風歌との距離は、じわじわと離れていく。
僕ではない風歌の親は、
僕の動きを遮ろうと、
バスケットの試合のように両手を広げ、必死に前に立ちはだかる。
彼女を突き飛ばすも、押し退けるも出来ない僕は、
その彼女の想いの見えない壁をじわじわと押し返すしかない。
風歌は、「この人、誰だっけ?」という表情でゆっくりと離れていく。
いとおしい、いとおしい風歌の顔。
それと同時に沸き上がる怒り、憎しみ。
そして‥‥‥‥‥、
許容。
そんな夢を見た。
実は、少し嬉しくもあった。
風歌に会えたから。
風歌は、今をどう生きているのだろう。
僕はもうすぐ「関係のない人間」になるのだろうか。
「10年くらい会えないかもしれないと思っている事をお伝えしたら、相手方はホッとされていました。」
こんなに傷つく言葉、相手方の行動があるだろうか。
親は「関係のない人間」にしたいのだなと、その行動で推察してしまう。
以前の話し合いの時、
真意を知りたくて、わざといじわるを言った。
「なんだかんだ言って、会わせないでしょ。」
意外な事に
「それは会わせると思うよ。」
と、発言したのは
相手本人ではなかった。
本人はうつむいて、発言を控えていた。
自分の意志の表明より、状況の進展、新しい展望を望んだ行動だったのだろう。
その証拠に、本人にその話題をふるような展開は起きなかったように記憶している。
それが、予想通りのこれからやってくる未来を的確に表現していた。
「なんだかんだで、実のところ、会えない。」
相手方は、自分の言いたい事、したい事を言わせる、させるように、事態を進行させたがる傾向がある。
そして、それがかなわない時は、表出する形は様々だが、批判しヒステリーな行動を起こし、誰一人介在しない、自分の勝手な正義を大上段に構える。
駄々っ子と言えばわかりやすい。
そのやり方は、
最近、話題の歴史的先輩諸国に酷似している。
国家レベルでも、そんな事が横行するのだ、
庶民レベルで行われるのも、何ら異常な事ではないなとも思う。
が、それは所詮、コドモのやり方。
それが代々、受け継がれる共通項なら尚更、根は深く変化は非常に困難だ。
周囲は、次第に刺激しないよう、当たり障りのないように接触の仕方を変えていくのだろう。
僕もそうしようとしてきた。
これからは、更にそれを暗に求められる状況になるだろう。
そんな下らない両親のやりとりとエゴで、父親を失う風歌は一体何なんだろうと痛ましく思えて仕方がない。
相手が嫌がるので、あまり連続しないよう、期間を空けてお願いして、写メと動画を送ってもらう。
その写メに写る風歌は、間違いなく以前より暗くなった印象だ。
もっと、向日葵のようだったのに。