~第十一章 大師と共に歩んだ人々~ 

皆さんの中には草木や花などの種子を植えたり、育てたりして、愛情を以てその成長を見守ってきた人々が大勢おられると思います。木というものは極めて敏感に反応するものです。ラザー・バーバンク(1)は、自分の木が自分の声に反応するようにならない限り、庭から外には決して出なかったものです。

ジョージ・ウォシントン・カーヴァー(2)もそうでした。わたしはジョージ・ウォシントン・カーヴァーと一緒に仕事をしたこともあるし、ラザー・バーバンクとは六つの年からの幼な友達です。ラザー・バーバンクは、何時もイエスが彼と一緒に仕事をしているというので、理解のない父母をひどく当惑させたものです。

バーバンクがまだ子供の頃、或る土曜日の午後、彼はお父さんのお伴をして少し離れているお隣を訪問しに歩いて出かけました。近道を取ることにして原っぱを横切りジャガイモ畑を通りました。よく子供たちがするように、ラザー・バーバンク少年もお父さんの先を走っていました。

その頃、丁度ジャガイモの花ざかりの時期でした。その中にひときわ高く他の花より伸びているのが一本あったのでラザーは立ち止まってそれを見ていましたが、やがて又お父さんのところへ戻ってきたので、お父さんが『花が前後に動いていたよ』と言いますと、少年は、『パパ、花が僕に話しかけていたんだよ』と答えました。

ラザー少年のお父さんがあとで私の父に、『どうも伜が変なことを言うので、せき立ててお隣に行きましたよ』と言ったものでした。お隣りの家に居る間中もラザーはしきりに帰りたがり、結局、三時半過ぎにお隣りを出ました。例のジャガイモ畑に差しかかると、少年は一目散に先を走って、さっきのジャガイモのところにやって行きました。

すると、畑一面に非常な静けさが漂い、葉の一枚ソヨとも動きません。お父さんが少年の立っている所に来てみると、例の高く伸びた、種子の入った莢(さや)が又前後に動いています。『パパ、僕、ここに残っていたいよ。だってイエス様が僕に話しかけて、僕にいろんなことを教えて下さるんだもの』と少年は言うのに、お父さんは無理に彼を家へ連れて帰り、いつもの雑用をさせると、ベッドへ追いやってしまいました。

ところが暫くすると、少年はコッソリ階段を降りて家を抜け出そうとするところを見つかってしまいました。そんな風で、その晩は三度もベッドに追い返されたことでした。そのうち何だかんだで、時刻ももう十一時になっていたので、両親は結局少年が寝入ったものと思いました。さて、その翌朝になると、ラザーの姿が見えません。

お父さんが畑に出てみると、少年は例のジャガイモ畑でジャガイモに精いっぱいすり寄ってそれを囲むようにして毛布にくるまったままぐっすり寝込んでいるのです。お父さんに起こされると少年の言うことには、『パパ、イエス様がね、夜通し僕にお話をして下さったの。あの小さい球根が熟するのを見届けてから取り出して、大切にしまっておいて、来年の春その種子を植えると大きくなって、僕が有名になるほどのジャガイモが一つできるんだってさ。』結局、その通りになりました。

ラザー・バーバンクは又、サボテンの栽培もしました。彼はプリックリー・ペア〔種サボテンの一種、西洋梨の形をしたもの〕を取り出してガラス箱の中に入れました。そうすると外部よりの影響から守られるわけです。五ヶ月半もの間、彼は毎日一時間宛、この箱の前へ坐って、こういった意味のことを言ったものです。

『君はもう守られているのだからそんなトゲなんか要らないよ、そんなものなんか捨ててしまいなさい。』すると七ヶ月半後にはトゲが落ちてしまい、かくしてトゲなしのサボテンが得られたのであります。F・L・ロースンはイギリスの偉大なエンジニアの一人であるロースン・ロースン卿の弟で、デイリー・メイル紙の招聘を受けクリスチャン・サイエンス(3)の調査を依頼され、著しい成績をあげて皆んなを吃驚させたことでした。

その彼が第一番に発した声明が、『神の完全なる世界には神以外には何ものも存在しない。人間は神の肖像・似姿であって、神のアイディアを同胞に完全に規則正しく且つ解り易く伝えることを使命とする』という言葉でした。わたしがローソン氏をロンドンに訪ねて彼の客となった或る日、二人とも窓越しに街の通りを見ていました。

古い頃のロンドンでは一頭立ての二輪馬車が使われていたものです。丁度その時、片側の道で土木工事の最中でしたが、そこへ岩を積んだ一頭の馬が二輪車を引いてやって来て、一旦止まってから後ろへさがると、御者がおりて車の後ろへ廻りました。すると、アッという間に車体が後ろに傾き、積荷の岩がそっくりそのままもろに彼の上に落下してきたのです。

ところが、その時にローソンの言ったことは、『神の他には何もない、只神あるのみ』というひと言でした。すると、その男が落下したたくさんの岩の中から出て来たじゃありませんか、かすり傷一つ負わずに。ところがそれと関連して、もう一つの事が起ったのです。馬がどうも御者の気に入るようには動いてくれないので、御者が馬を叩き出したのです。

その時ローソンがやったのは、御者の注意を引くために窓を軽く叩くだけでした。すると何と馬の方がすぐに寄ってきて鼻面(はなづら)を窓にこすりつけたではありませんか。F・L・ロースンは第一次世界大戦に部下百名を引き連れて参加し、一人の負傷者さえ出さずに全員復員させました。しかも彼らは皆んな最も困難な任務を果たしてきたのです。

『神の他には何もなし』という彼の思想を、彼は完全に身を以て証明したのでした。われわれが何か或る物事に対して正しい態度を取った場合に出てくる結果の例証は、まだまだいくらでもあげられます。さて、われわれが一歩離れて、或る物事を見て、それは不可能だと言ったとします。

ところがその後は、決まって誰か他の人が出て来て、それを短期間のうちにやりとげてしまうものです。事実、今まで、すべてそうでした。アレグザンダー・グレイハム・ベル(4)がそのよい例です。わたしの家族は彼をよく知っていますが、彼はニュー・ヨークのジェイムズタウンに住んでいました。

その頃彼は、バッファローで小さな銀行を営んでいた私の父の兄弟二人に会いに、ジェイムズタウンからニュー・ヨークのバッファローまで六十哩の道のりを歩いてやって来て、ボストン工業に入所して、電話装置を完成し、その後で千八七六年のフィラデルフィアの百年記念祭会場に電話を据え付けたいから、二千弗貸して欲しいと申し込んだのでした。

それで金は貸してやったのですが、銀行の重役達があとでその事を知ると、父と叔父たちの処にやってきて、辞職を求める騒ぎになりました。それ程、彼らはベルに電話なるものの完成が出来る筈がないと確信していたのです。ところが記念会場に幾つかの公衆電話函が立ち、五仙玉一つ払って函の中に入り、別の函に入っている友人を呼び出して話が出来たものだから、この小さな装置は非常な評判を生み、百年記念博覧会の催し以上の収益をあげたのでした。

これで、われわれが考えを閉鎖すればその収益も亦、閉鎖されることがお分かりでしょう。アレグザンダー・グレイハム・ベルは本当に素晴らしい人物でした。にも拘わらず、彼に全く金が無かったのは何時も盲人の援助をしていたからです。彼は有り金を全部はたいて盲人の救援に使っていたのでした。ノーウッド博士は教会裏の林の中によく散歩に出かけるが、そこにイエスがおいでになっては長いこと一緒に話し込まれる、とよく自分の教会の数少い会衆に語ったものでした。

ノーウッド博士は、ノヴァ・スコシアの僅か二十一人の漁夫とその家族しかいない一寒村に小さな教会を持っていましたが、この噂が何時の間にか外部に洩れてわたしたちの耳にも入ったので写真に撮(と)ろうと思って出かけ、標準レンズつきのべル・アンド・ハウエル・カメラで撮影しました。その写真は今でも持っています。

後になってノーウッド博士がニュー・ヨークの聖バーソロミュー教会に招聘されると、五ヶ月もたたないうちに教会はすし詰満員になり、溢れ出た人のために、屋外までスピーカーを取り付けなければならない程でした。或るクリスマス・シーズンの治病祈祷の時間中、ずっとイエスが祭壇の後から出られて会堂の中央通路を歩いて来られるのが見えました。

わたしは五百人以上の会衆にお話をしていたのですが、その時にこのイエスのみ姿を拝したのです。その時のイエスの御挨拶はこうでした、『全宇宙に愛を注ぎ出すようになるがよい』。インドでは大師の弟子達は非常に美しい祈りを献げます。しかしそれは懇願の祈りでないことに皆さんはお気付きになるでしょう、即ち次の通りです。

『わたしは今日一日、神と神の豊かさに全く浸り切って一切に当たる。今日一日、すべての行為において征服者キリストが神の豊かさと一体となって現れ給う。わたしは今、自分が神の至高の子であることを自覚している。今日の各瞬間瞬間を、わたしは神と神の聖なる愛に浸されて動くのである。

大いなる愛の炎が、わたしの全存在の全細胞を貫流する。わたしは神の純黄金色の炎である。わたしはこの炎をわたしの肉体にあまねく注ぐ。わが父なる神よ、今、征服者キリストがあなたに挨拶を申し上げる。平安! 平安! 平安! 神の大いなる平安が遍満しているのである!』

訳者註
(1) 著名な精神主義的植物改良学者。米人。
(2) 米国の有名な黒人化学者。
(3) 米婦人メアリー・エディ・ベイカァの創設による新思想団体。当時の所謂新興宗教で、その奇蹟的治癒が大きな評判を呼ぶ。後に沢山の類似団体を生ずる。
(4) 電話の発明者。米人。