霜月27日
宮宿~新居宿
江戸時代の東海道は江戸と京都大坂を結ぶ幹線道路として、慶長6年(1601)正月に制定され、その間に宿場を設けました。宿場の数はその後も増加して、品川宿から大津宿まで俗に「東海道五十三次」の宿場となったのです。しかし更に大坂までの4宿を加えて、57宿が東海道ともいわれることもあります。東海道と共に中山道・日光道・奥州道・甲州道を加えた五街道は江戸幕府の管理下におかれ、現在でいう国道です。
宿場には問屋場(人足と馬の手配をする事務所)と本陣(大名などが休泊する施設)と高札場(人足銭や禁令を書いた大きな立て札)の三つが必ず設けられていました。また本陣に準じる脇本陣や、一般の人達が利用する旅籠屋や茶店も多くありました。旅籠屋数の最も多いのは宮(熱田)で、幕末頃には248軒あり、次いで多いのは桑名宿の120軒であったそうです。
慶長6年桑名宿が設けられた際に、宮宿までは海路の渡船と定められました。それ以前の関東と京都を結ぶ幹線道路は関ヶ原を経由していましたが、桑名経由に変更になりました。その理由についてははっきりしませんが、軍事的な目的からだろうと言われています。
桑名から宮までは海路なので道はありません。
弥富市を通るのが、現在の国道1号線です。
江戸時代の地図と比べてみると、随分地形が変わっているのが分かりますね。
今日は、宮宿からスタートです。
宮宿(七里の渡し跡)
桑名宿の七里の渡しとを繋ぐ、東海道海上交通の要所です。
葦の束が何とも言えない雰囲気を醸し出しています。
熱田・宮の渡しから海上七里を船に乗り、桑名の渡しに着いたことから「七里の渡」と呼ばれています。
笠寺一里塚
鳴海宿本陣跡
鳴海宿の本陣跡です。
今は、此処に嘗て本陣跡があったという立て札だけが有りました。
有松宿
五十三次では無いですが、当時のおもかげを残す建物がしっかり保存されていました。
どの家にも「ありまつ」の暖簾が掛けてありました。
街全体で保全に力をいれているようです。
池鯉鮒宿(知立宿)
池鯉鮒宿で、すこし休憩しました。
元祖あん巻きの小松家さんのあん巻きを食べました。
写真は、食べさしで失礼します。
余りにも美味しそうなので、いきなりかぶり付きましたから(笑)
店内には、沢山の芸能人のサインが有りました。
テレビ等で何度も紹介されているようです。
新居関所は、全国で唯一現存する関所です。
見学したかったのですが、見学時間が終わったので、見られませんでした。
今日は、此処までです。
11宿廻りましたが、どの宿もそれぞれ興味深いものでした。
五十三次以外にも、一里塚や町並み等、沢山の見所が有りました。
紹介したい風景が沢山有ったのですが、これくらいにしておきます。
興味の有る方は、是非!巡って下さい。
しかし道を探すのが大変です。
特に名古屋や岡崎等の都会では、広い道に分断されたり、一方通行であったりしていて、行きつ戻りつしましたので、結構時間がかかりました。
交通量も多くうろちょろすると危ないので、諦めた所もあります。
しかし、それ以上の楽しさがあり、休憩するのも忘れるくらいでした。
小回りのきくモンキーが大活躍でした。
明日は、舞坂宿から藤枝宿を巡る予定です。
どんな風景が見られるか?
楽しみです。
北近江@旅人