けっきょくのところ、僕は健康とか健全といったものとは縁遠い生活を送ることになった。それは物心がついた頃からずっとだ。少年野球をやろうがサッカーをやろうがボーイスカウトのようなものをやり子供たちとキャンプに明け暮れても、そして年に400冊とかの本を読もうが、何も楽になることはなかった。そのまま大学の学部3年になり頭がパンクすることになる。そこから現在までの5年間近くかけて、健康とか健全といったものに近づこうとした。
 しかし何もかも無駄な抵抗であった。確信に近い。もはやこの思考は慣習と化した。健康とか健全とかいったものは僕にとっては幻想や妄想に近いもので、到達不可能なものだと思い込むことにした。ただそれまでと違うことと言えば、今日死ぬことと明日死ぬことの差違について考えなくなったことだ。世間体という言葉がある。スタンダードな生き方があるとする。そういったものを生きていると端から思われるように努力するようになった。世間一般との異化ではなく同化へと努力が向くようになった。特にそれが上手くいったからといって、この症状は収まらないと思いながら。
 そのためのサークル作りをした。社会人になってからも学生気分を延長し実存的な死を免れるために。あるいは自らの幼児的万能感を打ち砕き直すべく、学問や調べものをし、卒論を書き修論も書き修士号も取得した。世間並に思われるべく社会人になるために勉強もし教員採用試験に合格した。なるべく普通な思考をするべくカウンセリングも2年間受けてはみた。以前に比べてみれば、世間並に生きることや実存的な空虚を埋めることに一所懸命に努力してみることになった。
 特にそれが何になるわけでもないとは思ったままではあるが、意識が死へと向かうことはなくなった。離人症のような意識で生きるようになっただけかもしれないが。
 自分の中の9割の頭の悪さと1割の賢さと上手く付き合っていくこと、あるいは人の中の同じものへの配慮を抱きながら生きることに抵抗感はなくなった。世間話と愛想笑いに付き合うこともない。