2018.10.21.

妻からメールが2回来ています。

1通目のメールを読み始めてうんざりしてしまったので途中で読むのをやめました。

負のエネルギーを感じたくないため、2通目は読んでいません。

1通目のメールで気づいたのは、もちろん彼女が何一つ変わっていない点。

それで良いと思います。

論旨は「決して自分は悪くない!」で貫かれています。

それで十分です。

「損して得とる」ができれば理想的ですが、妻の辞書にはない言葉です。

個人の価値観は大切です。

結婚式はともかく、ウェディング・ドレスを着せてあげられなかったことを私はずーっと後悔して来ましたが、その後悔も無用と本日判明して本当に良い一日となりました。

兎にも角にも妻は見事な一般的な我孫子市民になっています。

それが正解です。

話が噛み合わないのは仕方ありません。

私がAと言えば、必ず妻はBと言います。

絶対に同じ話題にすることはありません。

それがあれば少しは違うものの、合わせる気のない人に無理強いしてはいけないのです。

個人を尊重してあげるのが一番です。

言い争うのは無意味。

妻の言い分はそれで良いと思います。

妻1人での介護は大変と思い、息子も妻の実家に住まわせました。

本来はそこまでしてあげる必要のないことです。

しかし、妻はそのことについても何一つ感謝などしていません。

介護の場において息子が一緒にいるのといないのとでは大変な違いです。

妻のためを思ってしたことについても何ら感謝の気持ちなどありません。

そのようなものは微塵もないのですが、それで構いません。

そのように思えば何もためらうことなく、気持ちよく離婚できます。

妻と違って私は妻に対する恨みや憎しみなどありません。

私は「なぜ謝らないの?」「なぜ感謝しないの?」の2点だけ。

たった2点です。

しかしながら、妻は別人格。

同じ土俵には絶対に上がらない人に何も望んではいけません。

恨みや憎しみを心の支えにして妻がこれからも元気に生きてくれたら良いと感じています。

私には決してできない芸当ですが、恨みや憎しみをエネルギーにしたら妻は十分に生きて行けるはずです。

それが生きる糧になるでしょう。

尚、このブログは誰も見ていません。

毎日アクセス数はゼロです。

そのように工夫して来ましたから。

今後もしも偶々ヒットして見てしまった人がいたならば、うどん一杯で離婚する夫婦もいるのだと参考にしてくれたら幸いです。