離婚成立しました。
風歌との面会は、その都度協議の上で行う事、
毎月養育費を払う事を盛り込んだ書類が作成されます。
あちらとしては、絶縁したいそうです。
お金もいらないから、とにかく近くに寄ってほしくないというのが、本音のようでした。
ずいぶん前から、離婚問題はあちらの中では自己完結していました。
僕の存在は「もう既にいらなくなった人」となり、
あちらからのアプローチが皆無に近いのは勿論、こちらからの質問にも微妙に論点をずらして返すといった心象を感じる関係でした。
あちらからこんなメールが来たのが印象的でした。
「1日も早い離婚成立を願っています。」
「願っています。」?!
離婚したいのは間違いなくあちらであるのに?
願う?!
互いに妥協しあうとかの行動するではなく、「願う」?!
でも、あちらとしては、願うのも当然の流れでした。
あちらは、娘も家財道具も自分が欲しいものは全て叶えているし、
養育費や婚姻費よりも絶縁を求めていたからです。
離婚(絶縁)したいという最後の欲求を叶える為には、なんとか事態を納得しようと僕があちらに向けた質問が落ち着くのを、
深く暗い壕の中で両手合わせて祈る(願う)しかなかったのではと推察します。
離婚成立する為の部屋では同席でした。
部屋に入ってきた僕が「よっ。」と声掛けようとした刹那、軽く一瞥したあちらの顔が一気にこわばりました。
こんな時くらい気丈に懍とするだろうと甘い期待をしていたのですが、
あちらの気の弱さが如実に表れていました。
あちらは僕という姿をもうずいぶん前に見失っていて、あちらの心の中にいる僕として見ているので、理解できない反応ではないなと思いながら席に着いたのも印象に残りました。
取り決めた文章が読み上げられると、あちらは泣いていたようでした。
あちらが本気で願う事だけを調停で行い、今までの長い我慢の結果の安堵の涙だとしたら、
確かに「お疲れさま。」と思うけれど、同時に僕は、とても残念だと考えます。
前述の自己完結は、この離婚問題に限らず、普段の生活や結婚前からの症状であった事を思い出したからです。
結局、あちらは誰も同じ土俵にはあげず、一人相撲して、一人で転んで欠場しているんではないかと思わざるえないように感じます。
なんとかその考えを僕自身の中で全く違う視点から考える事を試みてきましたが、
もうそれも行き詰まりを迎えていました。
最後の最後まで、幼稚で自分勝手なんだなぁと痛感した瞬間でもあり。
僕はというと、爽快感などは一切なし。
体調を崩してはいたけれど、
来るべき日の為の備えはしていたので、
慌てず騒がず平常心。
ただ決めてきた通りに話をして、行動するだけ。
こうやって、人生の一区切りは静かに終わりました。
いろいろと皆様にご心配、ご迷惑をおかけした事と思います。
深いお詫びと厚い感謝を申し上げます。
ありがとうございました。
また色々と人間というものを考える経験になりました。
僕も含め人間というものは、生きているだけで業の深い、愚かで切ない生き物だと思います。
ただ、笑顔を人間は持っています。
その可能性は信じていたい。
確かに激しい憎しみは存在するけれど、
そんなものに捉われてはいたくない。
だから、改めて風歌の親として、人間らしく生きていきたいと思います。
死ぬまでの間、風歌に少しでも触れられたらと、
僕もまた「願う」事にして。