毎日がこの繰り返し。

たぶん今日はもう寝ることはないでしょう。

どうして私の塾では毎年毎年第一志望合格率が100%なのか。

どうして偏差値が20以上足りないまま第一志望に合格してしまうのか。

どうして1年間E判定のまま合格してしまうのか。

仏教はお坊さんが厳しい修行を通じて得たものを信徒に伝えます。

決して信徒に厳しい修行を求めません。

同じような気持ちで仕事をしています。

私がたくさん苦しんでつかんだものを生徒や保護者に伝えれば、みんな合格してしまうのです。

苦しみの後には楽しみが待っています。

苦しいだけでは人間は続かないですが、その先に楽しみがあればどんなに苦しくても続くのです。

この時間にようやく寝る塾の先生はいるかも知れません。

しかし、この時間に既に起きて仕事をしているなんて私くらいではないでしょうか。

こんな塾が一軒くらいあっても良いのです。

誰にも迷惑をかけていませんから。

それどころか生徒の命を何人も救って来ました。

趣味で運営している塾です。

今この時間は1人の不登校の生徒のために教材を作っています。

今や主流の個別指導の塾では塾長・室長は教室管理だけで教えていない者がたくさんいます。

正確には教えていないのではなくて、十分な学力や学歴がなくて教えられないのかも知れません。

彼らが進路指導する際には個票を見ながら。

その生徒の癖が分からずに進路指導です。

例えば同じ偏差値55の生徒が2人いるとして、その2人の個性が同じなんてことの方が少ないですよね。

片方が緊張しやすく、もう片方は緊張と縁がない。

片方は本番に弱く、もう片方は本番に強い。

偏差値が同じならば同じ学校を勧めるのが通例です。

それは正しいですか?

なぜ他の塾ではせっかく入学した学校を辞めてしまう者がいるのでしょうか。

私の塾では第一志望に入学後にさらに成績が伸びて学年1位になる者が何人もいます。

その学校が合っていたからです。

ふだん直接教えているからこそ、その生徒を骨の髄まで把握してあげることによってきちんとした進路指導ができるのではありませんか。

教材作りも1人の生徒のために行えるのは、ふだん教えているので本人に今何が必要なのかが分かるからです。

親が亡くなってから結構な時間が経過しましたが、実は未だに相続手続きすらしてありません。

それよりも生徒の指導の方が大切だからです。

物事には優先順位があります。

指導する立場にいる者はそれを絶対に忘れてはなりません。