大場久美子さん 最後に「申しわけなかった」と私に頭を下げた父…末期がんの介護 自宅での看取りを選んだ
4/17(日) 7:14配信
読売新聞(ヨミドクター)

ウェルネスとーく

 13歳でデビューし、トップアイドルとして歌にドラマに活躍した大場久美子さんは、その後、芸能生活を支えてくれた母と父を見送りました。お父さんについては、自宅での介護と看取(みと)りを選んでいます。父子で過ごした「最後の時間」を語ってくれました。(聞き手・梅崎正直)

いつも怒っていた父

――2015年にはお父さんの介護と看取りを経験されています。どんなお父さんだったのですか。

 厳格な父親で、特に男の子の教育には厳しかったです。いつも怒っていたという印象があります。理不尽なことは言わないのですが、神経質で曲がったことが嫌い。誰かとけんかをしない日はなかったくらいです。

 その面倒を見ていたのが母で、母が亡くなってから、その役が私に回ってきたんです。

――大場さんのご自宅で介護されることを選んだのですね。

 長年、前立腺がんの治療を続けてきたのですが、肝臓に転移していて余命半年と言われました。父は子どもたちに多くを語らなかったので、そんなに進行していたなんて、そこで初めて知ったんです。腹水もたまっていて、歩くのも難しい状態。東京の私の家に来るか聞いたところ、「行く」と言いました。

 末期がんとされてからも、私の家ではパソコンをいじったりして、最後まで元気でしたが、腹水がたまって、ついに一口も水分を取れなくなってしまい、一度は入院しました。治療を終えた医師から、「明日、連れて帰らないと、もう帰れなくなるかもしれません」と言われました。父の意向を聞くと、「帰る」と。それで、自宅で父を看取ることに決めました。本人には病気の状態を詳しく話しませんでしたが、退院の時、医師や看護師たちがそろって送り出してくれたことで悟ったようです。涙を流していました。

――不安も大きかったのではないですか。

 24時間体制で、枕元にベルを置き、いつ鳴ってもいいように気をつけていました。動けなくなってからは、私が手を握って添い寝をしました。父の状態に異変を感じ、救急車を呼ぶべきか迷った時には、動画を撮って知り合いの医師にLINEで送り、見てもらいました。訪問診療の医師にもお世話になりました。

父に見せるライブを計画していたが…
――お父さんとの最後の時間、どんな話をしましたか。

 話さなかったですね。実は、それ以前から、父とはあまりいい関係ではなかった。では、なんで自宅に引き取ったの、と聞かれましたけど……。

 ところが、もう話せなくなるという最後の時に、父は「申しわけなかった」と一言。そして、私に頭を下げたんです。いろんな意味が込められた言葉だったと思います。

 父はよく持ちこたえていました。そんな時、訪問診療の医師から「記念日はありますか」と聞かれました。「何か記念日があるとき、患者さんはがんばるんです」と。年末だったのですが、翌年1月の私の誕生日に、父に見せるための記念ライブを計画していたんです。それが楽しみでがんばったのかどうかはわかりません。結局、大晦日(おおみそか) の朝、父は息を引き取りました。

セリフをうまく言えない! 家ではできるのに

――お父さんを介護した時期は、大場さんも50歳代。ご自身の体調は問題なかったのですか。

 芸能界の同年代の人たちからは、いろんな悩みを聞かされていました。とくに、「セリフがおぼえられなくなった」という声が多かったですね。役者には深刻なことです。私も一時期、悩みました。

 久しぶりに出たドラマで、セリフがおぼえられない、うまく言うことができない。家ではできるのに、本番になるとできないんです。私の場合は、過去のトラウマもあったと思います。昔、先輩が主役のドラマに脇役として出たとき、うまくいかなくて、ある人から「この子、大丈夫?」と言われたことがありました。その記憶がよみがえってしまうんですね。

 自分で心理学を学んでからは、心の問題に対処できるようになっていましたが、本番でセリフが出てこない現象は続いたため、迷惑をかけてしまうと思い、演技から遠ざかりました。16年に志村けんさんの舞台「志村魂」に出るまで、それが続きました。

 今はエネルギーいっぱいです。心理関係などの資格の勉強をしてきたことも、自分にはよかったのだと思います。脳活性トレーナーや記憶術の勉強もしたせいか、ここにきて暗記力が伸びている気がしますね。台本をおぼえるのが早くなったし、犬に飲ませる薬の名前なんかも、一度聞いたらほぼおぼえられます。

コロナ禍で「引退」を考えたこともあるけど
――芸能界もコロナ禍の影響は深刻でした。大場さんの場合はどうでしたか。

 キャンセルや延期で全く仕事がなくなりましたね。もうすぐ年金をもらえる年齢でもあるし、「引退しようかな」と考えることも多かったです。前の結婚生活で歯ブラシに歯磨き粉をつけてあげるほど“尽くしすぎた”反省から、再婚した時には「嫁はやらない、妻もやらない」と宣言した私ですが、最近はサラリーマンの夫のお弁当を作ったりもしています。

 でも、携わっているボランティア活動を続けるにもお金は必要です。子ども食堂の活動にもかかわっていて、貧しかった自分の子ども時代を思い出し、今の子どもたちの助けになることをしたいと思っています。

――ということは、まだまだ引退できませんね。

 やりたいことはたくさんあります。昨年10月には、YouTubeも始めました。資格の数でも、芸能界の1番を狙っているところです(笑)

おおば・くみこ
 1960年、埼玉県生まれ。73年、劇団に入り、子役として活動。77年に「あこがれ」でアイドル歌手デビューした。78年の主演ドラマ「コメットさん」で人気沸騰し、ブロマイド売り上げは2年連続1位となった。その後は舞台やサスペンスドラマで活躍。近年は、東日本大震災で被災したペットの救助・保護など、ボランティア活動も積極的に行っている。2021年10月、YouTube「大場久美子のクーミンChannel」を開設。