乙武くんが一人の男の子にフリースクールの良さを質問すると、「学校のようにいろいろな強制がないから良い。」という返事。

呆れ果てました。

育てた親のツラを見てみたいです。

私はフリースクールの存在は否定しません。

取材に応じた理事長が言うように「居場所」ですから。

塾も「居場所」ですし。

しかし、「強制」を否定する、「強制」を拒否する、「強制」を受け入れられない者はクズです。

生きている価値もありません。

人間はどのようにして成長するのですか?

人間 = 動物 - α + β

例えば馬は生まれて30分くらいで立ち上がります。

親が放置しても立ち上がります。

動物は完成されて誕生するからです。

しかし、人間の赤ちゃんは放置しておけば死んでしまいます。

未完成のまま誕生するからです。

これがマイナスα。

動物より劣っている点です。

それでも人間が地球上の生物の頂点にいられるのは知能があるからです。

これがプラスβ。

ただし、この知能が問題です。

人間はこの知能が白紙の状態で生まれて来るからです。

何をインプットするかで良くも悪くもなります。

良いことも悪いことも学習してしまうのです。

ウエンツ瑛士くんを見て下さい。

彼は日本語しか話せません。

外見は外国人なのに、日本語しか話せないのは日本語だけをインプットして来たからです。

逆もあります。

何かの都合で日本人夫妻が自分の赤ちゃんを子供のいないアメリカ人夫妻に養子に出したら、その赤ちゃんは英語しか話せない子供に成長して行きます。

外見は日本人なのに日本語が話せません。

白紙にインプットされた情報によって赤ちゃんは色を塗られて行く訳です。

では、誰がこのインプットを行うのでしょうか。

最も多くの時間を費やしているのは母親です。

それゆえに、インプットする母親に最大の責任があります。

貧しかった頃の日本を振り返りましょう。

貧しい家庭に育つと子供は犯罪に走ることはよくあります。

その始まりは空腹を満たすことからです。

犯罪によって自分が満たされることを覚えてしまうと、次第に大きな犯罪へと移行してしまいます。

ところが、どれだけ貧しい家庭でもきちんと育つ子もたくさんいます。

母親がきちんとしているからです。

日本には昔から「世間様に顔向けができないような人間になってはいけない」とか「お天道様に恥ずかしくないような人間になる」といった価値観があります。

たとえどれだけ貧しくても、日本古来のきちんとした道徳観を持った母親に育てられた子はやはりきちんとしています。

多くの子供はどんなに苦しい生活の中でも、自分のことよりも子供のことを最優先する親を見て育ちます。

自分はボロを着てでも子供には少しでも良いものをと思う親を見て育ちます。

だからこそ、「いつか親に楽をさせてあげたい」と思う優しい子に育つのではありませんか。

貧しさの中でもがき苦しみながらも、それに耐えてきちんと育つのではありませんか。

そして、貧しさの中で耐えることを覚えて、その貧しさから抜け出すために、親に楽をさせてあげたいために努力することも覚えて行くのではありませんか。

分かれ目は貧しさの中でもがき苦しみながらも、他人の悪口を言ったり、社会のせいにしたりせずに、耐えることを見せて来た親と、責任転嫁してばかりで血の滲むような努力を怠る親、その違いです。

人間がきちんと育つにはもがき苦しむことは必要不可欠です。

耐えることも必要なのです。

それらを通じて人間はさらなる学習をして行くのですから。

ところが現代社会にはそれとは異なる価値観の親子が存在します。

自由と好き勝手を勘違いしている親子です。

自由とは何ですか。

英語のfreedomもしくはlibertyから自由という日本語を作り出したのは福澤諭吉です。

「自らを由とする」ということで仏教よりヒントを得て自由とした訳です。

では、自らを由とするとはどのような意味でしょうか。

福澤諭吉が生きて来た時代に自由はありませんでした。

確立された縦社会の中で全てがトップダウン。

上の者には従うしかない、まさに自由のない時代でした。

○○村に生まれたら死ぬまで○○村で生活する。

百姓の子に生まれたら死ぬまで百姓。

居住の自由も職業選択の自由もありませんでした。

自分のことなのに自分で決められなかったのです。

だからこそ福澤は「自らを由とする」アメリカ社会に大きな影響を受けて帰国した訳です。

先ず、自分のことは自分の意思で決めます。

就きたい仕事は自分で選びます。

自分の意思でその道に進みます。

そして、自分で決めた以上は何が怒っても自分で責任を取ります。

これが自由です。

好き勝手ではありません。

学校に馴染めずにフリースクールに通う子供たちやその親たちはどうでしょうか。

中には理由のないいじめによって学校に行けない生徒もいるでしょう。

その子供には本当に居場所が必要です。

しかし、集団生活に馴染めないだけの子供はどうでしょうか。

学校は社会の縮図ではなく、一つの社会です。

一つのコミュニティーです。

人間は誰もいない山の中で一人暮らしをしてそこで死ぬ道を選ばない限り、常に社会の中にいます。

ですが、たとえ山の中で一人暮らしをしていようとも、病気になって医者にかかったらその時点で社会と関わりを持ったことになります。

現実的には社会と関わりを持たずに生きて行くことはあり得ません。

学校は集団生活の中で様々な規則を守ったり、協力しあって生きて行くことを学ぶ場でもあります。

修学旅行は単なる観光旅行ではなく、集団行動を学ぶ貴重な体験です。

社会人になった時、一人で仕事をする訳ではありません。

チームで一つのプロジェクトを進めるなど当たり前。

その際に自己主張することも大事、妥協することも大事。

時には謝罪しなければならないこともあるでしょう。

余分なプライドは捨てて頭を下げることは社会の中で生きて行く上で欠かせません。

ところが、いじめがある訳でもないのに学校に馴染めないからとフリースクール。

人間は学校という一つの社会の中でもがき苦しんで成長するのではないですか。

楽しいだけが学校ではありません。

楽しさと苦しさ、喜びと悲しみ、様々なものが入り混じって学習する場が学校です。

そこに馴染めないのは生徒本人が馴染もうとしていないだけであり、親も馴染ませようとしていないだけです。

人間にとって大切な協調性や順応性の習得を無視しています。

嫌ならば行かなくて良い、それは単なる逃避に過ぎません。

学校はひとりのためにある訳ではありません。

みんなのためにあります。

それを理解していないと、自分個人のために学校があるという無意識が根底にあるから、自分が一から十まで満足できる環境が用意されていないと不適応となるのです。

そこには耐えることなどありません。

そこから逃げ出してのフリースクールです。

子供に好き勝手をさせるだけです。

子供の言うことを全て真に受ける愚かな親が不適応症状を作り上げるのです。

そして、忘れてはならないことの一つとして、そういったフリースクールの中でも約束事が存在します。

好き勝手の度が過ぎると、次第に約束事が追加されて行きます。

増えて来た約束事に耐えられなった不適応親子はまた別の場を求めて逃げ回ることを繰り返すに過ぎません。

今日は山口組分裂かという報道がありました。

やくざになる人は若い頃から学校の規則に従うことができずに次第に良からぬ道に進んだ結果でしょう。

昨今ならば昼間は学校で暴れるだけでなく、夜は暴走族。

そこから極道の道に進むかも知れません。

ところがです。

極道の世界は私たちが理解できないほど様々な規則があります。

筋を通すことにうるさい社会です。

一般社会よりも厳しい規則がたくさんあるのではないでしょうか。

一般社会の規則に馴染めないからと極道の道に進んだ時、そこにはもっと厳しい規則がありますよ。

例えば何かへまをした時、指を詰めるしきたりが今でもあるのでしょうか。

親分の前で侘びの印としてそうするのでしょうが、麻酔もなしに自分の指を切り落とすなんて私にはできません。

あのようなことができるのならば、一般社会のどんなつらい仕事にも耐えられるのではありませんか。

暴走族も規則があります。

規則を嫌っていながら規則を作るのです。

結局、人間はどこに行こうとも集団の中で生きて行くからには規則は守らなければなりません。

それを学ぶ貴重な環境が学校です。

人間として成長するにはもがき苦しむ経験は必要です。

導く大人は子供達が成長するために様々な強制と矯正を施してあげなければなりません。

特に学校の教師は毅然とした態度で強制と矯正を実行すべきです。

二つの「きょうせい」の中で子供達は様々な経験を通じて人間としての成長を感じ、共生することの大切さを学び取るのです。

この三つの「きょうせい」を忘れないでいて欲しいものです。

↓の土浦第一高校の記事を見て下さい。

かつては県立高校からの東大合格者数日本一に輝いた学校です。

文武両道の真の名門高校ではありません。

単なる進学名門高校。

受験勉強が学校教育の柱なのでしょう。

従って、人間として必要な教育を行っていないがために生まれた事件が↓。

生徒たちは退学になっていないようですね。

不祥事があると会社組織ならば即刻クビですが、公務員はクビになりません。

県立高校の生徒も同じということでしょうか。

犯人である生徒たちは退学にすべきですし、引率した教師は懲戒免職にすべきです。

しかし、それがありません。

東大合格というつまらない看板しかない同校にとって犯人の生徒たちも東大合格者数を確保するための大切な駒なのでしょう。

また教師も同じ理由で常備させるべき道具なのかも知れません。

いずれにせよ、きちんとした処分がないのは反省していない証拠です。

これだけの犯罪を惹き起しながら反省しない学校が土浦第一高校と世間は見てしまいますよ。

犯罪者養成学校かと思われても仕方ありません。

その証拠に事件はこれだけではありません。

刺傷事件、これで調べてみて下さい。

検索ではなくて自分の足で調べて下さい。

受験勉強ばかり優先していると、物事を判断する力が養われない悲しい事件が過去にありました。

私は同校に対して人間教育が欠けているとの判断から×××という評価をして来ました。

そして、この事件をきっかけに学校が変わることを信じて評価を上げたのです。

しかし、再度の事件。

ゴキブリを一匹見たらその十倍はいるとよく言われますが、二度の事件。

果たして外には出ていないだけで、もみ消された事件が他にもあるのでしょうか。

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お母さん方から届いたメールは↓。

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書き込みにあったフリースクールの番組は見ていました、さらに今朝アサイチでも取り上げていました。塾長の書き込みにある通り、いつか社会に戻らなければならないのです。逃げる時も必要だとは思いますが、ずっといるわけにはいかないし、その苦労をするのは本人。親は先に死ぬのだから。社会もずっとはみていられません。親まず母の姿勢が子に影響するのは当然です。自分よりまず子を困っている人を優先して貧しさを隠すわけでもなく生きてきたはずです、だからこそこれだけの経済成長を果たしたのだと思います。耐え続けろとは言いませんが我慢は本当に必要です。父さんは我慢が嫌いです、させるのもイヤ。○○○幼稚園は自由なのに年長になるとあれもダメ、これもダメという親がいます、実は自由は自由じゃないと理解されません。自由には責任が伴います、今絵を描きたいでもお弁当の時間だから食べようと促しても描くことを選んだならお弁当を食べることはできないよ、お腹すいちゃうよ、ひとりで食べることは無理ですよと言って家に帰すと文句がきます。年長は小学校への準備段階で生活にある流れを自然と身につくように多少制限をかけていくのですが、自由をはき違えると何でもしていいのではないのかと文句がきます。塾長の書き込みはもっともで私もまだ甘いと頭をたたかれた思いです。

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いつも大変お世話になります。
3つの「きょうせい」心して家でもぶれる事なく教育します。
自由を履き違えると大変な事になります。とても解りやすい説明有り難うございます。そして安心して学ぶ事が出来る環境を提供して頂いて有り難うございます。○○についてはまだまだ時間がかかりそうですが、一つ一つ矯正します。

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人は一人で生きるわけでなく、社会的動物ですから、そのように育てなければなりません。
3つのきょうせいは絶対に必要です。

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3つのきょうせいを子どもたちが身に付けていけるように努力します。母が足を引っ張らないように気をつけます。子どもたちに家以外の安心できる居場所を作って下さり感謝します。

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我が家では、主人の強制があり、口答えが出来なかった長男は、それに耐えて、なんとか社会に出ることができました。
長女に対しては全然きょうせいが身についてません。
社会に必要とされるよう努めます。

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三つの「きょうせい」について教えて頂き、ありがとうございます。
子供のためにも厳しい強制と矯正が出来るようにしたいと思います。

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「強制、矯正、共生」について、塾長のおっしゃる通りだと思いました。自分勝手な人間にならないよう、しっかりと息子を育てていかなければと改めて思います。私自身も含めて。

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「強制・矯正・共生」強制を否定する、拒否する、受け入れないのでは矯正できません。それでは共生することの大切さを学び取ることなどできません。そのことをブログから改めて気づかせていただきました。強制する時点で親が子供と一緒になっては、もうその時点で前進ӗ 1;きません。しっかり頭に入れます。教えてくださり、ありがとうございます。

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3つの「きょうせい」について教えて頂きありがとうございます。
自由と好き勝手の意味、母親の姿勢、そして、学校という場で集団生活をする意味がとても良くわかりました。3つのきょうせいを親子で忘れず、これからも学んでいきたいと思います。