろ違うこともできた。

そうしたら、もっと手先は器用に、情緒的にも穏やかになっていたかもしれない。


テレビは一方通行の刺激だ。

自分から働きかけて物事が動くことはない。

だから思考する必要がない。

けれども、現実世界は思考して行動する必要がある。

幼児に必要なことは、一方的に情報を流されることではない。

もっと現実的な生きる力を身につけていくことだ。

そう、思った。


今までしていた私の最低限の取り組みは、食事中にテレビを見せないこと。

食べ物の味を知ってもらいたい。

食事の時間は、家族とお話する時間だと思って欲しい。

だからいつもテレビを消してから、食事用の椅子に座らせていた。


そして、今日、事件が起きた。

「テレビ見たまま、ご飯食べる!」と、テレビを消して椅子に座らせた瞬間にひまりは泣き出した。

「ご飯の時は、テレビは見ない約束だよ」と宥めてみるも全く効果なし。

「じゃぁ、食べなくていいよ」というとさらに大泣き。

結局30分泣かれて、根負けした。

「今日だけの約束」とテレビを見せながらご飯を食べさせることになったのだ。


突然、テレビの善し悪しを考えてしまったのは朝の「テレビ見ながらご飯事件」の影響だ。

テレビは家事をするお母さんの味方だと思っていたけれど、このままでは家族団欒の敵になってしまいそう。

DVD教育が流行っている今、テレビを完全に否定するつもりは全然ない。

知識を身につける上で、有益なこともある。

いろいろなバランスを考えて、その上でテレビを使うことを選択することはありだと思う。


忘れてはならないのは、子どもたちはテレビのように何も考えなくていい世界で生きるわけではないということ。

何も考えずテレビに子守をさせていたら大変なことになる。

私はちょっぴり反省した。

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もちろん、外でも遊んでるよ。ものすごーくお転婆で、テレビを見ている時には考えられないくらいはしゃぎます。
お友達の柚月ちゃんと。