11/21(日) 7:11配信
読売新聞(ヨミドクター)

 女優の北原佐和子さんが芸能活動の傍らホームヘルパー2級の資格を取り、介護の世界に飛び込んだのは43歳の時でした。どちらもプロとして二足のわらじを履きながら、介護福祉士やケアマネジャー、准看護師と、介護・医療の資格を取得してきました。50歳代を迎えてなお、新しい知識や技術を身につけてステップアップしていく情熱は、どこからわいてくるのでしょうか。(聞き手・飯田祐子)

現場に復帰、魅力を再確認

 ――介護職としてのキャリアは14年。そろそろベテランと呼ばれるようになってきたのではありませんか。

 その間、ずっと順風満帆だったわけではないんですよ。実は1年ほど中断していたこともありました。その時は、人間関係に疲れ果ててしまって……大好きな仕事でしたが、退職することを選びました。

 ――「職場の人間関係」は、介護の仕事を辞める理由の第1位です。やりがいがある一方でストレスも大きい職種なので、トラブルに発展しやすいのかもしれません。

 利用者さんやご家族、職場の仲間たち……それまでの6年半の勤務は、確かにつらいこともあったけれど、たくさんの良い出会いにも恵まれました。「介護」というと暗いイメージを持たれることも多いのですが、私にとっては、輝くような経験で一杯でした。そのことをたくさんの人に知ってほしくて、本にして残そうと思ったのです。

 出版に向けて動くうちに、この仕事に対する情熱を少しずつ取り戻していきました。ずっと目標にしていた介護福祉士の国家資格を取得したい、という意欲が再びわき上がってきて、試験勉強を始めたのです。ところが、現場から遠ざかっている間にすっかりカンが鈍ってしまっていました。「これはダメだ」と思い、新しい職場を探してまた働き始めたんです。

 久しぶりに現場に出て、利用者さんと触れ合うのは、本当に楽しかった。いったん離れてみたおかげで、この仕事の魅力を再確認しました。

 ――そうして日々の業務に当たりながら、介護福祉士の試験に合格したのですね。その後にケアマネジャーの資格も取得しています。

 歩行器がないと立つことのできなかった人が、自分の足だけで歩けるようになったり、逆に一人ですたすた歩いていた人が、スタッフが手を引かないとトイレまで行けなくなってしまったり。ご高齢の利用者さんの状態は、ケア次第で大きく変わります。

 それだけに、一人ひとりにどんなケアを行うかを決めたケアプアランが、とても重要なのです。デイサービスで働いている時、「このケアプラン、ここを少し変えてみたらどうだろう」なんて感じることがありました。目の前の利用者さんのために、自分だったらどんなケアプランを立てられるかなと考えたら、資格を取りたくなったんです。

中高生に交じって受験
 ――女優と介護職を両立しながら受験勉強とは、ちょっと想像できません。合格のコツはなんですか?

 そんなにあっさり受かったわけじゃないんですよ。ケアマネジャーの試験だって、2度目の挑戦でなんとか合格したんです。決して私が特別というわけではないと思います。

 コツなんてありませんから、過去問の勉強をひたすらくり返しました。試験勉強に割ける時間は限られているので、ぐっと集中してやるようにしました。

 台本を覚える時とちょっと似ているかもしれませんね。女優の仕事はぐっと集中することのくり返しなので、おかげでそのような瞬発力は身についているかもしれません。

 ――昨年の春には、准看護師の資格も取っていますね。

 ケアマネジャーは、医師や看護師に加え、理学療法士、作業療法士など、医療の専門職とも連携していかねばなりません。それで医療現場を見てみたいと思って、訪問診療の医師に同行させてもらったんです。

 先生と看護師さんが薬や患者さんの状態などについて話し合っているのですが、会話の内容を一つも理解できなかったことに衝撃を受けました。高齢者の生活に医療は欠かせないものですから、医療のことが全く分からないままでベストなケアプランを作れるのだろうかと不安になりました。

 それを先生に相談すると、「じゃあ、少し医療を勉強してみたら?」と、地域の医師会が運営している准看護師養成校への入学を勧めてくださったんです。

 ――准看護師の養成コースといえば、他の受験生は中学か高校を卒業する若者ばかりです。

 私も、50歳過ぎての挑戦としては結構きついなあとは感じたんです。でも、合否は私が決めるものではなし、結果はどうあれ挑戦してみようと思って。幸運にも合格しました。

 2年間学んで昨年春に卒業し、准看護師になりました。今は都内の特別養護老人ホームで看護職として勤務しています。

 現場に出てみると、私の知識は上っ面の勉強に過ぎなかったことがよく分かりました。看取りまで見据えたケアプランを立てられるようになるのが目標なので、当面はもっと医療を学びたいと思っています。

 <准看護師> 都道府県知事から免許の交付を受け、医師、歯科医師、看護師の指示で看護や診療の補助に当たる。一方、看護師は、厚生労働大臣が免許を交付、自分の判断で業務を行うことができる。

両親の「人生会議」を動画配信?

 ――社会への発信にも取り組んでいますね。インスタグラムなどのSNSを活用、ユーチューブにチャンネルを開設して動画も配信しています。

 私が出合った介護、医療の仕事の魅力をもっと多くの人に知ってもらいたいんです。とはいえ、介護や医療のことだけを真正面から取り上げてもなかなか見てもらえないので、旅行や映画、料理など、プライベートのこともいろいろ盛り込んでいます。

 家族を介護している人にもメッセージを届けたいです。一人で抱え込まず、プロの力を借りて上手に休息をとってもらいたい。介護する人が無理をしないことで家族の良い関係を守る。それが介護を受ける人のためにもなると伝えたいです。

 自分の両親の人生会議の様子を撮影して配信することも考えているんです。 2人がOKしてくれるなら、ですが。

 ――私は北原さんより少しだけ下の世代です。確かに周囲でも「親が倒れたらどうするか」が、話題に上る年齢になってきました。

 うちはありがたいことに両親ともに健康なのですが、人生会議は元気なうちに始めるのが望ましいですからね。

 妹は看護師で、私と同じようなことを考えていたようで、両親に「高齢になると、ある日、突然……ということもあるよね。そうなったら、お金のことも含めていろいろ困ると思うから、今のうちから準備しておきたい」みたいなことを言ったらしいんです。母が「あの子、私たちが早く死んだ方がいいと思ってるのかしら」と憤慨していました。

 やっぱり、いきなり切り出しても難しいですね。特に母は難関なタイプなので。そこで私からも働きかけてみようと、作戦を練りました。

 まず、自分の免許証を出して「お父さん、これ見てくれる? 裏に臓器提供を希望しているってことを書いてるんだ」と話しました。「だから、もし私が交通事故に遭った時は、遺体がないまま葬儀ってことになるかもしれない。それは許してね」って。

 その上で「お父さんだってお母さんだって、ある日、突然ってことがあるかもしれない。そういう時、延命処置についてどういうふうに考えてる?」と尋ねてみたんです。

「いざ」に備えて話し合い
 ――娘さんが「私に万一のことがあったら……」と話し始めたら、ご両親も聞かないわけにはいきませんね。その上で、自分自身に当てはめて考えてもらうと。お二人の反応はどうでしたか?

 父は「管につながれるなんて嫌だな。口からご飯が食べられなくなるのは嫌だよ」と、はっきりと言いました。「じゃあ、お母さんはどう思う?」って母にも水を向けたら、「なんでそんなこと聞くの」って顔でしたね。「それ、今考えなきゃいけないの?」なんて言いながらも、「私は、病院に運んでほしい」と。

 どういう状態になった時、どんな医療を受けられるのかが分からないと、考えることもできないだろうと思ったので、「口から食べられなくなったら、胃に穴を開けて栄養を注入する『胃ろう』という方法もある。胃ろうをつけたら一生そのままってわけじゃなくて、また口から食べられるようになることもあるのよ」なんて話もしました。父は「そうなんだ」とうなずいていました。

 ――必要に迫られるまでは、万一の時のことなんて考えたくもないという気持ちも分かります。でも普段から話し合っておかないと、いざという時に冷静に判断できるものではありませんよね。

 急には難しいでしょうけど、こうして折に触れて話をしていけば、両親にも少しずつ考えを深めてもらえると思うんです。

 一度、決めたからってそれが最終決定じゃない。人の気持ちは変化するものです。私だって、今は臓器提供するなんて免許証に書いていますが、これから先、考えが変わるかも。両親には「それでいいんだよ」って話をして、その日は切り上げました。

 我が家の人生会議、これからじっくり話し合っていきたいと思っています。

 <人生会議> アドバンス・ケア・プランニング(ACP)の愛称。人生の最終段階(終末期)に本人が希望する医療やケアを受けられるよう、家族や医師ら医療・介護の専門職と繰り返し話し合うこと。内容は記録され、本人が意思表示できない場合に意向を推定する材料となる。

きたはら・さわこ
 1964年、埼玉県生まれ。高校在学中にミス・ヤングジャンプに選ばれ、82年、シングル「マイ・ボーイフレンド」で歌手としてソロデビュー。女優として、ドラマ、バラエティー、映画、舞台など出演多数。芸能活動と並行して、ホームヘルパー2級、介護福祉士、ケアマネジャー、准看護師の資格を取得、首都圏の施設で介護・看護スタッフとして働いている。著書に「女優が実践した介護が変わる魔法の声かけ」(飛鳥新社)。