お母さんはADHDですね…衝撃受けたが、息子・栗原類さんのことは「恐れ過ぎる必要ないのかも」
2022/02/01 09:05
母なればこそ子と歩む
読売新聞

俳優・栗原類さんを育てた栗原泉さん 52<中>

 芸能界で個性を輝かせるモデルで俳優の栗原類さん(27)。19年前、米ニューヨークの小学校で発達障害の可能性を指摘され、その判定を聞くため審査会に出席していた母・泉さん(52)は、まず専門家が口にした言葉に耳を疑った。「お母さんは明らかに典型的なADHD(注意欠陥・多動性障害)ですね」

 類さんの行動観察や医師の診察のたびに付き添い、成長過程や親としての考えなどを話してはきたが、まさかそれが自身の診断につながっていたとは――。

 「発達障害を専門とする先生たちが『まず間違いないでしょう』と口をそろえ、その後、ようやく肝心の息子についての話し合いが始まりました」

 審査会の結論は、「ADD(注意欠陥障害)」。泉さんとタイプは異なるものの、類さんも発達障害であることが認定されたのは8歳の時だった。

 「自分のことはともかく、類が発達障害と知らされたことは大きな衝撃でした」

 これまでの言動には理由があったとわかった 安堵あんど とともに、どう対処していったらいいのか、将来はどうなるのか。いくつもの不安が押し寄せてきた。

 「でも、ちょっと待てよ。30歳過ぎまでADHDだなんて知らずにきた私は、曲がりなりにも社会に出て働いてるじゃない。極端に恐れ過ぎる必要はないのかもしれない」

 覚悟を決め、発達障害についての勉強を始めた。類さんの日常もこれまで以上に観察し、定型にとらわれることなく長い目で成長を見守るよう心がけた。

 ニューヨークでは、友達の家に遊びに行くと、その家族が子どもたちみんなを連れて映画館に行くことが頻繁にあり、類さんも毎週のように映画を楽しむようになっていた。

 「もともと短期記憶に問題があったため、勉強はまったくと言っていいほど頭に残らない子でした。なのに、お気に入りの映画に関しては、すべての場面を絵的に記憶し、登場人物のセリフを正確にそらんじるほど」

 発達障害という事実をどう本人に説明しようか。切り出すタイミングに悩んでいた泉さんに、その機会を与えてくれたのも映画だった。魚たちの冒険を描いたアニメ映画『ファインディング・ニモ』を2人で見に行った帰り道、言われたことをすぐに忘れてしまうキャラクター「ドリー」のことが話題にのぼり、「類も同じなんだよ」と伝えることができたのだ。

 「何度も同じ失敗を繰り返し、なんでも忘れてしまうのが常でしたが、『ドリーと僕は同じ』というキーワードのおかげで、子どもながらに自分の特性を理解し始めたようでした」

 将来を見据えて日本の学校生活にも 馴染なじ んでもらいたいと、帰国を決めたのは小学5年の時。

 東京の公立小学校に転入するやいなや地獄のような日々が待っていた。男子のランドセルは黒が主流の時代、えんじ色の横型を背負って登校しただけで陰口をたたかれ、英語で独り言をつぶやくと、「アメリカに帰れ。英語人」などと暴言を吐かれた。

 地元の公立中学校に入学してからも言葉の暴力は続いた。

 「身長は1メートル70近くになり、ハーフで目立っていたからか、上級生からヤジを飛ばされたり、軽い脅しをかけられたりすることが続いていたようでした」

 5月には登校できなくなり、「学校に行きたくない」と閉じこもった。不登校が2週間続いた朝、泉さんは行動を起こした。

 「行きたくないんだったら、行きたい学校が見つかるまで探そう」と類さんに声をかけ、「都内には数百校も中学があるんだし、気に入った学校を探しに連れ歩いてあげるから」と、候補の学校をリスト化し始めた。通っていた中学校へも「転校手続きをします」と伝えた。

     ◇

 泉さんの行動力に慌てたのは類さんの方だった。