11/5(金) 9:10配信
愛媛・松山に来て10年、なぜ愛媛なのか?

 プロ野球ドラフト会議で指名を受けた選手が仮契約を交わしたニュースが流れ始めた。来季への期待に胸が高鳴る。なかでも、今季の終盤に10連敗を記録した読売ジャイアンツのファンは「来季こそは」の思いひとしおだろう。そのジャイアンツにドラフト1位で入団し、1年目の1995年から先発として活躍しながら早々に結婚し、ファンを驚かせた投手がいた。河原純一さん(48)だ。30代半ばには1年浪人後、中日ドラゴンズで復活したことでも話題になった。河原さんは今、どうしているのか。四国の独立リーグのチーム・愛媛マンダリンパイレーツ(松山市)の球団事務所で河原さんに話を聞いた。(取材・構成=中野裕子)

 東京から愛媛・松山に来て10年になります。最初は選手として、2015年の現役引退後は17年から今季まで監督として、来季はフロントとして球団に残ります。今後はチームにとって今、一番必要な編成――スカウトに力を入れ地元・愛媛をはじめ四国、できれば九州や中国地方まで足を伸ばし将来性のある選手獲得に努めたいと思っています。愛媛に長くいるのは東京に戻りたくない、と思っているからではもちろんありません。流れというか、ここで求められているなら、今はここでやらせていただこう、ということです。

 最初は、愛媛に特に縁があったわけではありませんでした。12年にドラゴンズを自由契約になってトライアウトを受けたところ、最初に連絡をくれたのがたまたま愛媛マンダリンパイレーツだったのです。「愛媛で1年やって、来季のNPB復帰を目指したらどうですか」と。連絡をいただいたときは独立リーグのことをよく知らずまったく考えていなかったのですが、話をうかがってみて「野球を続けられるなら有り難い」と思って愛媛に来ました。

現役にこだわったのは不完全燃焼だったから
 でも、実際に独立リーグでプレーするのは大変でしたね。モチベーションを保つのが難しいし、至れり尽くせりだったNPBとは環境が全然違う。移動もみんなでバスだし、マッサージなど身体のケアもじゅうぶんにできず、39歳という年齢もあって、ベストなコンディションを保てませんでした。最後の1年はほとんど投げられず、これ以上やらせてくれ、とは言えなくなり42歳で引退しました。

 NPBでも1年浪人してドラゴンズに拾ってもらうなど、長く現役をやらせてもらいました。現役にこだわったのは不完全燃焼だったから。ケガに泣かされ3度も手術しましたから、もっとやれるはずじゃないか、という思いがくすぶり続けていました。でも、現役時代の半分はまともに投げられなかったのでプロ失格。技術や精神的なタフさは持っていたと思いますが、身体がついてきませんでした。生まれ持った強い身体も、プロとして活躍するには、必要な才能だと痛感しました。

 現役時代はなかなか食べられず、食べても身にならず、身長は183センチなのに、体重は入団時68キロ、がんばっても75~76キロにしかならず、強い身体を作ることができませんでした。ところが、年をとってから食欲が旺盛になり今では抑えるのが大変なぐらいで、81キロあります。引退し、監督に就任するまでの1年間は愛媛マンダリンパイレーツを運営する広告会社「星企画」で会社員生活をしていたのですが、そのときは87キロまでいきました(笑)。身体が重くキレが悪くなったので食べ過ぎないよう努め、運動も始めました。今ではほぼ毎日1、2時間早歩きし、スクワット100回など筋トレもやっています。元気で動けないと長生きしてもつまらないと強く思うので、運動は心がけています。

幼い子どもたちに野球を教えることも楽しい!

 現役引退後は、プロを目指す子たちに野球を教えることに携わってきたわけですが楽しいですよ。ただ、監督をした5年間の結論から言うと、自分が想像していた以上に独立リーグとNPBはレベルが違い過ぎました。NPBの選手なら当たり前のこと――たとえば、上手くなりたければ苦しい練習を、歯を食いしばって何度も反復するのは当たり前のことなのに、ウチの選手には耐えられない子が少なくない。時代的な特徴もあるのではないかと思います。今の10~20代の子たちはアプリをインストールするように、野球もクリックひとつでできるようになると考えているのかなぁ。僕はなるべく選手たちに合わせて接してきたつもりだったのですが、簡単ではなかったですね。

 これからはもっと勝てるチーム、プロ入りする選手が出るチームにするため、フロントと現場の調整役となってチームの役に立ちたいと思っています。僕の次の監督は未定ですが、僕がいるので新しい監督らはやりやすいと思いますよ! 愛媛県は、かつては野球が強く“野球王国”といわれた土地柄。県民のみなさんは野球を観る目が肥えています。その目に応えられるチームを作っていきたいです。

 1月まではシーズンオフなので、「河原純一 モアベースボールプロジェクト!!」という野球の普及活動に注力しています。選手と一緒に県内の幼稚園や保育園を訪問して、子どもたちが野球をしたり身体を動かしたりするお手伝いをしています。子どもの数が少ないうえ今はいろんなスポーツがあるので、そもそも野球をやる子が少なくなっています。野球に携わる者としては、野球をやる子を増やし裾野を広げることは大事。この活動を始めて6年目になりますが、継続していきたいです。

現役引退を機に県外の年下女性と再婚した

 これからは、いちおう土日祝日休みの規則正しい生活になるので、それも楽しみです。そういう生活は昔からしたかったので。父親が会社員で僕は長男だから、僕も駒澤大学1年までは卒業したら普通にサラリーマンになるのだと思っていました。大学の先輩の若田部健一さんらがプロ野球選手になっていくのを見て、「もしかして自分もなれるのかな」と初めて思ったぐらいでしたから。やっと規則正しく休みもたくさんある生活になりますが……やはり考えるのは野球のことかな(笑)。

 趣味といえばゴルフぐらいで、旅行も、愛媛県内や四国の他の県も行き尽くしましたから。楽しみは、やはりおいしいものを食べることかな(笑)。愛媛はミカンなど柑橘系の果物がおいしいのはもちろんですが、マダイとかホゴ(カサゴ)とか瀬戸内海の魚も安くておいしい。もともと肉より魚が好きなのでうれしいですよ。マダイなんて高級魚なのに、スーパーですごく安く売られているんですよ。愛媛の難点を挙げるなら、どうしても島だから交通の便が良くないこと。でも、川崎出身なので東京の方へは年1回ぐらい帰っています。

 再婚は5年前にしました。相手は愛媛の人ではありません。長く遠距離恋愛をしていたので、現役引退を機にコッチに来てもらいました。子どもはいません。ウィキペディアに前妻との間に子どもがいると書いてある? それは間違いです。子どもがほしいと思ったことはあまりありません。妻はまだ若いですが、これからも……う~ん、どうかなあ……。愛媛に骨を埋めるかもわかりません。状況次第。野球にはずっと携わっていきたいですが、指導者が面白い。評論家は難しい。僕は毒舌だから(笑)。野球に関しては正直に話したいから、いろんなしがらみにとらわれて何も言えなくなってしまいます。

 今年のジャイアンツについて? まさに何も言えませんが(笑)、いつも同じピッチャーが投げてるから足りないんだな、やはり投手力が大事だな、と思って観ていました。ただ、僕は古巣だから特別、応援してるとか、そういう目でプロ野球を観ていません。野球はミスした方が負ける。表に出なくても致命的なミスをしたのはどっちなのか、考えながらフラットな心で見ています。

□河原純一(かわはら・じゅんいち)1973年1月22日、東京・大田区生まれ。小学校4年から野球を始め、駒澤大学時代はエースピッチャーとして全日本大学野球選手権大会優勝に導くなど活躍。95年、ドラフ1位で読売ジャイアンツ入団。1年目に8勝する活躍をみせ、その後は中継ぎ、抑えで活躍するもケガに泣かされ2005年、西武ライオンズへ。1年浪人後、08年、中日ドラゴンズに入団し復活。12年、愛媛マンダリンパイレーツ入団。15年引退。会社員生活を経て17年、愛媛マンダリンパイレーツ監督就任。21年シーズン終了後、退任し「球団事業推進本部長(仮称)」就任。私生活では16年、再婚。

中野裕子