今吉野家に朝ごはんを食べに行きましたが、殆どの食べることなく下げ口に置いて店を出て来てしまいました。
食べに行ったのに食べずに帰って来るなんておかしいでしょう?
それも初めてではないのです。
一体これまでに何回繰り返したことでしょう。
私が入った時点では、私の他に店内に客はいませんでした。
いつも通りに私は店内の隅にある席に座っています。
後から来たのが二人組の若造。
ガラガラの店内で私の隣の席に座るではありませんか。
普通は一席空けたところに座るとか、対角線上の一番離れた席に座るとかしませんか。
しかし、我孫子は違うのです。
隣に座るのです。
コロナの時代ですよ。
離れて座るのが常識ですし、そもそもそれが礼儀だと思いませんか。
そんな常識も礼儀も我孫子にはありません。
彼らは座った途端に大きな声でおしゃべりを始めます。
私には耐えられません。
だから殆ど食べずに店を出たのです。
コロナの時代ですよ。
ピークアウトしたかのように見えた第6波はここ数日再び増加に転じています。
なぜ?
常識知らず礼儀知らずの連中が、出かける必要がなくても人混みの中に行ってウイルスを撒き散らしているからではありませんか。
先日もニュースで中目黒が映っていました。
都内に詳しい方ならば中目黒と聞いてすぐに分かりますよね。
そう、目黒川に沿った桜並木ですよ。
あり得ないほどの人混み。
歩きながら鑑賞するのならばまだ分かりますが、立ち止まって撮影大会です。
隣にいる人との間がないほどの場所に延々と居座っての撮影大会。
こういった光景が日本中で繰り返されるから、いつまで経ってもコロナが収束することなどないのです。
social distancing
この意識が全くないのです。
それが我孫子の吉野家では常に繰り返されます。
もしも二人組でなく一人だったら私は席を立つことはなかった?
いいえ、一人の客でも私は席を立つでしょう。
我孫子で目立つのは一人客の電話。
クッチャクッチャ音を立てて食べながら電話までかける者の多いことにはいつも呆れています。
だから、私は二人客でも一人客でも隣に誰かが座ったら席を立ちます。
コロナを収束させたいからです。
私は昨年母を亡くしました。
死因はコロナではありません。
心臓の働きが低下しての事実上の老衰です。
ですが、遠く離れて暮らしていたために母は施設に入っていました。
多い時は週に3回くらいは会いに行く生活をしていた私です。
それがコロナの時代になってから面会禁止になってしまいました。
さらに入院後は一度も会えていません。
担当医からの説明の度に、母の病室まで僅か数歩の場所まで行っているのに、やはり会うことはできませんでした。
再び会う時が訪れたのはまだ温かい体の物言わぬ母になってからです。
死に目に間に合いませんでした。
離れているからです。
母は一人暮らしでした。
なぜ?
離れて暮らすようになったのは親子の仲が悪かったからです。
ですが、母の具合が悪くなってから、妻子にも言っていませんが、約5年間私にできることはして来ました。
どんなに仲が悪くても私を産んで育ててくれた人への最後の親孝行だったからです。
そして、その最後は一年以上会えないまま母は逝ってしまいました。
それがどれほど無念か、同じ境遇を経験した人でないと分からないと思います。
全てコロナのせいです。
コロナさえなければと悔いが残る最期となりました。
だから、私は決して人混みの中には入りません。
仕事の都合上、都内の大きな書店に行きたいのですが、我慢して行っていません。
一人一人が注意していればコロナは収束するのに、それができない愚か者が多すぎるために今再び陽性者が増加している訳です。
その愚か者が我孫子には多すぎるのです。
陽性者数は毎日発表されますが、小さな都市に過ぎない我孫子はその僅かな人口の割に陽性者が多い、それがこの街の最たる特徴です。
私は柏市民です。
政令指定都市の一段階前であるかのような中核市の指定をされている柏市は人口が多いのは言うまでもないことです。
毎日その前を通る柏駅前の吉野家は頻繁に利用しています。
もちろん私は外食の際は客の少ない時間に行くように心がけています。
ところが、柏の店ではガラガラの店内で隅の席に座った私の横に他の客が座ったことはたったの一度しかありません。
それに対して我孫子の吉野家はわざわざ隣に座る愚か者がいるのはしょっちゅうです。
我孫子の民度を疑います。
民度が低過ぎます。
我孫子への引っ越しを考えている人たちには、こういう有り様を知っておいていただきたいと思うのです。
何も知ろうとせずに、引っ越して来てから「こんなはずではなかった!」と思わないように知っておいて下さい、我孫子がどんな街であるのかを。
・・・・・
↓はお母さん方や教え子たちからの反応です。
・・・・・
先生はお母様とお会い出来ない日が1年以上続いてらしたのですね…お母様とお会いできずに最期もお会い出来なかったことは他の人には想像出来ないくらいお辛いことだったと思います。本当にコロナが憎いです。
何とか早く収まるように一人一人が意識しなければいけないと思います。それなのに、我孫子市民の神経は本当にどうかしていると思います。コロナが流行しているにも関わらず他に席が空いているのに、わざわざ隣に座るのはおかしいです。我孫子市民の意識の低さ、常識のなさが日々の陽性者数にも影響していますね…そんな我孫子市民と同じにならないように、少しでも意識を変えて自分を変えられるように努力したいです。
・・・・・
せっかく入ったお店で朝食を召し上がれなかったのはそういう理由だったのですね。なぜそれほど空いているのにわざわざ先生のお隣に座るのか、私には全く理解できません。お互い落ち着かず嫌な気持ちになると思いますが何も考えていないのでしょうか。同じ我孫子市民だと思うと恥ずかしくてたまらないです。
私も昨年父を肺がんで亡くし、抗がん剤治療でつらいであろう入院中も面会禁止、一時帰宅している時も恐ろしく抵抗力が落ちているため万が一を考え会いに行けず、顔を見て話すことがほとんどないままの別れでした。
なぜコロナの時に癌になってしまったのかと何度思ったか数え切れません。
このような別れ方をする人が今後も続かないよう、早い収束のためにみんなが変わらないといけないと思います。
・・・・・
今朝はそのようなことがあったのですね。
我孫子の民度の低さを先生からご指摘頂いてからというものあらゆる場面において気になるようになりました。マナーなどの周りへの配慮のなさもそうですが、コロナは命に関わりますので終息へ向けての意識の欠如となる行動はありえません。コロナに起因する哀しみがなくなるように自分に出来る対策はしていきたいと思います。
・・・・・
コロナでなくても空いている店内では隣に座ろうとは思いません。わざわざ隣に座る我孫子市民の意識の低さがコロナの収束を妨げていることを分かってもいないでしょうしコロナも他人事なのだと思います。私の兄はコロナ感染が拡大する直前に亡くなったので最期まで面会もできましたが、面会ができなかったら心配で精神的におかしくなっていただろうと今でも実母と話します。会えずにお別れしなければならない辛さは当事者でなければ分からないかもしれませんが想像はできます。そのような辛い思いをする人がないように、1人ひとりが意識して少しでも早くコロナが収束するための行動をしなければならないと思います。
・・・・・
今朝の吉野家ではそのような出来事があったのですね。コロナ禍ですからひとりが皆のために皆がひとりのためにと意識を持って行動しなければ何も変わらないです。塾長はお母様と一年以上会えない状況だったのですね。コロナのせいで最期にも会えなかったとはとてもお辛かったと思います。私も先日父を癌で亡くしました。コロナのせいで面会できませんでした。家に帰りたいと言っていた父の希望を叶えるために訪問看護、診療を進めていく上でもコロナが邪魔をしてくれました。家にやっと帰ってきた時には意識がない状態でした。我孫子で育ってきてしまった母親ですので、自分の意識を変え行動していきたいと思います。
・・・・・
今朝の貴重なお食事の時間の出来事を知り本当に同じ我孫子市民として恥ずかしい限りです。私は義理の兄が急死した為結婚2年目で我孫子に越して参りました。様々な出来事がそうさせたのですが、今ではここに来なければ塾長に出会う事はなかったので良い方に考える事にします。金曜日は通勤電車も満員でランチは新入社員を連れた団体ばかりでどこも店内は満員でした。これでは感染者が増加に転じてもおかしくありません。一人一人が気を引き締めて感染予防をして行ってほしいです。
お母様との無念の最期の時をお伺いして、ほとんど断絶状態だった主人の父親の死を思い出しました。コロナは人との繋がりを奪いました。残された人間は今出来る精一杯のことを悔いなくやるだけしかないのですが、コロナでなかったら…とこの数年間の事はずっと忘れられないのでしょうね。
・・・・・
また空いている店内にかかわらず横に座る人がいたのですね。ここまで続いているコロナ禍にあって本当に何を考えているのかと思う行動です。我孫子には自分の行動が他人に及ぼす影響など考えない、なんでも自分のためだけの人が多い土地なのだと思います。
このコロナ禍のため、先生と同じようにどれだけの人が大切な人と会うことがかなわずお辛い気持ちを抱かれたことかと思います。そして今も抱き続けていらっしゃる方も多いのではとも思います。覚悟をしても覚悟があっても、どうしようもなく辛い思いをされるのは簡単に想像できます。少しでも早く状況が改善することを願って、これまでと変わらぬ自粛行動を続けたいと思います。
・・・・・
相変わらず我孫子市民の民度が低い事に驚きます。何故空いている店内でわざわざ横に座るのかが私には理解出来ません。皆がちょっとくらい大丈夫という意識を捨てなければいつまで経ってもコロナは終息しないと思います。
塾長のお話や皆様のお話からコロナによって大切な人が無念な亡くなり方をされた方が世の中には沢山いらっしゃるのだと思いました。私も母にはなかなか会えておりませんが、自分自身に置き換えて感染に気を付けながらやれる事をして行きたいと思います。
・・・・・
相変わらずの民度です。自分がコロナにかかることや自分が人に移す可能性があることなど考えていないのだと思います。誰もが他者や家族を思いやり行動しなければコロナは終息しません。塾長はお母様と十分に会うことも出来ず、悔いの残る辛いお別れになってしまわれました。覚悟していても家族が亡くなるというのは辛いことだと思います。他人事と思わず感染対策をしつづけたいです。
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食べに行ったのに食べずに帰って来るなんておかしいでしょう?
それも初めてではないのです。
一体これまでに何回繰り返したことでしょう。
私が入った時点では、私の他に店内に客はいませんでした。
いつも通りに私は店内の隅にある席に座っています。
後から来たのが二人組の若造。
ガラガラの店内で私の隣の席に座るではありませんか。
普通は一席空けたところに座るとか、対角線上の一番離れた席に座るとかしませんか。
しかし、我孫子は違うのです。
隣に座るのです。
コロナの時代ですよ。
離れて座るのが常識ですし、そもそもそれが礼儀だと思いませんか。
そんな常識も礼儀も我孫子にはありません。
彼らは座った途端に大きな声でおしゃべりを始めます。
私には耐えられません。
だから殆ど食べずに店を出たのです。
コロナの時代ですよ。
ピークアウトしたかのように見えた第6波はここ数日再び増加に転じています。
なぜ?
常識知らず礼儀知らずの連中が、出かける必要がなくても人混みの中に行ってウイルスを撒き散らしているからではありませんか。
先日もニュースで中目黒が映っていました。
都内に詳しい方ならば中目黒と聞いてすぐに分かりますよね。
そう、目黒川に沿った桜並木ですよ。
あり得ないほどの人混み。
歩きながら鑑賞するのならばまだ分かりますが、立ち止まって撮影大会です。
隣にいる人との間がないほどの場所に延々と居座っての撮影大会。
こういった光景が日本中で繰り返されるから、いつまで経ってもコロナが収束することなどないのです。
social distancing
この意識が全くないのです。
それが我孫子の吉野家では常に繰り返されます。
もしも二人組でなく一人だったら私は席を立つことはなかった?
いいえ、一人の客でも私は席を立つでしょう。
我孫子で目立つのは一人客の電話。
クッチャクッチャ音を立てて食べながら電話までかける者の多いことにはいつも呆れています。
だから、私は二人客でも一人客でも隣に誰かが座ったら席を立ちます。
コロナを収束させたいからです。
私は昨年母を亡くしました。
死因はコロナではありません。
心臓の働きが低下しての事実上の老衰です。
ですが、遠く離れて暮らしていたために母は施設に入っていました。
多い時は週に3回くらいは会いに行く生活をしていた私です。
それがコロナの時代になってから面会禁止になってしまいました。
さらに入院後は一度も会えていません。
担当医からの説明の度に、母の病室まで僅か数歩の場所まで行っているのに、やはり会うことはできませんでした。
再び会う時が訪れたのはまだ温かい体の物言わぬ母になってからです。
死に目に間に合いませんでした。
離れているからです。
母は一人暮らしでした。
なぜ?
離れて暮らすようになったのは親子の仲が悪かったからです。
ですが、母の具合が悪くなってから、妻子にも言っていませんが、約5年間私にできることはして来ました。
どんなに仲が悪くても私を産んで育ててくれた人への最後の親孝行だったからです。
そして、その最後は一年以上会えないまま母は逝ってしまいました。
それがどれほど無念か、同じ境遇を経験した人でないと分からないと思います。
全てコロナのせいです。
コロナさえなければと悔いが残る最期となりました。
だから、私は決して人混みの中には入りません。
仕事の都合上、都内の大きな書店に行きたいのですが、我慢して行っていません。
一人一人が注意していればコロナは収束するのに、それができない愚か者が多すぎるために今再び陽性者が増加している訳です。
その愚か者が我孫子には多すぎるのです。
陽性者数は毎日発表されますが、小さな都市に過ぎない我孫子はその僅かな人口の割に陽性者が多い、それがこの街の最たる特徴です。
私は柏市民です。
政令指定都市の一段階前であるかのような中核市の指定をされている柏市は人口が多いのは言うまでもないことです。
毎日その前を通る柏駅前の吉野家は頻繁に利用しています。
もちろん私は外食の際は客の少ない時間に行くように心がけています。
ところが、柏の店ではガラガラの店内で隅の席に座った私の横に他の客が座ったことはたったの一度しかありません。
それに対して我孫子の吉野家はわざわざ隣に座る愚か者がいるのはしょっちゅうです。
我孫子の民度を疑います。
民度が低過ぎます。
我孫子への引っ越しを考えている人たちには、こういう有り様を知っておいていただきたいと思うのです。
何も知ろうとせずに、引っ越して来てから「こんなはずではなかった!」と思わないように知っておいて下さい、我孫子がどんな街であるのかを。
・・・・・
↓はお母さん方や教え子たちからの反応です。
・・・・・
先生はお母様とお会い出来ない日が1年以上続いてらしたのですね…お母様とお会いできずに最期もお会い出来なかったことは他の人には想像出来ないくらいお辛いことだったと思います。本当にコロナが憎いです。
何とか早く収まるように一人一人が意識しなければいけないと思います。それなのに、我孫子市民の神経は本当にどうかしていると思います。コロナが流行しているにも関わらず他に席が空いているのに、わざわざ隣に座るのはおかしいです。我孫子市民の意識の低さ、常識のなさが日々の陽性者数にも影響していますね…そんな我孫子市民と同じにならないように、少しでも意識を変えて自分を変えられるように努力したいです。
・・・・・
せっかく入ったお店で朝食を召し上がれなかったのはそういう理由だったのですね。なぜそれほど空いているのにわざわざ先生のお隣に座るのか、私には全く理解できません。お互い落ち着かず嫌な気持ちになると思いますが何も考えていないのでしょうか。同じ我孫子市民だと思うと恥ずかしくてたまらないです。
私も昨年父を肺がんで亡くし、抗がん剤治療でつらいであろう入院中も面会禁止、一時帰宅している時も恐ろしく抵抗力が落ちているため万が一を考え会いに行けず、顔を見て話すことがほとんどないままの別れでした。
なぜコロナの時に癌になってしまったのかと何度思ったか数え切れません。
このような別れ方をする人が今後も続かないよう、早い収束のためにみんなが変わらないといけないと思います。
・・・・・
今朝はそのようなことがあったのですね。
我孫子の民度の低さを先生からご指摘頂いてからというものあらゆる場面において気になるようになりました。マナーなどの周りへの配慮のなさもそうですが、コロナは命に関わりますので終息へ向けての意識の欠如となる行動はありえません。コロナに起因する哀しみがなくなるように自分に出来る対策はしていきたいと思います。
・・・・・
コロナでなくても空いている店内では隣に座ろうとは思いません。わざわざ隣に座る我孫子市民の意識の低さがコロナの収束を妨げていることを分かってもいないでしょうしコロナも他人事なのだと思います。私の兄はコロナ感染が拡大する直前に亡くなったので最期まで面会もできましたが、面会ができなかったら心配で精神的におかしくなっていただろうと今でも実母と話します。会えずにお別れしなければならない辛さは当事者でなければ分からないかもしれませんが想像はできます。そのような辛い思いをする人がないように、1人ひとりが意識して少しでも早くコロナが収束するための行動をしなければならないと思います。
・・・・・
今朝の吉野家ではそのような出来事があったのですね。コロナ禍ですからひとりが皆のために皆がひとりのためにと意識を持って行動しなければ何も変わらないです。塾長はお母様と一年以上会えない状況だったのですね。コロナのせいで最期にも会えなかったとはとてもお辛かったと思います。私も先日父を癌で亡くしました。コロナのせいで面会できませんでした。家に帰りたいと言っていた父の希望を叶えるために訪問看護、診療を進めていく上でもコロナが邪魔をしてくれました。家にやっと帰ってきた時には意識がない状態でした。我孫子で育ってきてしまった母親ですので、自分の意識を変え行動していきたいと思います。
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今朝の貴重なお食事の時間の出来事を知り本当に同じ我孫子市民として恥ずかしい限りです。私は義理の兄が急死した為結婚2年目で我孫子に越して参りました。様々な出来事がそうさせたのですが、今ではここに来なければ塾長に出会う事はなかったので良い方に考える事にします。金曜日は通勤電車も満員でランチは新入社員を連れた団体ばかりでどこも店内は満員でした。これでは感染者が増加に転じてもおかしくありません。一人一人が気を引き締めて感染予防をして行ってほしいです。
お母様との無念の最期の時をお伺いして、ほとんど断絶状態だった主人の父親の死を思い出しました。コロナは人との繋がりを奪いました。残された人間は今出来る精一杯のことを悔いなくやるだけしかないのですが、コロナでなかったら…とこの数年間の事はずっと忘れられないのでしょうね。
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また空いている店内にかかわらず横に座る人がいたのですね。ここまで続いているコロナ禍にあって本当に何を考えているのかと思う行動です。我孫子には自分の行動が他人に及ぼす影響など考えない、なんでも自分のためだけの人が多い土地なのだと思います。
このコロナ禍のため、先生と同じようにどれだけの人が大切な人と会うことがかなわずお辛い気持ちを抱かれたことかと思います。そして今も抱き続けていらっしゃる方も多いのではとも思います。覚悟をしても覚悟があっても、どうしようもなく辛い思いをされるのは簡単に想像できます。少しでも早く状況が改善することを願って、これまでと変わらぬ自粛行動を続けたいと思います。
・・・・・
相変わらず我孫子市民の民度が低い事に驚きます。何故空いている店内でわざわざ横に座るのかが私には理解出来ません。皆がちょっとくらい大丈夫という意識を捨てなければいつまで経ってもコロナは終息しないと思います。
塾長のお話や皆様のお話からコロナによって大切な人が無念な亡くなり方をされた方が世の中には沢山いらっしゃるのだと思いました。私も母にはなかなか会えておりませんが、自分自身に置き換えて感染に気を付けながらやれる事をして行きたいと思います。
・・・・・
相変わらずの民度です。自分がコロナにかかることや自分が人に移す可能性があることなど考えていないのだと思います。誰もが他者や家族を思いやり行動しなければコロナは終息しません。塾長はお母様と十分に会うことも出来ず、悔いの残る辛いお別れになってしまわれました。覚悟していても家族が亡くなるというのは辛いことだと思います。他人事と思わず感染対策をしつづけたいです。
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